カリヨン

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カリヨン

 届いた招待状に従ってやって来た住所には森があった。敷地いっぱいに生い茂った木々の間にちらちらと白壁の洋館が窺える。そこには同じように招待された人々が集まっていて、門に立つ係員に誘導されて出たり入ったりをしていた。 (これ、変やないよな)  スリーピースのスーツに蝶ネクタイを締めた自分の姿をもう一度確認するのだが、少し光沢のある素材のものを選んだことに今更ながら少し後悔があった。これはちょっと気取り過ぎじゃないかと思わないでもない。ポケットのチーフを乱れているわけもないのに直してみたり、訳もなく襟を引っ張ったりと我ながら慌ただしい。  約束の時間はもう過ぎていて、ますます居心地が悪い。さっきから門のところにいる係員がこちらをちらちらと見ているのが判る。招待客だろうになかなか入ってこない客を不審がっているのだろう。 (小林(おばやし)相変わらず遅い)  内心で遅れている小林を詰りつつ、もう何度目になるか鞄の中を確認する。中には袱紗に包んだ金封と芳名用のカード、これだけあれば列席するのに不足はないはずだ。裏面のメッセージにも当たり障りのないことを書いた。昨晩、二度三度と小林〇に電話で確認したのだ。その小林を待っているのだが、約束の時間はもう二〇分も過ぎている。  小林との付き合いも中学からだからもう十四年にもなる。その頃から約束通りの時間にやって来たためしはないから、今さら心配したり腹を立てることもない。これを見越して早目の待ち合わせにしたのも、常の事だった。  そろそろ先に中に入ってしまおうかと思い出した頃、通りの向こうにタクシーが一台止まった。中から出て来た人影を見つけて安堵のため息をつく。その人物はきょろきょろと周りを見渡した後、敷地の入り口にいるこちらを見つけて大きく手を振った。軽く手を上げて応えたが、その人物は右左を素早く確認したと思ったら横断歩道もない場所を駆けて渡ってくる。 「そんなとこ渡ったら危ないって」 「しゃあないやん。運転手さんが反対側に止めてもたんやから」  小林は慌ただしく息を切らせて、突っかかるように言うとこちらをじろじろと見た。ほんの束の間何か言いたそうにしたが、にんまりと笑うと細い肘で小突いてくる。 「ええやんスーツ。須磨浦(すまうら)によう似合うてる」 「そらどうも。……小林もドレス可愛いで」  何やらバツが悪くて小林を褒め返すと、彼女はかっかっかっと高笑いした。その小林も照れているらしく、昔と同じで首筋から耳の裏が紅潮している。ほないこか、と小林はいつものことながら、遅れたことには一言も触れないで歩き出した。 「今日って他に誰が来るか知っとる?」  小林に並んで歩きながら尋ねると彼女はスマホを操作しながら口を尖らせた。考え事をしたりするときにする彼女の癖だ。 「どうやろ。詳しくは知らんけど、園田と夙川(しゅくがわ)は来るやろ。みんなそれなりに仲良かったし」 「ようつるんでたもんな」 「いやいや、あんたも数の内やん」 「え、そう?」  園田と夙川は高校に上がってから、いつの間にか一緒に時間を過ごすようになった同級生だった。波長が合うとか趣味が一緒だとか、今思うと中学や高校の時はそんな理由で友人づきあいをする訳ではないように思う。  雑多な、様々な種類の人間が無造作に一つの空間に押し込められるというのが教室の成り立ちだ。中高の頃はこの不合理に違和感などを感じたりしたが、振り返ってみるとなるほどこれはこれでよい教育と経験の場であると思わないでもない。  稀にニュースになるような哀しい事件が起こって日本の教育システムが悪い方向に取り沙汰されるが、それは大多数の成功例とやり過ごせる程度の失敗の中に生まれる際立った事例に過ぎないと思う。