共にあるのは緑【ニ】

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共にあるのは緑【ニ】

「そんな……」  ……ことがあったなんて信じられない。  僕の知る桃は人に嘘をつくのを嫌うし、友人をとても大事にしている。だが僕はそこではっとした。  逆説だ――。  嘘を嫌う桃だからこそあり得ないのではなく、そんなことがあったからこそ桃は嘘を嫌うようになったのだとしたら――。  さらに僕は、言葉にしないと伝わらないという桃の言葉を思い出した。  拓が幼馴染を失いかけた時、桃が拓に向けたその言葉は、桃自身の経験が過分に含まれているのかもしれない。そうだとしたら彼女の優しさは、彼女と同じ思いをさせないためのものなのだろう。 「それが事実だとしたら、桃はそれを忘れられずにいるんですか?」  僕の問いに司さんは困ったような顔をした。 「あの一件があったからこそ桃の言葉には力が宿る。きっとあの時の思いを忘れたなら、桃は言霊使いじゃいられないだろうさ」 「言霊使い?」  僕は聞きなれない言葉に首を傾げる。それに対して、司さんはしまったとでも言うように黙り込んだ。  確かに司さんの言う通り、桃の言葉には力がある。それは僕のなかで当たり前に受け入れられている事実だ。だが司さんの反応は、それだけで納得してはいけないもののように思えてしまえてならない。  鬼にはまだ秘密があるというのだろうか。  よくよく考えてみれば僕は、鬼が鬼である由縁も、鬼が欠落者を救う理由も知らない。その事実に気づいたら、僕は胸が痛んだ。  これではまるで、僕には教える必要がないとのけ者にされているようだ。 「なんで黙り込むんだよ。あんたは僕に桃を頼むって言っただろ?」  信頼されていると思っていたから、怒りもその分大きい。僕はついつい声を荒げ、司さんに詰め寄った。  だが司さんが言葉を発するより早く、僕の熱くなった脳を冷やす、低い声がそれを制した。 「少し落ち着きなさい」  僕が声の方に顔を向けると、老人が神妙な面持ちでこちらを見つめている。そういえば店には、この老人と有希さんがいたのだ。有希さんもこちらに身体を向け、心配そうに眉を寄せている。  僕は急に恥ずかしさを覚えて、冴え冴えとする頭に反して、一気に顔が熱くなるのを感じた。それを彼らから隠すように首を横に向ければ、予期せず司さんと目が合う。そのまま司さんに手招きされて、渋々僕が従うと、司さんは僕の耳元に顔を寄せ、声をひそめて言った。 「亮、俺はお前を信じていないわけじゃない。静の言葉にお前の『色』が揺らいだからと、桃の話を振った俺が迂闊だった。これはもっと場を選ぶべき話だ。だからこの話はまた今度」  離れていく司さんの顔に僕は、はっとして目を向ける。  どうやら司さんが黙り込んでしまったのは、店内にいる残り二人の存在を気にしてのことだったらしい。  今度っていつですか――と僕が口を開きかけたその時だった。  地下に下りてくる階段の方から、聞きなれた少女の声が聞こえたような気がした。僕が耳を澄ませると、それは確かに聞こえる。それも彼女を迎えにいった男の声と重なって楽しそうに響いている。  ぎゅっと唇を噛んだ僕の目前で、木製の扉が開かれる。  店の中に向かって押すタイプのそのドアを体で支えながら、静が桃を招き入れるようにその手を取っていた。
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