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第5話 到流
今週の水曜日はシフト休だ。とはいえ休んだところで何をするわけでもない。掃除と洗濯でもするかと思っていたら、店長から
「田川くん、たまには名古屋にでも出てみたらどう?」
俺これ観ちゃったやつだからさ、と映画のチケットを押し付けられた。貰ったはいいものの、正直映画に興味は無い。到流は「はあ」と返事をして、そのチケットを幾分煩わし気に眺めた。
遅く起きた休みの日の朝、祖母から電話があった。父親が出所したとの連絡だった。
服役中に刑務所から一度手紙を貰ったことはあるが、祖母を通じて届いたその手紙は読まずに捨てた。後で祖母から「お前に会いたいって言ってるけどどうする?」と尋ねられたが、それも拒んだ。それ以来祖母から父親の話が出ることは無かった。
(こういうのっていきなり来るもんなんだな)
祖母との電話を終えた後、到流は急に息苦しくなりコップに水を注いで一気に飲み干した。ゴホッ、ゴホッ、ぇッ…水が気管に入り思わずむせる。水の無いところで溺死なんて推理小説じゃあるまいし。到流は涙目になった顔をタオルで拭いた。
初犯ではあったが悪質な事件であると判断された父親は、実刑判決を受け服役していた。到流は中学を転校する羽目になったが、転校先でもあっという間にその事実は広まった。
到流は自分を置いて逃げるように福井から出て行った母親に対しては何も思うことなど無かったが、近くに住んでいた祖母のことが心配で、祖母の家から学校に通い続けた。
(どうせどこに行っても同じだっただろうし)
父親には、一生刑務所に入ってて欲しかった。
──部屋にいると本当に溺死しそうだ。
到流は店長に貰ったチケットを財布に仕舞い、履き古したスニーカーに足を入れた。
名駅で降りるのは引っ越して以来で、相変わらずどこに何があるか分からない。
太閤通口と桜通口があるから間違えないでね、映画館は太閤通口ね。と店長に言われたが、それ以外にもなんだかいろいろ出入口があって迷子になりそうだ。
とにかくスマホのナビどおりに歩いて行くと、気を付けていないと見逃してしまうほど小さな映画館に辿り着いた。慣れない到流には入りづらい外観だったが、ひとつ呼吸をして館内に足を踏み入れた。
貰ったチケットには『コーヒーが冷めないうちに』とあった。気鋭の若手女優が主役を務める邦画だ。残念ながら到流は出演者のどの顔も知らなかったけど(1人だけ、昔歌を歌っていた女優の顔は見たことがあった)、邦画なら気後れも減るな、と少しほっとした。
店長は本当にコーヒーが好きなんだな、というのが観終わった後の到流の感想だった。
ほんのり切ない過去についてそれぞれが思いを巡らせる、みたいなタイムマシン展開は感心したけど、到流にとって過去は戻るものでも変えるものでもないものだから、到流自身がそれについて感情を揺さぶられるようなことはなかった。甘酸っぱい場面でも胸が高鳴るようなこともなかった。
(僕はそういうことに疎いんだろうな)
到流の感情が揺れる時は、多分来ないだろう。悪い方に揺れることはあっても、甘い気持ちや満たされる感情に自分が浸ることはきっと無い。暗い穴にいつも引き摺られそうになりながら生きて行くだけだ。
持て余した時間が潰れたことが今日の一番の収穫だな、と思いながら映画館を出た。外はもう夕方で、だいぶ日が落ちかけていた。
さてこのまま帰るか、なんか食べて行こうか。映画館の前で考えを巡らせていた時、
「こんにちわ。バイトの子だよね?」
自分のことだろうか、こんなところで?誰が。到流はまさかと思いつつ声のする方に顔を向けると、覚えのある顔がにこやかに立っていた。
ああ、パーソナルスペースの狭い人か。到流は喫茶店で話し掛けられた妙に馴れ馴れしい男性客について、以前喫茶店に勤めていた先輩だと聞いた。店長と同じようにコーヒー好きのリア充なんだろうな、到流は抑揚のない目で会釈を返した。
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