これらを理解した上で運用をすれば、このごった煮のような教室と言う場は、多様性とやらを醸成するまたとない場所と機会なのだと思えなくもないのだ。  むしろ、みんな仲良く、とか差別をなくそういじめをなくそう、などと標榜するからこじれるのではないか? いじめも差別も存在するし、これはきっとなくならない。いずれなくなるかもしれないが今日明日のことでも十年の内に実現することでもないことだろう。  そうした中で一緒に過ごした同級生と言う存在は友人と言うよりは仲間とでも言ったほうがいっそ切り良いように思う。大人になれば好んで付き合うことのなさそうな存在、だからこそ貴重な存在になり得る。それを証拠とするように、小林と久々に連絡を取ったのもユリからの招待状が届いたからだったが、ひとつのきっかけで互いが不在だった時間はなくなり、つい昨日じゃあまたと別れたかのようだった。園田や夙川とも高校を卒業してから一度も会ったどころか電話やメールをしたこともない。それでも会えばあの日と同じように時間を超越して並び立てるのだろう。  式場のロビーはたくさんの人で賑わっていた。ユリの大学以降の友人や職場の同僚、親戚の人たち、相手方にもそれと同じだけの関係者がいるはずだ。それに今日この式場でパーティーをする他のカップルだっている。あちこちでそうした人たちの話し声や歓声や嬌声が響き合っているが、天井の高い石造り風の建物の中では、それらの物音は不思議なくらい調和して聞こえた。普段あまり人混みが得意ではないが、この雰囲気を不快に思うほどには自分は捻くれていないようだった。 「須磨浦、クロークやって。預ける荷物ある?」  小林の声に我に返ると、彼女は荷物をひっくり返しているところだった。 「こんなとこで何すんの」 「何て、靴はきかえんの」  クローク前のベンチに腰を下ろして彼女は大荷物の中からヒールの高い靴を取り出して裸足になった。それを履き替えながら手早く日傘をしまい、金封の入った袱紗を取り出す。肩にかけていた薄いショールを取ると大きく広がった肩口に日焼け止めを塗り直し始めた。周りの目を気にするという感覚が彼女からは抜け落ちているようだ、と思ったが付近には同じように荷物を広げている人が幾人かいたので、驚きながらもこんなものなのかと無理矢理呆れを腑に落とした。 「あんた何も支度することないんかいな」 「……あらへんやろ普通」 「あんたの普通はうちらの普通とちゃうかもしらんけど、クリームくらい塗ったら?」 「……いらんし」 「ま、好きしたらええけど」  いきなり靴を履き替えだした小林に呆れていたのはこちらなのに、いつの間にか呆れられている。理不尽だと思う。  それから支度する小林の隣に腰を下ろして荷物の中身を眺めていると、離れたところから聞き覚えのある声が飛んできた。 「小林!」  その声に振り向くと、案の定声の主は園田だった。園田の隣には夙川がいて手を振って寄越したが、こちらと目が合うと二人とも吃驚したような顔になって駆け寄ってきた。 「誰かと思たら須磨浦やん。タキシードみたいなスーツ着てるから判らんかった!」 「やっぱあんた背ぇ高いなあ」  そういう二人はパーティードレスを身に纏っている。モスグリーンの夙川が口火を切って、パステルピンクの園田が背伸びをして肩を叩いてきた。昔のままの空気が風のように吹き込んでくるのを感じる。 「……変かな」 「ぜんぜん」 「よう似合うてるよ」 「須磨浦は背ぇ高いからこういう恰好が合うよね」 「細身やしかっこええで」  それからきゃあきゃあと話す三人の輪にくっついて友人用の待合サロンに移動する。そこでは軽食と飲物が用意されていて、式の前からお酒が振る舞われていた。ちょっとした立食パーティーのような雰囲気に、仲間たちはさらに嬌声を高める。高校時代の友人は他にはいないらしく、大学時代や職場関係の人たちがいる中ひときわ目立ってしまった。  