オメガ【2】

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オメガ【2】

 サプリメントは錠剤というには大きくて、お菓子のラムネのような形をしている。ワンシートに十個、銀色の箔で個包装、一日に一度食前に二粒摂取していくタイプのものである。形同様、匂いはラムネの甘いそれに似ている一方で、味は舌が痺れるような苦味を帯びている。  でもなぜか二ヶ月に一度の頻度で、味と香りが一致する時期がある。ラムネのような爽やかな甘味を帯びたそれは一週間ほど続いて、またぱたりっと苦味に戻るのだ。  佑樹はそれを父の仕業だと思っている。自分がサプリメントを持ち出した手前、母の前で庇えないことから、時々ラムネとすり替えてくれているのではないか、と。  それが起こるのが、決まって父がサプリメントを補充した数日のうちに起こるからだ。  そろそろ残りも少なくなっていたから、父が補充してくれているかもしれない。早々に着替えて淡い期待を抱いたまま、リビングの薬ケースを確認すると、少なくなっていたシートはその期待通りに補充されていた。  やった、と佑樹は内心ガッツポーズをして、手前から少し数をあけて新しいシートを手に取った。  ミシン目で一粒切り取り、祈る気持ちで目を瞑って口に放り込めば、ほろりと唾液を吸って形が崩れた。しゅわしゅわと音をたてながら、酸味を帯びた甘味が口の中に広がる。  ありがとう、父さんーーと心のなかで感謝を述べて、佑樹は肩の力を抜いた。このシートを飲んでいるうちは、あの苦味とはおさらばだ。 「ちゃんと、飲んだわね。偉い、偉い」  診療室から父に先んじて戻ってきた母がちょうどリビングに居合わせて、状況を確認して満足そうだ。母は笑顔のままエプロンをして、隣接したキッチンへと消えていく。 「話の前に夕食の準備だけ進めさせてね」 「父さんは?」 「電話が掛かってきてたから用件が終われば来るんじゃないかしら」  言いながら母は、戸棚から出した食器を食卓の上に並べている。 「手伝おうか?」 「いいわよ。座ってなさい」  口のなかの錠剤の形が全て無くなったのを確認して、それでも佑樹は母の仕事を手伝った。 「あら、珍しいわね。どうしたの」 「自分でできるところを見せとこうかと思って」  母は面食らったように目を瞬かせ、表情を固くした。 「……学校でなにか言われたの?」  佑樹は否定も肯定もしなかった。それを母は肯定ととったのだろう。 「先生? 同級生? 母さんが苦情をいれてあげるわ」 「なんでそうなるんだよ」 「佑ちゃんの心配をしてなにが悪いの。今は受験を控えた大事な時期なんだから」 「そんなんだから、過保護って言われるんだよ」 「そりゃ、過保護にもなるわよ!」  母の声音がぐんっと高くなった。それは感情が高ぶったときに出る、母の癖だった。過呼吸にでもなってしまうのではないかと思うほど呼吸を荒くして、「だって佑ちゃんはーー」と母の顔が間近に迫る。 「奈緒子、止しなさい」  有無を言わさない強さをもった父の声に、母の動きが止まった。 「優さん」 「父さん」  佑樹と母の呟きが重なった。リビングの入口に、診療室から戻った父の姿がある。白衣は診療室に置いてきたのか、父はラフなポロシャツを身に纏っていた。診療室での印象と違い、診療室から一歩出れば普通のおじさんだ。けれど今日に限って目つきは、仕事を離れてもなお険しいままだった。  怒らせてしまったのか、と佑樹の背筋を嫌な汗がつたう。余計なことは言わない方が良い。そう頭では警告を発しているが、母の言葉の意味を尋ねずにはいられなかった。 「母さんはなにを言いかけたんだよ。なんで俺にだけ隠そうとするんだよ。過保護になる理由は、俺にあるとでも言いたかったわけ」  まくしたてるように一息。しかしそれは一言で否定された。 「違う」 「なにが違うんだよ。先生だって、まるで俺が父さんと母さんに迷惑掛けてるような言い方するし。いつまでも子供扱いはやめてよ」  いくら未成年でも、佑樹にだってプライドはある。