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駅前マスターは名探偵 #冷たいあの人
冷たい人ってどんな人だろう。体温が低い人。他人に対する態度が粗雑な人。物事に動じないクールな人。人によって思うところはそれぞれだと思うが、実はどれもその人の表面的な部分に過ぎないものだったりする。
手が冷たい人は心が温かい、というのは誰しも一度は聞いたことがある話だろうし、態度が粗雑だったり荒かったりする人が、実は恋人や家族をすごく大切にしていたり、クールな人が胸に熱い感情を秘めていたりするなんてこともしばしば。
俺はそういうの大好き。いわゆるギャップ萌えというやつだ。
俺が経営しているBARスルースは、都心の駅前、大通りに面したとてもアクセスの良い場所にある。今いるのは、そんな俺の店よりもさらに駅に近い場所で商売をしている、一軒の花屋だった。
店の外に置かれた植木鉢やプランターには色とりどりの花が咲き誇り、冬という季節をものともせず、その鮮やかさで道行く人々の足を止める。
自動ドアから店内に入ると、花独特の甘く優しい香りで肺までいっぱいになった。
「いらっしゃいませ」
レジカウンターの中でこちらを振り向くのは、花屋というにはあまりにスタイルの良いひょろっとした若い男。しかし、仕事道具が詰められた紺色のエプロンと、見る者の心を安らげる柔らかな笑顔は、この店内によく馴染んでいた。
「こんにちは、カヅキ君。今日もここの花たちは元気だね」
「水無瀬さん!おかげさまで。いつものお店用の花ですか?」
俺の店では、普段から店内に花を飾るのが習慣になっていた。バーという店の性質上、食事を頼む客はあまりいないので、料理の代わりにテーブルの上を飾ってくれる物があると華やかになる。それに、季節によって花の種類を変えたりするだけで従業員にも客にも飽きが来ないし、話のネタにもなった。
「そう、バレンタインデーも終わったし、花の雰囲気を少し変えようと思って」
「かしこまりました。品切れの花はありませんので、今ならお好きなものを選んでいただけます。あとは先日入ったばかりの新しい種類も……」
カウンターから出てきたカヅキ君が、ずらりと並んだ花たちの前で説明を始める。通年で扱っている花、加工済みの花、季節限定の花……。
テーマに沿った色合いやアレンジの仕方など、カヅキ君の話に「ふんふん」と相槌を打ちながら聞いていると、背後の自動ドアが開き来客を知らせる鐘がカランカランと音を立てた。
説明を区切り、振り返ったカヅキ君が店の入り口へ目を向ける。そこには、ブレザーの学生服を着た色黒の青年が立っていた。
青年の姿を見た途端、カヅキ君がぱっと顔を輝かせる。
「タクヤ!早いね、学校はもう帰り?」
「……ああ」
タクヤと呼ばれた青年はカヅキ君を見ると、短く返事してすぐに視線を逸らした。
「水無瀬さん、紹介します。こいつは俺の甥っ子のタクヤ。今年の四月で大学生になるんです」
俺に笑顔で彼を紹介するカヅキ君の後ろで、当のタクヤ君本人は、その長い前髪の間からギロリと俺を睨み付けた。
おっと、どうやら歓迎されていない。それとも、思春期ってみんなこんな感じだっけ?三十三にもなるとその辺の感覚を忘れてしまう。
「タクヤ、この人は水無瀬慎司さん。雑誌とかで話題になってる探偵バーテンダーさんだよ。お客さんの服装や仕草だけで、その日の行動を言い当てられるすごい人。うちのお得意様なんだ」
紹介ついでに褒めてくれるのは嬉しいが、タクヤ君の視線がますます鋭くなって俺に突き刺さる。長身で色黒の彼は高校生らしく髪型も今風にきっちりセットしていて、睨まれると迫力があった。
「甥っ子がいるなんて知らなかった。カヅキ君にはいつもお世話になってます、よろしくね」
俺の口から出た、カヅキ君、という下の名前に、タクヤ君の表情は一層険しくなった。
これは相当な叔父さん大好きっ子と見た。俺とカヅキ君の関係をはかりかねて怪しんでいる。俺は悪い大人だから、こういう若い子を揶揄うのはとても楽しい。
彼としては俺のことなんて無視したいところだろうが、大好きな叔父の得意先を無下に扱うこともできないと思っている。見た目のワイルドさに反して聡明な子のようだった。
「………どうも」
ぼそりと呟くように言ったタクヤ君は、真っ直ぐにレジカウンターへ向かう。
「今日は注文だけ?姉さんからは何も聞いてないけど」
カヅキ君の問いに、タクヤ君はカウンター上のチラシを見ながら頷いた。
「そっか……じゃあ、悪いけどそこでもう少し待って…」
「あ、俺は後でいいよ。どれにするかもう少し悩むから。先に注文やってあげて」
その言葉に俺とタクヤ君を交互に見て、カヅキ君は申し訳なさそうに笑った。
「すいません、ではお言葉に甘えて少々失礼します」
たたっ、とカウンターの中へ駆けていき、待っていたタクヤ君とチラシを覗いて花を選び始める。俺は花の並んだ棚を眺めるふりをして、ちらっと、こちらに背を向けるタクヤ君を観察した。
色黒で黒髪、制服だからわかりにくいが恐らく体格もいい。スクールバッグではなくスポーツメーカーのエナメルバッグを持っているあたり、何かスポーツをしているのは間違いないだろう。あと五年もしたらいい男になりそうだ。
よく見ると、黒いバッグのファスナーが少し開いていて中が見えていることに気が付いた。いやいや、さすがに人様の荷物まで覗くのは……と思うものの、見えてしまったものは仕方ない。
僅かに開いた隙間から見えたのは、花が詰められた細長い瓶だった。
(あれは…ハーバリウム?)