嵐のような近況報告の中で聞いたのは、園田がいつの間にか結婚していて子供も一人いるが既にバツイチだということ、夙川は街コンやお見合いパーティーに参加し始めているが、そんな自分にピンと来ていないというようなこと、小林は三年付き合っている恋人とそろそろ結婚かという頃だということで、みんなそれぞれの十年を過ごしたことに感慨が押し寄せる。 「須磨浦は? 誰か付き合うてる人いんの」  お酒があまり得意ではない夙川が酔って絡みだしたが、小林も園田もそれを止めるようなことはなく、言下にどうなの、と目で問うてくる。たじたじとなると言うのはこういうことだ。 「そういう相手はおらんよ。そういうの、別にいいかなって」 「ふーん……」  三人はほとんど同時に唸るような相槌を打つ。小林がすぐに小声で心配そうな表情で付け加えた。 「あんた今日大丈夫なん? ユリのことずっと好きやったやろ」 「え?」  小林の追及に心底驚いた顔をしたのだろう。他の二人はそんな表情を見て、間の抜けたような顔になった。ちょっとの無言の後、何とか三人より先に声を出す。 「ユリを……? なんで?」 「なんでて」 「ええ、嘘やろ」 「バレてへんとか思てたんかいな」  怒涛のツッコミを受けて二重に驚く。やっぱりか、と園田が言って広く開けた額をぱちんと抑えた。 「あんたのことやから、誰にも知られてへんと思てるやろと思てたけど」 「ユリはユリでむっちゃ鈍いしな」 「あの頃はなんかドキドキとハラハラの毎日やったもん」  小林たちが勝手に話し出すのを遮るように慌てた声を出した。 「そんな訳あらへんやん。だってほら、あり得へんし」 「…………」 「…………」 「…………」  三人同時の無言攻撃に辟易しているところに式場スタッフの案内が入った。間もなく挙式開式のお時間とのことだ。縋るようにその声に振り返って「いこいこ式始まるって」と誤魔化すように率先して案内に従った。  まさかそんなことがと思った。あの想いはずっと封印していたつもりだった。だってそれは許されない想いで、自分の中でもそれが恋だと気づくには随分と時間がかかったのだ。  だからと言う訳でもないが、ユリとどうこうなろうと思ったことは一度もない。ただ、ユリと仲良くなりたい。彼女とできるだけ長く一緒に過ごしたい、と思っていた。いずれにしても自分はユリの隣には居続けられないのだ。だから、高校時代の輝くような思い出の欠片のひとつになれればいいと思っていた。彼女の結婚式に招待されたのは、その想いが遂げられた結果だ。今日自分はその願いが達成された喜びだけを連れてここへやって来たつもりだった。  それなのに、仲間たちはいったい何を言い出すのだ。  式場へ向かう通路を歩きながら、隣から注がれる小林の視線に気付いていたが、一度もそれを見返すことはなかった。バレていた。だが認めるわけにはいかない。美しい思い出の為に、ユリの名誉のために、それを認めるわけにはいかないのだった。  式場には一層の荘厳さが漂っていた。四階分ほどはありそうな高い高い天井、バージンロードの先には大きな祭壇とガラス越しに見える突き抜けるような空の蒼さがある。空気は清涼さを増し、少し肌寒いほどだった。薄く流れるパイプオルガンの旋律に、ユリたちを祝福するために集まった多くの人たちのささやかなざわめき……。  時間になってカリヨンが鳴り響く。それはあの日々の記憶と重なった。景色が、高校の懐かしい教室の色に塗り替わっていく。  ◆  授業の終わりに鐘が鳴って、待ちかねたようにユリが席を立った。鞄を肩に引っ掛けると彼女は「じゃ、また明日」と振り返ってから教室の前扉から出て行った。 「やっぱそうやわ」  肩越しに後ろの席からそう言ったのは小林だった。高校の制服は紺色のブレザーにグレーのスカートだったのを思い出す。みんな今とは違って化粧も下手で、いろいろとやっぱり子供だった。 「何がやっぱそうやわなん」  問い返したのは園田だった。