本編

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本編

「あのとき助けていただいた鶴です」 「うん……え?」 顔面の強さと謎の圧力を感じる勢いに負けて思わずうんと答えてしまったが、全く身に覚えがない。鶴なんて動物園でしか見たことないし。 勿論本当に鶴の擬人化であるはずもなく、鶴を名乗ったイケメンはそのあと鶴春一(つるはるかず)と名乗った。一瞬でも本物の鶴が来たのだと疑ったのは秘密だ。 「鶴に春に(はじめ)、おめでたそうな名前。ご利益ありそうだな」 「前もそう言ってましたね」 「それなんだけど、その助けたのって本当に俺? こんなイケメン一度見たら忘れなさそうなのに」 「落とした受験票を拾ってもらいました」 「ほら」と差し出された学生証に載った写真を見て驚愕する。まずよくある前髪もさっとしたアーティストのをさらにボサッとしたような黒い前髪がやばい。学生なら黒髪なのは変な話ではないが、この前髪は校則ぶっち切りでアウトだと思う。既に顔の半分がそれで隠れてるというのに、その分厚い前髪のカーテンの奥に透けて見えるゴッツイ黒フレームの瓶底眼鏡。やばい。神経質にきゅっと引き締まった口元は目の前で微笑む男と同じものには到底見えなかった。 「詐欺だ!」 「いいえ鶴です」 鷺と掛けて上手いこと言った面をしてはにかんでいるが、俺は不信の瞳しか向けられない。仮にこの大学デビューくんが写真と同じ人だとして、俺に何の用だよ。黒歴史を葬るための口封じに来たんじゃないのかとすら思う。 「あの、お店に入りませんか? 奢りますので」 「えー? いいよ、歳下にたかる趣味ないし。席着いた途端知り合い呼んでいいですか?とか言い出して最終的に壺とか布団買わされるやつだろ」 「詐欺から離れましょう? 俺、お礼がしたいんです。貴方のお陰で無事大学生になれたので」 この子が大学生になれたのは本人が勉強したのと受験費やら入学費を支払ってくれたご両親のお陰だろう。俺なんか滑り止めに受けた私大の入学金を出し渋って、本命に落ちたあと就職するしかなかった。まあ、結局後々働いた自分の金で専門学校に入り直したんだけど。 「いいよいいよ、大学生なんだから楽しく同年代と遊んでなさい」 「でも、セイラさん本来大学生だったら4年の先輩と同い年ですよね」 「…………なんで知ってんの?」 年齢のこともそうだけど、こいつ今俺のことセイラって呼んだ。 俺の名前は良という至って普通の男の名前だ。だが、苗字が烏星(えぼし)とかいう謎の高難易度だから初見では名前を正しく読んでもらえない。烏星良(えぼしりょう)烏星良(からすせいら)と読まれるのが鉄板で、面倒なので俺はよくカラスとかセイラと呼ばれて返事をしている。 つまり、こいつは俺のこと知ってる。 名前とか年齢とか、特定した上で声を掛けてきた。その事実が一気に警戒レベルを引き上げた。 「礼とかほんといいから。代わりにもし君が誰かの受験票拾ったら死ぬ気で本人まで届けてやりなさい、それがお返しってことで。じゃ急ぐから」 「待ってください! 俺、知らない誰かではなくセイラさんにお礼がしたいんです」 「きみ意外と押しが強いな」 あと顔面の圧が違うんだよ。俺の身長は平均かそれより少し高めの175あるが、そこから体感10センチ上から見下ろされる視線にまず圧を感じる。しかもそこに乗っかる顔が爽やか王子様フェイスとかこれもう俺がヒロインの少女漫画始まってるだろ。助けてくれ。 手のひらが大きい。いや、多分指が長いのだろう。しっかりと手首を一周握り込んでしまっている手は痛みを感じるほど強く握られてはいないが、振り解くのは難しそうだった。 はあ、と露骨なため息を吐く。それでも「離せ」と言えなかったのは、サギくんが不安いっぱいの顔でこちらを見下ろしていたからだ。 「じゃーあそこ」 指を差したのはコンビニと併設されているカフェエリアだ。あそこなら長居せず一杯飲んですぐ出られるし。 見上げると予想していた通り、サギくんが露骨にがっかりした顔をしている。 「駅のほうにおすすめのお店があるんです」 「や、もう帰るところなんで。駅反対方向だし」 「でも、あの……その、もう予約取ってて……」 「あああああ行くかー、なんか急に目の前でケーキ食ってる大学生おかずに珈琲飲みたくなっちゃったー」 気がつけば俺は訳わからんことを口走りながら、駅近のカフェに向かっていた。で、何故か俺がケーキを突っついている。 なんかもうサギくんが泣きそうだったから。というか、彼は少しだけ泣いていた。声が濡れていて、ぐすぐすと鼻を鳴らす彼を見てられなくて慌てて掴まれたままの腕を引っ張り駅に向かったのだ。途中で持ち直してくれたからよかったが、歩いている間は俺に突き刺さる周囲の視線が痛かった。 