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声に出したんだ。全てを。
最近流行りの宇宙の模様をしたグミがテレビで放送されていて、それを横耳にアルバイトの広告ページを見ていた。
「アルバイト、いいの見つかった?」
最近、流行りのお母さんの口癖だ。
「なんとなく。」
これは僕の流行りの口癖。
「なんとなくって何よ。もう、高校生なんだから自分で稼ぐことを知りなさい。ほら、朝ご飯作ったからテーブルに運んで。」
連日、雨天が続いた。
初めての家庭菜園は失敗になるかもしれない。と、言いながらトマトが実るのを待っていた。お母さんが。
何度も買おうとした靴底はとうに穴が空いている。でも、靴の形は崩れていないから穴は水溜まりに入ったときに実感する。
「行ってきます。」
「お弁当は?持った?」
「大丈夫。持った。すぐに無くなるだろうけど。」
顔の横で親指を立てながら言うと溜息をしたお母さんが、一度閉めたリビングの扉を開ける。
「行ってきます。」
「待った待った。はい。購買でまたお弁当買いなさい。」
母のつむじが前より見える。また、身長伸びたかもしれない。
「えっと、ありがとう。」
「ふふ。えっと、ってなによ。後ろめたいことでもあるの?」
「アッいや、行ってきます。」
「行ってらっしゃい。」
遠くに行きたい、また、君の歌が聞きたい。
音楽を聞く度数えた。
「あと何回この道を歩いて学校に行くんだろう。」
なんて、声に出してみたりしてみる。
僕、寒すぎ。確かに外は寒いけど。
お母さんはいつも、顔色の悪い僕の頬を触る。朝六時に目を覚ましていることを知らずに、いつもの時間に下から、階段を無視して聞こえてくるお母さんの声は、二度目の目覚まし。
「おはよう佐藤くん」
登校してから十分。必ず曲がり角から登場するイケメンの幼馴染。
「おはようございます。さようなら。」
「待て待て待て。」
曲がり角で食パン咥えた美少女となら、身体は張るし、体当たりも受け止める。だが、しかし僕が受け止めるのは僕よりも身長のある幼馴染なのだ。
「はいどーん。」
何かの間違いだと言ってくれ神様。
「朝から顔がいいですね。」
「褒めてくれてありがとうございました。僅かだが酒臭い佐藤くん。」
「え、ウソ。お母さんにはバレなかったよ。しかも、念入りに歯磨いたし。お風呂も入ったし。お鼻が利きすぎ問題神寺くん。」
「昨日はお盛んで?」
「あはは。なに、聞いてくれんの?」
「聞きましょう」
どんなに苦しくても、誰もいないはずの暗い夜に人が歩いてると信じた。いつも聴いている音楽が早送りに聞こえるのに雨足は代わらない。
ほんの一時間、少しの時間ですら長く感じた。
嘔吐く声だけが自身に響き息をする度に呼吸を繰り返した。
「28歳のサラリーマン。顔とモノが良かった。それから、名刺くれて夕飯を共にしました。」
「馴れ初めは。」
七色に輝く雨粒が綺麗だなと思いながら、音楽の速度は変わらない。不思議でしょうがなかった。
「昨日さ、馬鹿みたいに泣いたんだよね。付き合ってた男が既婚者だったんだよ。浮かれてた自分がいたと実感して羞恥心。それで、酒飲んで歩いてたら傘差してくれて。少女漫画か。ふは。めちゃウケる。」
身体はずっと宙を浮いている。さようならと言いながらコンクリートの上を歩いている。
表札を照らす光も、車の表面を伝う雫も、聴いていたい声も、決して寒くない夏の夜の雨も、寒いと言いながら窓を閉める。これが現実なのだと屋根を伝い斜めの地面を打つ雨音を遠く聞きながら、たった500㎖の缶に酔い知れて、遠く響く飛行機の音にさえ怯えた。
「そのサラリーマン優しいから、あいつのこと全部話して、それで慰めてくれた。別れた理由も後悔したくなかったんだなって気づいた。お前も僕を慰めてくれるの?」
朝顔はもっと前に花を咲かせた。
いつもより遅く咲いた桜も、遅れてくる梅雨前線も、触覚の長いカミキリムシが玄関の前にいるせいで尿意が縮こまったのも、表札の前に戻るしかなくて、お父さんが言っていた光に集まる虫が多いと言う言葉を思い出す。
「相槌は欲しいな」
「そのサラリーマンは」
「そう。離婚はしてたけどまだ愛してるんだって。綺麗な家だったよ。新築で、建てて直ぐに浮気されて。一人で住むには広すぎるリビングと部屋の数に仕事。今は仕事が恋人って言ってたっけ。結構面白い人だったよ。」
勝手に作動していた暖房を消した時、全てが夢に思えて、もう一度濡れた靴を履き直した。
白いフェンスの中にある白くて小さな花が三輪見えた。
きっと、桜色で想像より花弁の大きい花。
「お。飛行機飛んでる」
ずっと聞こえる飛行機の騒音もたいしたことないと思ってしまった。
青い靴の近くに置いたアルコールはそのまま置いてきた。
「もう二週間は太陽見てないな。」
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