第6話 車内

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第6話 車内

「えっと、じゃあ僕これで」  彼は文雄に再び会釈をすると、キョロキョロと辺りを見回しながら区役所方面へ歩いて行こうとした。 (え、電車に乗りたいん、だよな?) 「あのさ、もし駅に行きたいなら反対だけど」 「え、あ、…そうなんですか」  すいませんありがとうございます、小さい声で彼は言った。俯いた顔が急に頼り無げに見えた。ああそうか斜めを向いてるんじゃない、どこも見ないようにしているんだ。  文雄の中で、彼の印象が一枚上書きされた。 「方向、一緒だよね?ちょっと時間かかるけど車乗ってく?」  案の定高速に入ってすぐ、目的地の渋滞情報が更新された。 「6kmかあ。ごめん電車より掛かっちゃうかも」 「いいです、今日はどうせ予定なかったですし」  相変わらず彼はどこを見ているのか分からない。前を向いているようでどこでもないところを見ている。ちらり、と文雄は顔色を伺った。 (さっきの違和感は、これかもしれんな) 切り取られたような一瞬の風景。地図を無くして迷子になっている子供。 …でも車には乗ってくれたなぁ、文雄は心の中で小さく安堵の溜息をついた。 「えっと…なんて呼べばいいかな?せっかくの縁だしさ」 「…田川」  ぽつり、と彼は呟くように言った。 「田川到流(たがわいたる)、です」 「田川君、か」 「到流でいいです。…名前、教えて下さい」  聞き返されるとは思わなかったから、文雄は思わず動揺してハンドルを動かしてしまった。バックミラーを覗くと、後続車の運転手がじろっと睨んでいた。 「あ、僕は中瀬文雄(なかせふみお)です。よろしく」 「よろしくお願いします」  淡々と自己紹介が交わされた。 「たが…到流君は、こっちの人?」 「いえ、6年前に福井から出てきました。大学を卒業して、…ずっとフリーターを」 「そっかあ。どこ大?」 「愛学です」 「お、知り合いにおるわ。こっちでずっと一人暮らし?」 「はい」 「1人だとなにかとえらいよな?」 「…別に偉くはないですけど」 「あ、ごめん。しんどいよねってこと」 「ああ…。慣れましたね。自炊のメニューがいつも一緒で飽きましたけど」 「自炊するだけ偉いわ、あ、こっちはほんとに偉い、ね」 「はい」  やっと会話が繋がったと思ったが、そこであえなく途切れた。渋滞の尻尾に捕まった。ここから6km。無言の車内はさすがに気まずい。文雄はFMを付けようと手を伸ばした。 「祖母に」 「え?」 「祖母に教わったんです。料理」 ─────────────  なぜ僕はこんなことを話し出したんだろう。到流は自分の口から出た祖母の話に、戸惑った。中瀬さんという人がただの馴れ馴れしい人ではない気がして、思わず会話を繋げてしまった。  父親の出所が頭の隅にこびり付いて、一日中息苦しかったせいかもしれない。浮き輪のようなものが欲しかったのかもしれない。 「祖母から野菜とか送られてくるんで。煮物とか野菜炒めとかですけど」 「いいじゃんいいじゃん、充分だよ」 「そうですかね。なんか、地味で」 「そういうの作れる方が凄いんだって。僕なんかずっと飲食店にいたのに、結局サンドイッチとパスタしか作れないもんな」 「中瀬さんは」 「ああ、僕も文雄でいいよ」 「あ、はい。文雄さんは、ずっとあの店で働いてたんですか?」 「うん。大学在学中から…7年くらいいたのか。長いな。将来自分で喫茶店を開きたくて勉強させてもらってた」  やっぱりコーヒー好きか。ならあの映画も観た筈だ。 「文雄さんは、いつ観たんですかあの映画」 「去年かな。ちょっと気持ちの踏ん切りつけようと思って」 「踏ん切り?」 「過去に戻っても何も変わらないんだって自分に納得させたかった、ってとこかな」  まあ無理やりだけどね。少しだけ自嘲気味に中瀬さん…文雄さんは笑った。ああなるほど。この人はパーソナルスペースが狭いんじゃない、わざと狭くしているんだ。あの人は付き合いのいい人だという強固な盾が、この人の周りを取り囲んでいる。  中瀬文雄という人の闇に触れたような気がした。到流とは違うやり方で、周りを拒絶している。 「いつかお店やられるんですか」  到流は少し意地悪な質問をしたくなった。他人に踏み込まれない、踏み込まないように生きてきた到流にしては珍しいことだった。 「残念ながらその予定はもうないな」  文雄の顔は終始にこやかで一瞬の翳りも見せなかった。
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