「言っとくけど、受験票拾うなんて本当にたいした話じゃないよ? そんな純粋だとこの先心配だな、すぐカモられて搾り取られちゃうぞ」 「お、俺だって誰にでもこうってわけじゃないです。強引な勧誘もすっぱり断るほうだし……セイラさんだからです」 はにかみながら上目遣いにこちらを見遣る。性的とか恋愛的な魅力と一切関係なしに、庇護対象として可愛い。 これ絶対歳上受けするタイプでしょ。肉食サークルのハイエナな女先輩に頭からガブっと食われる。想像ついた。残念ながら俺はそんな色気のある学生生活を送らなかったから、肉食サークルのハイエナあたりは俺の想像だけど。 「あとさ、何で俺のこと知ってんの? 好意的になりすぎた結果のストーカーだったら笑えないんだけど」 「……以前、向かいのコーヒーショップで働いてましたよね。セイラって名札つけて」 「あー、いたいた」 身に覚えがある。けれど、働いていたと言っても随分前で、期間もそんな長い間は働いていなかった。当時の俺は下手に就職するよりもバイトを掛け持ちしたほうが稼げると考えていて、あそこは手を出した仕事のうちの一つだ。名前もどうせ本名じゃなくていいかな、と思ったので、セイラのまま。そもそも店の方針で本名は推奨されていなかったし、バイトの女子大生なんかはまるっきり違う名前を使ってた。 結局その頃の無理が祟って身体を壊し、俺は労働に向いてないんだと学校に入り直すことにしたんだっけ。だから、体調を崩す前後ですぐに辞めてしまったはずだ。 「俺、よくあそこで勉強してましたから。だから見てたんです」 やっぱストーカーじゃん……と内心げんなりしながら呟く。直接本人に打ち明ける勇気は買うが、世の中秘めていたほうがいいこともある。社会に出る前にでも学んでおいてほしい。 「セイラさん、夕方上がったあと別の飲食店で仕事してましたよね。流石に何時までいるのか確かめなかったけど、居酒屋だから0時前後まで開いてるお店だったと思います」 「いやほんと何で知ってんの? まあ、確かにその頃は一番忙しかったかな」 閉店時間が0時。当然そこで上がれるはずがないから、締めの作業に入ってプラス1時間。上がれるのは大体午前1時ごろだったはずだ。そこからチャリで帰宅して、シャワーを浴びて泥のように眠る。翌朝も9時開店の別の店に合わせて8時にタイムカードを切って働いて……そんなルーティンが出来上がっていた。 「ずっと、心配だったんです。顔は青白いし、珈琲を差し出してくれる手首がいつも細いのばかり目につきました。接客の声も覇気がないし」 「前半はともかく後半のは俺の接客態度への不満じゃん」 「ち、違いますよ! その、いつも思ってたんです……消え入りそうな人だなって」 なんか知らん間に儚げな人認定されていた。というか俺があの店で働いてたのなんてもう3年くらい前の話だぞ。 俺は高校を卒業した翌年はフリーターとして過ごして、貯めた金で次の年に専門学校に入学した。学生の間もバイトはしていたが、真昼のカフェと夜の居酒屋なら入れる時間は夜のが多くて、そっちを取った。細々と続けていたバイトも二年制専門学校の卒業を機に辞めて、ついこの間社会人になったばかりだ。 「……ん? サギくん今いくつ?」 「もしかしてサギって俺のことですか? ええっと、今年で二十歳ですかね」 「1年生じゃねーじゃん!? 受験票のくだりなんだったの!?」 「2年生です。俺、1年とは言ってませんよ」 何一つ悪びれることなくにこりと笑う。あれは俺を呼び止めるための口実で確信犯だったことを察知し、顔を歪めた。思わずケーキを食べていた手が止まる。 「ねえこれ俺がカモにされてる? やめとけよ、社会人一年目なんて全然金ないよ。自分で言うのもなんだけど」 「しませんよ、そんなこと」 「じゃ何だってのよ」 「朝に食パン、昼は具なしのパスタ、夜スーパーで半額の弁当。朝は無しで、昼は昨晩が消費期限の菓子パン、夜に素うどん。今日も朝は無し、昼も抜いて本日一食目に食べてるのがそのチーズケーキ」 「……? ……、ッ!」 突然何を言い出すのか、脈絡のない言葉の羅列に目を眇めた。それが何を言っているのか理解した瞬間、目を見開く。 こいつ、一昨日の朝から俺が食べたものを言っている。 信じられないものを見る目で彼を見ると、鶴は綺麗に笑った。会話の前後なしに顔だけ見れば、うっとりと頬を染めてしまいたくなるくらい整った顔だ。俺はそれを青い顔で見つめることしかできない。 「そんな食生活じゃいつか倒れると思います。心配なんです、セイラさんのこと」 フォークを落とした手を絡めとられた。男の手のひらは恐ろしいくらい熱くて、じっとりと汗が滲んでいる。それに生々しさを感じながら、取り敢えず俺は落としたフォークを拾いに来た店員に引きつりながら精一杯の愛想笑いを向けるのだった。
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