ifを考えられない

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人間は忘れやすい生きものだと思う。 思い出話を語り合うにしても往々にして忘れたとか、覚えてないなんてことがざらにある。 それでも誰かが覚えてない思い出は、誰かにとっては一生忘れられない思い出なのだ。 人は誰かにした事は覚えてなくて、誰かにしてもらった事は忘れられない生きものだと思っている。 ソースは自分。僕には一生忘れられない瞬間がある、感謝してもしきれない程の恩を受けた。 助けてくれた本人はきっともう覚えてないし、助けたとも思っていないと思う。 だからこれはきっと自分だけの思い出話だ。 幼い頃、時期にして小学二年生。学校に馴染み初めながらもまだ新鮮なことや驚きに満ち溢れている時期。 友達もできて遊び回っても疲れない、体力無尽蔵オバケで大人泣かせの時期、その頃の僕は図書館に毎日通っていた。 3日に1回のペースで本を借り、空いた時間で読書をする、そんな大人しく暗い学校生活を送っていた。 友達がいなかったわけではないのだが、幼いながらにも、子供たちの中にはカースト制度やグループ制度があったように思う。 個人では仲が良くても、その子のグループじゃないから一緒に遊べない、そんな無惨なルールが暗黙のうちに存在していた。 1年生の頃は体育館で鬼ごっこをして時間いっぱいまで走り回っていた。 でも、一緒に遊んでいたグループの友達は2年生になってすぐに転校していた。 小学生になって初めてできた友達はたった1年でどこか遠い場所に行ってしまった。 その子がいなくなってからそのグループは徐々に緩やかに遊ぶ時間が減っていき、自然に消えた。 まだ夏にもなっていない時期だった。 そこから退屈を埋めるように図書室に行って本を読んだ、物語の世界は驚きと楽しさに溢れていて心躍るような気分を味わえたが、どこか物足りなさを覚えていた。 そんな風に図書館へいつものように通っていると、幼稚園が一緒だった友達が来ていた。 珍しくてつい声をかけた 「めずらしいね?どうしたの?」 彼は答えた 「あさどくしょがはじまるでしょ?あれのほんかりにきた」 その頃は本を読む習慣をつけようということで、ホームルームが始まるまでの30分間を本を読む、朝読書の時間が設定されていた。 「へー、そーなんだ」 純粋な感想を述べただけの僕はきっとこの頃からコミュニケーションが不得手だったように思う 「きみはどうして、としょしつにいるの?」 彼は純粋な疑問を僕に投げかけてきた 「あそぶともだちがいないから、としょしつにきてるの」 今にしてみればなんて悲しい言葉なんだろう、でも恥という概念がない低学年の小学生だった頃はすんなりその言葉を口に出せた それを聞いた彼は何か考えるようなそぶりをして、すぐに口を開いた 「このあと、ようじある?」 「ないよ、ひま」 予定の確認をされた。一体なんでだろうと疑問符が浮かんでいた 「じゃあさ!いっしょにあそぼう!ほんかりてから、たいいくかんにいるともだちと、おにごっこするから、きみもいっしょにあそぼう!」 勢いよく口にして、そしてとてもキラキラした目で僕に訴えながら手を差し伸べる 僕の返事は考えるまでもなく口にした。 「うん!」 彼の手を掴み二人で体育館へ駆け出した。 視界が広がり、見える世界が変わった瞬間だった。 自分の欲しいものをなんの躊躇いもなく与えてくれた。 退屈を一瞬で希望に満ちた時間に変えてくれた。 ひとりぼっちに沢山の仲間をくれた。 寂しさを楽しさにしてくれた。 その日から僕は彼の誘ってくれたグループで遊ぶようになった。 沢山の友達が増えた。 毎日のように休み時間に遊んで、放課後も遊んだ。 学校ではサッカーかキックベース、放課後は缶蹴りや鬼ごっこ、数えきれないほど遊んだ。色んな遊びを沢山した。 毎日が本当に楽しくて陰鬱とした気持ちになった事は無かった。 本当に毎日が楽しかった。 そんな彼とは今も親交があり仲良くさせてもらっている。 もしもあの日誘われなかったら?そんなifの物語を想像したことはなかったし、しても出来ない。 あの日唯一の後悔があるとすれば「ありがとう」って言えなかったこと。 幼い僕は、助けてくれた彼にお礼を告げることが無いまま現在まで来ている。 もう、今更言うのも恥ずかしいし、きっと言っても彼は覚えてないと言うだろう。 だから彼と会う時は心の中で言い続けている、あの日言えなかった「ありがとう」を
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