見つけたのは青【四】

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見つけたのは青【四】

 しかし静という男は、名に違わず細身の男であった。歳は確かに僕とそうかわらない。もしかしたら、二、三年上かもしれないといったところだ。茶色に染めた柔らかそうな髪に、日焼けをしていない白い肌、そして黒い瞳を縁取るのはシルバーフレームの眼鏡である。一見していかにも文科系の男であるが――その印象に不釣り合いなツナギを身に纏っていて、その上には所々には絵の具が飛び散った跡が見受けられた。  そんな男の行動を僕が計りかねているうちに、彼に声を掛けたのは有希さんである。 「あなたがあの絵の作者ですね」  彼女は見えない目で男を見すえ、知るはずのない事実を口にした。 「ああ、その通り」  肯定を耳にしながら僕は、驚きで言葉を失くす。絵の色ばかりか、男が絵の作者だと、その出で立ちを目にせず言い当てることが可能だろうか。僕は静が絵を置いていったという話を耳にしているし、その出で立ちも目にしている。だが彼女はもちろんその話を聞いていないはずだし、彼の姿も目に見えていなはずだ。  司さんも驚いているのか言葉がない。彼女の祖父に至っては、こんなこと日常茶飯事なのか、面白そうに事の成り行きを見守っているだけだ。僕はしばしの思案の後、有希さんに問い掛けた。 「どうして彼が絵の作者だとわかったんですか?」  有希さんは僕に目を向け、それこそ逆に問い返したいような仕草で瞬きした。 「どうしてって、絵と同じ色を纏っているからかな……」 「同じ色?」 「うん。彼の纏っているのは優しく、それでいて清んだ綺麗な青」  纏う色――と言われて僕が真っ先に思い浮かべたのは、鬼のことである。鬼は強い色を纏っている。静という名の男が、司さんの遠縁にあたるなら彼も鬼の血をひく可能性は十分にある。  もしその仮定が正しかったとしたら、それがわかる彼女はもしかしたら欠落者なのではないだろうか。 「司さん……」  僕は不安げに司さんの名を呼んだ。僕にすら思い至った可能性に、司さんが気づかないはずがない。  司さんは眉間に皺を寄せ、考え込むように顎に手を添えた。 「見えないからこそ、見えるものもあるということか」  それは僕が予期し得なかった言葉だ。その言葉の意味がわからず、僕は首を傾げる。 「どういうことですか?」 「彼女が見ているのは屈折光ゆがんだひかりじゃない。本質そのものということだ」  尚も訳がわからず顔を歪めた僕を見て、静は笑い声をあげる。 「司兄、その説明じゃ難しすぎるみたいだぜ?」  静と僕を交互に見て、司さんは本日何度目かになるため息をついた。 「つまり彼女は欠落者じゃない。そもそも彼女が欠落者なら、静の纏う青を優しいと表現するはずがないだろ?」  そう言われてみれば確かに、欠落者ならその纏う色の大きさに恐怖を覚えてもいいはずだ。僕も今でこそ桃を優しい赤鬼と称しているが、彼女に初めて出会った時は、驚きに言葉を失ったものだ。対して有希さんは恐怖の色も浮かべず、驚いた素振りも見せず、平然としていた。司さんの言葉通りならそのことにも納得がいく。  思考を巡らせる僕を余所に、彼女の祖父は目を細めて言葉を発する。 「私の可愛い孫娘が鬼のお世話になるような子のはずありませんよ」  鬼――? 「鬼を知っているんですか!」  耳についた言葉に、僕は思わず声を張り上げる。 「知っているも何も、私も昔は〝欠落者〟だったんだよ。今日は折角だから孫と可愛い赤鬼を会わせたくてね」  可愛い赤鬼というと桃の他に思い当たる節はない。どういうことかと司さんの様子を伺えば、彼は肩を竦めて見せた。 「彼は桃の祖母――つまり、先々代の赤鬼の友人だ」  もしかしてこの人を通じて、僕と桃の関係は桃の祖母に筒抜けなのではないだろうか。嫌な考えに行き当たって、顔から血の気が引いていくのがわかる。この人のいる店内で、拓と桃の話をしていたことも一度や二度ではなかったはずだ。こんなことなら、拓の宿題の面倒なんて見てやるんじゃなかった。今頃後悔したところでもう遅い。 「なんだ、なんだ。顔青くして、あんたもしかして桃の知り合いか?」  話の流れで、僕と桃が知り合いであることを感じとったのか、静が話に割り込んでくる。だが僕にその言葉に答えてよいものか迷った。ここで肯定してしまえば、目の前の老人に対しても誤魔化しは利かなくなってしまう。  僕の困惑を余所に、その問いには司さんが答えた。 「彼は桃の初めての仕事相手だ」  ヒューッと静は口笛を吹く。 「なーるほど、それで桃のことが好きってわけだ」  鬼は誰しも敏いものなのか、一言で自身の思いを言い当てられて、僕は顔に熱を帯びた。ポーカーフェイスを装おうにも、いきなり過ぎては対処のしようもない。けらけらと顔に似合わない笑い声をあげる静を睨めば、彼は真剣な面持ちなって僕の目を真正面から見詰めた。 「桃を守ってやるのは俺の役目。それは誰にも譲らないよ」  その言葉に僕は息を呑む。  静と桃の関係性はわからないが、彼が口にしたのは牽制ともとれる言葉だった。
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