思い照らすは黄【一】

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思い照らすは黄【一】

 桃との関係に変化の兆しが見えてから数日。僕の足は今日も変わらず、浮雲に向いている。それが僕にできる桃への好意の表し方だからだ。  だが世間はもうすぐお盆休み。浮雲は五日間もお休みすると聞いて、愕然としたのは記憶に新しい。それはすなわち、浮雲以外では桃との関わりが薄い僕にとって、彼女と会える時間が減るということだ。  忙しい両親に代わり、毎年僕一人が父方の祖父母の家に数日滞在することになっているから、二日間だけ浮雲に行けないことはもともと覚悟していた。けれど浮雲にお盆休みがあることを考慮していなかったことは後悔している。  その期間中、桃に会うことができないという現実に、僕は足元に向かった大きな溜息をついた。その溜息は電車がレールを走る音にかき消されることなく、僕の耳に届く。それどころか、可愛らしい溜息と重なって僕の鼓膜を揺らした。  そのまま顔を上げれば、向かい合う形に設けられた電車の座席の向かい側に、大きなボストンバックを抱えた少女が座っている。年齢は拓とさほど変わらないくらいだろう。どうやらもう一つの溜息の主は彼女らしい。  大きな荷物といって連想するのは、クラブ活動をする連中だったが、彼女は彼らのように目に見えて日焼けはしていない。だからといって街で遊ぶにしては荷物が大きすぎる。  もしかしたら、親戚の家に泊りに行くのかもしれない。僕がその考えに行きつくのに時間は掛からなかった。  何より少女の手には地図らしき紙が握り締められている。  僕は初めて祖父母の家に一人で行った日のことを思い出して、目を細めた。どの駅で降りなければならないのか、どの方向の電車に乗らなければならないのか、間違っていたらどうしようと不安と隣合わせだったものだ。おそらく目の前の少女もまた、同じような不安を抱いているに違いない。  僕は心の中で「頑張れ」と彼女にエールを送った。するとちょうど目的の駅に着いたのか、荷物を抱えて少女が立ちあがった。ドアの向こうへ消える少女を目で追うと、プラットホームに掲げられた文字が目に入る。浮雲がある駅だ。  まずい、降りなきゃ。  僕が立ちあがったと同時に、ドアが機械音と共に閉まる。車内の視線が一瞬僕に向き、霧散していった。気恥かしさに赤くなった頬を隠し、再び席に着く。  次の駅で反対方向の電車に乗り換えなければならない。  僕はお盆前の貴重な時間を無駄にしてしまったことを悔いて、再度大きな溜息をついたのだった。
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