ハーバリウムとは、瓶の中に植物と専用のオイルを入れてインテリアとして楽しむ標本のことだ。近年特に女性の間で流行しているが、男子高校生が持ち歩くようなものではない。
不思議に思って首を傾げていると、注文を終えたらしいタクヤ君がくるりとこちらを振り向く。その時、ところどころ黒く汚れた左手が目に入って、理解した。
(……あー…なるほど)
用事を済ませたらしいタクヤ君が店を出て行く。すれ違い様、こちらを一瞥した瞳はやはり敵対心を帯びていた。
店内に二人だけになって、カヅキ君が慌てた様子で戻ってきた。
「すいません、あいつ愛想悪くて」
「いやいや。あのくらいの子は難しいからね」
「…俺が十歳のときにタクヤが生まれたんですけど、小さい頃はどこに行くにもついてきて本当に可愛かったのに」
タクヤ君が出て行った店の入り口へ視線を向けて、カヅキ君は目を細める。
「今じゃすっかりクールというか、少し冷めた感じの子になってしまって。ちょっと寂しいです」
眉を寄せ、一瞬悲しそうに目を伏せて、すぐにいつもの笑顔に戻る。
「なんて、余計な話でしたね。花は水無瀬さんのお店の開店前に持って行きますが、決まりましたか?」
「あー、えっと、それじゃあ…これと、あれと…」
カヅキ君に花をお願いして、店を後にする。店を出て駅のほうに曲がり、駅前のロータリーをぐるっと回った向かい側に俺の店があるのだが、ロータリーの途中、人の多い駅の目の前で、雑踏に紛れるように壁際に立っている姿があった。予想通りだ。
「やぁ。カヅキ君のお店が終わるの、待ってるのかい」
声をかけられた青年…タクヤ君は、先ほど店で会った時よりも露骨に嫌そうな顔で俺を見た。
「………なんか用すか」
「邪魔をしたみたいだったから、一言謝ろうと思って。それ、カヅキ君に渡すつもりだったんだろ?ハーバリウムと、恐らく手紙も」
彼の俺を見る目が、敵対の色から驚きの色へとみるみるうちに変わっていく。そして、最終的に信じられないものを見る目でこちらを見ていた。
「…何で…」
「君のバッグが少し開いてて、中が少し見えちゃったんだ。瓶にオイル漬けの花が入っていたし、その左手の黒い汚れは……隣の駅にある縁結び神社の、手紙コーナーでついたもの。あそこ左側の鉛筆置き場が汚れてるから、どうしても手に付くんだよね。今どき高校生は学校で鉛筆なんて使わないと思って」
俺が自分の左手を示すと、タクヤ君はサッと自分の手を確認する。気付いていなかったのか、本当に手が汚れていたことに驚いた様子だった。
「……。……相手は…カヅキさんじゃないかも、しれないだろ」
ふむ、あくまで認めないのか。純粋そうな彼をこれ以上つつき回すのはあまりいい気がしなかった。しかし、真実が隠されそうになると暴きたくなってしまうのが、俗に言う探偵と呼ばれる人種の悪癖だ。
「あー……ハーバリウムの中身、とても綺麗だったよな。もう一度ちゃんと見せてくれない?」
突然の俺の頼みに、どうしようか少し悩む素振りを見せた後、しぶしぶバッグから瓶を取り出して見せてくれた。綺麗に仕上げられたそれが、丁寧に愛情を込めて作られた物だということは一目瞭然だった。
「やっぱり綺麗だね。底に敷かれた赤いナンテンの実と、全体に散らされた赤い薔薇の花びら。とても情熱的な感じがする。でも、俺が気になったのは……真ん中に入れられた、この青い小花」
青い小花が集まって、ボンボンのような丸い一つの花になっている。瓶の中央で浮くそれが、真っ赤な薔薇に包まれて、その美しさをより際立たせている感じがした。
「エリンジウム。花言葉は『秘密の恋』。なかなかお洒落なことをするなぁって、感心したよ」
叔父と甥、生まれた時から親族として過ごしてきた彼にとって、それはまさに秘密の恋心だったのだろう。
顔を上げてタクヤ君の顔を見ると、先ほどまでしかめっ面だった顔が耳まで真っ赤になってしまっていた。これだから若い子を揶揄うのはやめられない。
