冷たいキミ

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冷たいキミ

   特別急ぐ必要の無い仕事をダラダラとしていた。あの家に帰りたいような、帰りたくないような、そんな気持ちを持て余して。意思を総動員して重い腰を持ち上げ、ようやく帰途についた。  最寄りの駅から徒歩で十五分、最後の角を曲がると、少し登りになった夜道の向こうで今日も煌々と明かりが灯された我が家が見えてくる。あの頃と同じ様に。以前は、灯台の様に周りを照らしている姿に何度も安心させられたけど……。  鍵を開け、出迎える人もない玄関へと足を踏み入れる。  玄関、リビングダイニング、キッチン、階段、寝室、洗面所からトイレから、家中の全ての照明が灯されていた。  ソファーに倒れ込む様に身を預け、ネクタイを少し緩めた。  誰が信じるだろう?   ちゃんと今朝、全ての明かりを消して家を出たって事を。  誰が信じるだろう?  出かける前に、見るのが辛くて伏せた結婚式のフォトフレームが、帰ってきたらちゃんと立ててあるなんて事を。  誰もいないはずのこの家で。  優月(ユヅキ)、キミなんだろう? この頬を撫でる冷たい感覚は。  こんなにも冷たくてなってしまったんだね、キミの手は。だけどあの頃と同じ、そっと労わるような優しい触れ方。  僕は、もうどうかしているのかもしれない。いや、どうかしてしまいたいんだ。突然逝ってしまった優月に、もう一度会いたいから。  だから僕は今日も眠る。冷たいキミに包まれながら。 <end>
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