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こころ映すは赤【四】
それを聞いた拓は、
「そんな簡単なことでいいの?」
と、桃を見上げ目を瞬かせる。
桃は笑って、「きっとうまくいくよ」と胸を張った。その自信がどこからくるものかわからなかったが、僕が先程安心感を覚えたように、拓もその言葉に元気づけられたのだろう。
「わかった。やってみる」
と力強く頷き、サングラスを掛けたまま踵を返した。その後ろ姿に桃は「頑張ってね」と手を振る。小さな背中が店の中から姿を消した頃、桃の足はようやくカウンターへと向いた。僕は慌ててその後を追う。
「おい、桃、あいつに何を言ったんだ?」
桃はカウンター席に腰を落ち着けると、椅子をくるりと回転させて、後に続いた僕を見やった。
「亮もきっと知ってることだよ」
「僕の知ってる?」
意味がわからず首を傾げた僕を無視して、桃は司さんが出したアイスココアを美味しそうに飲み始める。
結局その日は、それきり目立った出来事は起きなかった。
しかし一週間ほど経ったある日、僕がその出来事を忘れ掛けたころに、思いがけずその来訪者はやって来た。その日、僕が桃と連れ立って浮雲の扉をくぐると、カウンターに小さな背中があったのである。
「拓君?」
桃の呟きが耳をかすめる。僕が背中の主を認識すると同時に、
「お姉さん!」
カウンターでココアを飲んでいた拓が、こちらに気付いて振り返る。僕が眉を寄せた横で、桃は笑って手を振った。
「拓君、久しぶりだね」
その言葉に拓は、満面の笑顔を返す。先日の泣きそうな、苦しそうな顔とは正反対だ。何よりサングラスを掛けていないことからも、彼の失った色が戻って来たことを窺い知ることができた。
拓は隣の椅子に置いてあったランドセルから、桃から借りっぱなしだったサングラスとピンク色の可愛らしい花柄のあしらわれた封筒を取り出して、ぴょんっと椅子から飛び降りた。駆け足に僕らのもとにやってくると、桃にその二つを差し出した。
「うまくいったの?」
「うん。だから、お姉さんにも読んで欲しくて」
にかっと歯を見せて笑う姿は、子供らしくて可愛らしい。だがその仕草を素直に受け入れられない自分がいた。
「まさか、ラブレターじゃないよな」
小学生がやることだからと割り切ろうとする一方で、桃へのラブレターである可能性にどうにも声音が低くなる。サングラスを鞄に仕舞い、その手紙を受け取った桃はその内容に目を通しながら呟いた。
「うーん、ある意味そうかもね」
その返答に僕はうろたえる。その動揺があまりにも顔に出ていたのか、僕の表情を見た桃は苦笑を浮かべた。
「言っておくけど、私宛てじゃないよ。これは拓君の幼馴染が拓君への気持ちを綴った大事な手紙なんだよ」
「ってことは、この間言ってた幼馴染って女の子だったのか?」
僕の疑問に拓が頷く。
「ずっと、ずっと一緒で大切な奴だったんだ。だからあの日お姉さんに言われた、こころはね、言わなくちゃ伝わらないものなんだよ、って言葉で決心がついた。先生に引っ越し先の住所を聞いて、あいつに手紙を書いたんだ。そしたら昨日返事が来た。あいつ、お別れを言うのが悲しくてずっと黙っていたんだって。一生懸命謝られた。でもあいつも俺と同じ気持ちだったんだって知ってとても嬉しかったんだ」
拓はそこで一旦言葉を区切り、桃に目をやった。桃は手紙に優しい眼差しを落としている。桃はどうやらこちらの遣り取りよりも手紙に気がいっているようだ。拓はそれを確認して、僕のシャツの袖を引いた。それに釣られて僕が身を屈めると、拓は声を顰めて、
「お兄さんも言葉にしないと伝わらないこと、あるんじゃないの?」
と囁いた。その視線の先はしっかりと、桃へと向いている。
「余計な御世話だ!」
僕は拓へ思いっきりデコピンをお見舞いしてやった。
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