「っ……それで。探偵さんはわざわざ俺を追いかけて、笑いに来たのか」
お、やっとまともに口をきいてくれた。
「違うよ。人は歳を取るとね、若い子にお節介を焼きたくなるのさ。ここで待つより、座って待てるところに来ない?落ち着いた場所で渡したいでしょ」
自分の店のほうを親指で示す。
こんな若い子を連れて戻ったら旭に怒られそうだけど、まぁ、それは良しとしよう。
旭に嫉妬されるのは予想していたが、カヅキ君をここまで驚かせてしまうとは、想定外だった。
カヅキ君は持ってきた花たちを落としそうになって慌てて抱え直し、営業前の店内でカウンターに座るタクヤ君と、その前に置かれたグラスを見て、青ざめた。
「えっ……!?何で!?旭君!タクヤは未成年だよ!?」
タクヤ君の前でグラスを磨く旭に、戦慄きながら訴える。
「大丈夫ですよ。ノンアルコールです。材料はオレンジジュースとレモンジュースと、パイナップルジュース。ただのミックスジュースと変わりませんから。一応、シンデレラって名前の付いた立派なカクテルだけど」
テーブル席のほうに花の箱を置いて、タクヤ君が差し出したグラスを受け取り、おそるおそる口をつける。一口飲んでアルコールが入っていないと確認できたのか、グラスをカウンターに置き、安堵した様子を見せた。
「でも、何で水無瀬さんのお店にいるの?帰ったと思ってたのに」
「………これ」
タクヤ君がバッグからハーバリウムと一通の封筒を取り出して、自分の隣のカウンターに置く。
カヅキ君は、自分の目の前に置かれたそれと、旭と俺の顔をそれぞれ見て、最後にタクヤ君へ視線を戻した。
「俺に、くれるの?」
こくんと頷き、タクヤ君は自分のバッグを持って椅子から立ち上がる。
「……じゃ、俺帰るから。旭さん、ごちそうさまでした」
「またいつでも来て。成人してからでも大歓迎だよ」
(いや、俺の店なんだけどな…?)
まるで自分の店のように言い、タクヤ君を裏口へ案内する旭を見て思わず苦笑する。タクヤ君はこの短時間で歳の近い旭にすっかり懐いたらしく、カヅキ君が来るまで何やら楽しそうに話し込んでいた。
……旭が何か悪いことを吹き込んでいないといいのだが。
「これ…エリンジウムって…」
ハーバリウムを手に取り、まじまじと眺める様子に声をかける。
「とりあえず座って。もう仕事終わりでしょ、お茶でも飲んでいきなよ」
「は、はい」
俺に言われるまま椅子に座り、丁寧な字で「夏月さんへ」と書かれた封筒を見つめている。
「…あの……まだ、開店まで時間ありますよね?これ、ここで読んでいってもいいですか?家で一人だと、読む勇気が出ないと思うので…」
「もちろん、いいよ」
お茶の入ったグラスを受け取って、カヅキ君は緊張した面持ちで封筒を開けた。中から取り出されたのは三枚ほどの、二つに折られた手紙。
カヅキ君が静かにそれを読んでいる間、俺は戻ってきた旭と二人で開店準備を進めた。しばらく、会話のない静かな時間が店内に流れる。
準備が落ち着いた頃、再びカヅキ君に目を向けると、震える手で口を覆い、片手に握る手紙を穴があくほど見つめていた。目元が、今にも泣き出すのではないかと思うくらい、赤い。
「水無瀬さん……俺、あいつのこと、冷めた子って言いましたよね?」
「言ってたね」
「とんでもない。こんな……、こんな熱いラブレター、生まれて初めて読みましたよ」
良くも悪くも、混乱しているのだろう。カウンターに肘をつき、今度は両手で目を覆う。
「そんな…ええ……いつから…?」
彼からすれば、幼い頃の、それこそ赤ん坊の頃から知っていた甥っ子が、いつの間にか自分に対して恋心を……もしくはそれ以上の感情を抱くようになっていたのだ。驚くのも無理はない。
「この歳になって、こんな気持ちになるなんて。しかも甥に。そんなことあります?」
「あの子の気持ち、真剣に受け止めてあげてくださいね」
狼狽えるカヅキ君に、真剣な表情の旭が言う。
