第4話 文雄

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第4話 文雄

 年末年始の納品は特に忙しい。文雄の車は、得意先へ納品する商品で一杯だった。  すでに流通している商品については、工場からの納品ルートが決められた日、決められた数量で流れるが、受注発注で販売する特殊なモーターの保守部品については営業自ら納品に行くことになっている。跡継ぎとはいえ、文雄も営業マンであり例外なく外回り戦力の一人である。  文雄自身は、こうやって外に出ることは嫌いではなかった。  会社にいれば父親の圧が息苦しいし、他の社員、特に役職者からの視線もついて回る。そんな中でもポーカーフェイスでやりすごしてこその跡継ぎだろうとは思うが、今の文雄には、まだそのプレッシャーに耐えられるだけの顔は作れなかった。 (さて、戻るか)  名古屋市内の機械製造メーカーに特注品を置いてきた帰り道だ。オフィス街を抜け緑豊かな公園を横目に見ながら車を走らせている。  これから会社の近くまで高速道路で戻り、残りの商品を納品することになっている。高速道路の渋滞情報には、すでに目的のインター近くで4km渋滞と出ていた。    いつものことだった。  文雄の使うインター付近は、事故が発生していなくても何故か慢性的に渋滞している区間だ。特に夕方になると文雄のような社用車や物流トラックも加わる。国道へ降りてもさらに駅前の踏切に捕まり、納品を終えて会社に戻るのは20時くらいになると予想される。 (もういいやゆっくり行こ、)  せっかちなドライバーに煽られないよう注意しながら左車線を走っていると、ふと、そこだけ音や動きのない景色が目の端に映り込んだ。一瞬のことだった。  僕の心象風景だろうか。一瞬の切り取りに、文雄はそんな事を考えた。  小さな映画館の前で、一度見かけたことのある顔が無表情で手持ち無沙汰に立っている。何を考えているのか分からない。そんな印象を受けた。 (あ、喫茶店の新人くんか)  文雄は気が付けば道路の脇に車を止め、彼の元へと足を踏み出していた。 「こんにちわ。バイトの子だよね?」  文雄は他人に話しかけるのを臆さない性格だ。人当たりの良さと気さくな話し方で、お得意さんからの受けも良い。中瀬さんとこの三代目頑張っとるね、安泰やね、という声を聞くと、ああ社長の顔に泥は塗れない、と文雄は思う。  この時も後先考えず話しかけてしまった。  ス、と彼は文雄の方を見て軽く会釈をした。文雄のことは覚えていたようだが、それ以上の反応はなかった。 「急に話しかけてごめん、僕の事覚えてる?」 「あ、はい。店長から聞きました。店の先輩だったんですね」 「ああうん。一昨年の終わり頃だったかな、あそこ辞めたの。その後なかなか新しい人が決まらないって言ってたから、君が来てくれてほっとしたよ」 「そうですか」  名前も年齢も知らないが、バイト先の後輩に当たるわけだし、と敢えて文雄はフランクな口調を通した。彼は特に気にする様子もない。文雄はそのまま会話を続けた。 「映画観に来たの?」 「はい」 「何の映画?もう観終わった?」 「コーヒーが冷めないうちに、です。今観終わって出てきたところです」 「あ、それ僕も観た。早朝に2人で飲むコーヒーが美味そうでさ」 「そうなんですか」 「そうなんですか、って、君今観たんじゃないの?」 「観たというか、まあ、なんとなくです」 「あ、そう」 (幾つか知らんけど随分斜めに構えてんなぁ) 文雄は彼に話しかけたことを少し後悔した。  ちぐはぐな心象風景が妙に心をざわつかせた。
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