何かを隠そうとされればされるほど、それは酷く傷つけられていく。 「俺、高校では寮に入るから」 「佑ちゃん!」  批難がましく名を呼んだ母を無視して、佑樹は父の視線を真正面から受け止めて言った。 「この家を出たいんだ」 「お前が思っているほど、それは簡単なことじゃない」 「受験が大変なことなんて、わかってる。だから中央に入れるように今まで勉強を頑張ってきたんだ。それでも父さんは反対するの?」 「勉強を頑張っていることも、お前が子供扱いに強く反発を覚えていることもわかっていたよ。しかし、それでも叶えてやれないこともある」 「父さんがそこまでわからずやだとは思わなかった」 「お前こそ、過保護にならざるを得ない理由、反対せざるを得ない理由、を考えたことがあるのか?」 「もういいよ! 父さんは、母さんが正しいって言いたいんだろ!」  佑樹が食卓に拳を打ち付けると、食器が揺れ、衝撃で箸が転がった。けれどその程度では、込み上げてきた感情を抑えることはできない。全身の毛が逆立って、胸から込み上げる熱を飲み込むことができなかった。  乱れた息が心臓の鼓動を早くして、息を吸っても吸っても息苦しさは収まらない。キーンと耳鳴りがして、唇が痺れて不快感は増していく。ぱくぱくと水面で口を動かす鯉のように唇を開閉させて、佑樹は助けを求めるように父を見た。  父はそれで佑樹の状況を察したようだった。 「過呼吸だな。ゆっくりと長く息を吐くんだ」 「佑ちゃん、大丈夫だから、落ち着いて、ね」  そばにいた母がすぐに背を擦ってくれる。佑樹は少し落ち着きを取り戻して、父の指示通りゆっくりと長く息を吐いた。  香り高い花のような甘い香りが、その吐息に混じっている。その香りが鼻腔を抜けた瞬間、身体を電流のような刺激が駆け巡り、熱となって佑樹の身体を包んでいった。  その熱に耐えられずに膝をつけば、背中を擦ってくれていた母がよろよろと距離をとった。  おかしい、母がここで距離をとるなんて、と熱に犯された頭で佑樹はぼりやりと異変を感じとっていた。  それは異色なことだった。母は頬を紅潮させて、今までにない眼差しで佑樹を見つめている。 「か、あ……さん……」  大丈夫?ーーと続くはずだった言葉は、伸びてきた父の腕に遮られた。有無を言わさず口をこじ開けられて、なかに何かを放り込まれる。  しゅわしゅわと泡が弾ける音がして、ラムネのような馴染みある味が口腔内に広がった。  なぜサプリメントを、と浮かんだ疑問を解消する前に、佑樹の意識はさらなる疑問で埋め尽くされた。  口のなかの錠剤が消えると、不思議と何事もなかったように身体の熱も息苦しさもひいていったからだ。  なぜサプリメントが効いたのか。サプリメントとはなんであるのか。そもそも、この発作はなんであったのか。 「ちゃんと飲めと言っただろ!」  佑樹の身体から腕を離し、力尽きたように床に大の字に身体を投げ出して、父が言った。父も母も額に汗を浮かべ、肩で息をしながら佑樹以上にぐったりしている。 「ごめん、でも一錠は飲んでたし……」 「お前の年齢じゃ、一錠じゃ抑えきれないんだ」 「抑えるって、いったいなにを?」  何か病を患っているとでもいうのだろうか。急に知らない現実を突きつけられて、佑樹は心細さに身体を震わせた。  父は言葉を選ぶように、ゆっくりと言葉を続ける。 「……お前のフェロモンを」 「フェロモン? さっきのが、そのフェロモンの影響だっていうの?」 「お前のあの症状は危険なものだ。周りにいる人々にまで影響を与えてしまう。平穏な生活をおくらせてやるには、抑えておく必要があった」 「なんだよ、それ。それじゃあ、まるでオメガじゃないか」  佑樹の呟きに父は、眉間に皺を寄せ押し黙った。佑樹としては単なるものの例えであったのだが、父の反応からはそうも言っていられない。 「まさか、俺、オメガ……なのか?」
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