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共にあるのは緑【一】
桃のことをよく知っている様子の静――。
彼が口にした言葉に、店の中には沈黙がおちる。
椅子に腰かけてこちらの遣り取りを見ていた二人は、驚いたように瞬きをしているし、僕もまた言葉もなく身を強張らせる。
だがそれも束の間、僕の耳に届いたのは司さんの声だった。
「静、あまり過保護にすると、そのうち桃から嫌われるぞ」
「俺はヒトが嫌いなんだ。だからこいつも信用できねぇ」
ぴりぴりと皮膚に突き刺さるような鋭い声が響き、僕は思わず肩を震わせる。静は僕から視線を外そうとはせず、その眼光を怒りで一層強めた。
「亮は桃を傷つけるような奴でない、と俺が言ってもか?」
「あいつが泣き虫なのは、司兄も知っているだろ。それにあの日の事を忘れたとは言わせない」
あの日の事――?
それはきっと話の流れからいって、僕らが出会う以前のことなのだろう。その言葉の意味するところは、僕にはわからない。それでも桃を悲しませるようなことがあったことだけは感じとれた。そう結論づけると黙っているわけにもいかない。
「僕は桃を悲しませたりしない」
真っ直ぐに静と視線を交差して、僕がそれを音にすると、静は瞬きをして鼻で笑った。
「欠落者だった奴がよく言う」
「確かに僕は欠落者だったけど、だからこそ桃の本当の姿を知ることができた」
静は僕の言葉に眉間の皺を深くする。下手をすれば、手が出てきそうな形相だ。それでも僕は退くわけにはいかない。
「大事なのは過去ではなく、今、そしてこれからをどうしたいかだろ?」
そう口にすれば、思わぬところから助け船が入る。
「私も彼と同意見ですね」
それは黙ってことの成り行きを見守っていた老人――有希さんの祖父だった。彼自身、欠落者だった過去を持ち、先々代の赤鬼と友好的な関係を築いている人物だ。その言葉には、僕が口にするよりも重みがある。
「どうも青鬼は赤鬼に対して過保護で困ります」
「青鬼?」
僕が首を傾げると、老人が言葉を続ける。
「有希の言葉が正しければ、彼はおそらく、紅野と肩を並べる蒼そう野のなのでしょう」
それを肯定を示すように司さんが頷く。
「確かに静は蒼野の者だ」
「ただの蒼野じゃない。俺は次期当主だ」
そこでようやく、静は僕から視線を外し、老人の方へ意識を向けた。
「おや、ではあの頑固者の孫でしたか。道理で彼を彷彿とさせたわけだ」
どうやら老人は、桃の祖母だけでなく、静の祖父も知っているらしい。彼が先程口にした言葉もおそらく昔の彼らの様子に起因しているのだろう。老人はどこか懐かしそうに目を細めている。
「おじいちゃんが会わせたかった鬼って彼のことなの?」
有希さんは、そんな老人の気配を敏感に感じとったのだろう。キャンパスに向けていた顔を、そっと静の方へ向けた。
「いんや、私が会わせたかったのは、ヒトを愛するもっと可愛らしい鬼さ」
その言葉に静ははっとしたように表情を変える。どうやら彼は、自分の目的を思い出したらしい。
「そういえば司兄、桃はまだなのか?」
「先程、今から家を出ると連絡が入っていたから、もうすぐ駅に着く頃だろうな」
「あー、だったら、俺、駅まで迎えに行って驚かしてやろうっと」
止める間も与えず静は踵を返す。
負けじと僕も後を追おうとするが、それは司さんに止められた。
僕が司さんに目を向けると、彼はどこか悲しそうな表情を浮かべている。その表情に僕は喉元まで出かかった非難の言葉を呑み込まざるを得なかった。
「気を悪くしただろう。悪かったな。だが静は悪い奴ではないんだ。ただ昔あった出来事が原因で、桃に対して少し過保護になっているだけで……」
「昔何があったというんですか?」
「……亮、お前は泣いた赤鬼の話を知っているか?」
泣いた赤鬼――それは僕が桃を称するのに始めにつかった言葉だ。それは僕の日記の中だけで語られていることだから、司さんがそれを知るはずがない。それでもそれを口にするということは、きっと童話を指してのことだろう。
だがそれとこれとがどう関係しているというのだろうか。
「桃は昔一度だけ嘘をついたことがある。そして桃は、それが原因で大切な友を失ったんだ」
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