11月22日

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 救急車で運ばれた大介は、まもなく死亡が確認された。原因は、急性心不全だった。  幸恵は大介の眠る寝台にしがみついては、医者が止めるまで、永遠と泣き続けていた。  これは嘘だ。たまたま今日がこんな日になってしまっただけだ。目を覚ませば、またいつも通り大介は自分のそばにいて、また笑顔で仕事に出かけるに決まってる。そう思い込んでいた。いつの間にか、同じ日常が繰り返されることが当たり前に感じていて、大介が死んでしまう日が来るなんて、思ってもいなかったのだ。  けれど、もう同じ日々を繰り返すことはなく、日付はしっかり移り変わっていった。  あんなに「11月22日」が嫌だったのに。あの日が彼と過ごす最後の日になってしまったなんて。だからこそ、私はあの日をずっとループしていたのだろうか。今となっては、あの「11月22日」に戻って欲しいとさえ思う。例えループを繰り返すことになったとしても、幸恵が大介と過ごすことができたのは、あの日が最後なのだから。  でも、もう戻ることは無い。繰り返すことは無い。起きた事実を覆すことは、もう二度と叶わない。もう、大介と言葉を交わすことは無い。  なんで最後の日に、私はあんなに大介に迷惑をかけてしまったのだろう。  もっと笑顔でいればよかった。もっと無理をさせなければよかった。もっと優しくすればよかった。もっと、もっと、もっと……。考え出したら止まらず、全てが結果論だとしても、同じ出来事の繰り返しだからと、いつの間にか適当に過ごすようになっていた自分を、幸恵はひどく責めた。  そうしてもう止まることの無い日々を過ごしていく中で、幸恵はふと、大介が言っていた言葉を思い出した。 『素直にありがとうって言えばいいんだよ、こういう時は。本当に、お前はすぐ謝るんだから』  あなたはずっと、毎朝私に「ありがとう」と言ってくれた。例え、それがどの「11月22日」であっても。わざわざ気づいては、どんなに忙しくても、私に伝えてくれた。おかげで容易に思い出せる。その言葉を伝えている際の、あなたの笑顔を。  それなのに、私は謝ってばかりだった。最後の日だって、結局「ありがとう」と言えなかった。「ありがとう」を言われるのが、そしてそれを伝えることが、いかに特別なことか、大切なことか、まったく分かっていなかった。  けれど、もしかしたらあなたは知っていたのかもしれない。「ありがとう」と言える時間には限りがあること。そして、どんなに些細でも、その言葉一つが、かけがえのないものになり得ることを。  幸恵は毎日、仏壇に手を合わせては、あまりにも遅すぎる「ありがとう」を、口にし伝えるようになった。もう自分の自己満足でしかないかもしれない。けれど、伝えたかった。彼が自分に伝えてくれた分、自分も彼に伝えたいと思った。  ありがとう。  私と出会ってくれて。私と暮らしてくれて。私を支えてくれて。私を大切にしてくれて。私と話してくれて。私と笑ってくれて。私を愛してくれて。 「ありがとう」  そうして、仏壇に一つのグラスをお供えするのだ。あの日、大介と迎えた最後の「11月22日」に飲みかわした、あの酒を。
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