「俺もまぁ、慎司さんとはこういう関係で、俺が一回り年下だから、タクヤ君の気持ちはわかるんです。子供の気の迷いだ、って言われるのが一番傷付くと思う」
旭は立場的に、タクヤ君に対しては色々思うところがあるに違いない。逆に俺はというと、もちろん、カヅキ君の気持ちは痛いほどわかる。
顔を上げたカヅキ君が、視線を彷徨わせ、慎重に言葉を選んでいた。
「違うんだ旭君。俺は……もう、二十八なんだ。タクヤに本気で……仮にだよ、仮に、本気でタクヤのこと、好きになっちゃったら…もう、二度と放してやれないって、思うくらいには、大人になっちゃったから…」
どうしたら…と、項垂れて本気で困っている様子に、瞬きを繰り返した旭がフッと笑みをこぼす。
「……それ、そのままタクヤ君に伝えてあげたほうがいいですよ」
「強いお酒出そうか?今から追いかけて返事する?」
ウイスキーのボトルを持ち出した俺に、真っ赤な顔で「もう!」と怒るカヅキ君を揶揄って、店の開店時間が来るまで三人でのんびりとした時間を過ごした。
あの日カヅキ君が持ってきてくれた花が終わり、また新しい花を迎えるため俺と旭が花屋へ向かうと、そこには新しい従業員が増えていた。
「……いらっしゃいませ」
体格のいい男がエプロンを纏う姿はとてもいい。眼福だ。
そんなことを思ったのがバレたのか、少しムスッとした旭に背中をつつかれる。俺にとって、旭よりいい男なんているわけないのに、相変わらずのヤキモチ焼きだ。
「こんにちはタクヤ君。アルバイト始めたんだ」
「はい。カヅキさんが、許してくれたんで」
旭とタクヤ君が話し始めるのを横目に、俺はレジカウンターのある店の奥まで進んだ。
「やぁ、調子どう」
俺を見たカヅキ君が困ったようにはにかむ。
「おかげさまで、ご覧の通り色々と丸く収まりました」
「良かった。君のことだから難しく考えてるんじゃないかって、旭と心配してたんだ」
「あー、それがですね……もちろん色々悩んだんですが…」
言いにくそうに、額に手を当てて視線を逸らす。
「……俺の姉夫婦が、つまりタクヤの両親ですが、……タクヤが俺のこと好きだったの、知ってたらしくて」
思わず「え」と声を漏らした。それはそれは……本当に丸く収まったということだ。
「さすがに姉に秘密で、その…関係を築くのは気が引けたので、殴られる覚悟で行ったんですが…拍子抜けしましたよ」
恥ずかしそうな、しかし心底嬉しそう顔に、こっちまで幸せオーラが伝染してくる気がした。心なしか、店内の花たちもいつにも増して活気に溢れている。
「今日も、お店の花ですか?」
「そうそう、今日は旭の大学も休みだから久々に一緒に来たんだけど……おーい旭」
振り向くと、旭とタクヤ君はまだ何やら話し込んでいる。
「若人二人、何の話してるの?」
タクヤ君はこの春から大学生だと言っていたし、単位とかサークルとか、そういう話だろうか?
こちらに顔を向けた旭は、ニヤリと悪戯っ子のような笑みを浮かべる。
「何って。年上のスマートな押し倒し方を、ちょっとさ」
「お前なぁ…」
俺は呆れた顔でため息をつき、カヅキ君の表情を伺う。てっきり「タクヤは未成年だよ!」と赤くなって怒るかと思いきや、頬を赤らめたカヅキ君は笑って首を傾げた。
「それは……二年後が待ち遠しいね」
思わず、俺と旭は顔を見合わせた。
旭がタクヤ君に同情の目を向ける。
「えっとー……お前よくカヅキさんと仕事できるな?俺、慎司さんにあんなこと言われたら秒で押し倒すけど」
「毎日、修行してる気分っすよ…」
赤くなった頬を手で隠して、タクヤ君が顔を背けた。
冷めていると思われていたタクヤ君が内包していた熱で、カヅキ君はすっかり溶かされてしまったらしい。付き合い始めたばかりのカップル特有の、熱くて甘い空気が店に満ちていて、早いところ花を決めてしまおうと、俺と旭は花を選び始めた。
(END)
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