それに答えたのは近くにいた夙川で、小林と四人でこそこそ話をする体になった。 「ユリ、三年の先輩と付き合い始めたらしいって話」 「モテるからなぁユリは」  それを聞いて心臓が凍るような気がした。いつの間にか恋を始めていたユリに、足のすくむような気持がしたのを憶えている。思えば友人以上の感情を抱いていたのはその頃からだったのだろう。無自覚と言うのは恐ろしいものだ。  それから毎日毎日、終わりの鐘が鳴ると駆け出すように教室から出ていくユリを見送った。ユリは教室の出入り口で必ず振り返る。そして目が合うと叫ぶのだ。 「須磨浦!」 「?」  ユリは曖昧な反応をする自分にニッカリと笑って手を振って寄越す。それにただ手を振り返す。本当にそれだけで満足だった。  あの日の教室のざわめき、傾いた太陽のオレンジの光線、ゆるやかに流れる気だるい時間の何もかもが手に取るように思い出せた。ノートをめくるように、アルバムを眺めるように、それは記憶に記された確かにそこにあった日々の風景だった。  ただ彼女を、ユリを見つめていた日々の過ぎて行った風景だった。  ◇  カリヨンが鳴りやんで聖歌隊の唄が流れ始める。ざわめきは消えて、大きな扉がゆっくりと開き式が始まる。  牧師と新郎がバージンロードを前まで行くと音楽が変わった。一度閉じられた扉が再び開き、次に出てくるのは父親にエスコートされるユリだった。一歩ずつ静かに進むユリは、小林たちと座る列のところまで来ると、ブーケを持つ手をちょいちょいと振って合図を送ってくれた。形のいい唇が小さく「アリガト」と動いた。それにみんなで強く頷き返す。  挙式は滞りなく進み、式後に案内された中庭でようやくユリと顔を合わすことができた。百人からいる参列者の中で、高校時代の友人に割かれる時間はわずかだ。 「須磨浦なんでスーツ? 蝶ネクタイとか可愛いけど」  ユリの第一声にほっとした。彼女に向けていた気持ちはバレていないようだ。夙川の言った通り、ユリはそういうものに鈍い。だが、小林は慌てた様子で割って入ってきた。 「背ぇ高いしな須磨浦、よう似合うてるとうちは思うけど!」 「そう? うちは須磨浦のドレス姿も見たかったなー」  夙川と園田も小林の援護射撃に入る。そんなに必死になるようなことではないと思うのだが、彼女らの友情なのだと思うと少しジンとくる。 「まあええやん、ほらタカラヅカみたいやし」 「そうそう悪い虫除けにもなるし須磨浦」  たが、ユリは「ええ?」とか「そう?」など笑いながら鈍さを発揮していた。 「今日はありがとうな。あとでブーケトスもするからみんな楽しんでってな。須磨浦も参加してよ」  そう言い残すとユリは別のグループの輪に迎えられて人波に消えていった。あとに残った高校時代の友人である自分たちは、一瞬の嵐を凌いだような心持でお互いを見合った。大きなため息をついて小林がこちらを見ながら頬を膨らませる。 「なんでこんな気使わなあかんねん」 「せやから使わんでええって」  苦笑いをしながらそう言ったが小林は少し怒っていた。「うちはあんたが傷つくんやったらそれが嫌なだけ」と言った。傷つくわけないやんか、と答えたら、小林は「そんならええけど」と口を尖らせる。首筋と耳の裏はいつものように紅潮していた。 「なんかあんたら怪しい雰囲気出しよんな」 「まあ高校同級の仲間やからなんでもええけど」  ぞっとしないような表情で園田と夙川が言った。  ユリだけを見つめていた日々が、いつの間にか終わっていたことをこの日ようやく確認した。  きっとこの先アルバムを開いて思う感情は、懐かしくこだまする仲間たちのざわめきだけなのだろう。それは淋しさなのか、喜びなのか、その全部がノスタルジックに梅雨入り前の空に霞んでいった。  カリヨンがまた鳴り響く。終わりの鐘がいつまでも緑の庭に鳴っていた。
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