魔法少女狂葬曲

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 天気予報は夜から雪で、夕暮れの外気はからっからに乾燥していて肌に刺さるほど寒かった。その分、沈んだ夕陽が残すグラデーションの空はバカみたいに透き通っていて綺麗だ。  ヘブンズゲートは、地下5階、地上63階からなる高さ321メートルの日本有数の高層ビル。タワーの下部、約三分の一が商業施設で、それ以外はオフィスやホテルになっている。有名百貨店が運営する地下の食料品フロア(デパチカ)は大盛況。客同士が、寿司シャリの米粒のように微かな隙間だけを残してくっつきあっていた。人間嫌いにとっては拷問のような光景だ。  ビルにはエレベーターが合計で58機設置されていて、その内4機は最新鋭で、高速で最上階の展望台へ運んでくれる。その展望台からは、河川の多い都会の全貌を見下ろすことができた。この高さからでは人の姿は肉眼では確認できない。高層の展望は、ウザったい人間たちをミクロの細菌にしてしまうほどの開放感があり、ここから消毒液をばらまけばすべてを殺菌できるんじゃないか、そんな妄想に駆られる者もいなくはないかもしれない。  タワーの地上二階の中央エントランスは最寄り駅に繋がる連絡通路と繋がっていて、人の出入りが最も多い。  午後六時、西の空が完全に赤みを失った頃、そのエントランスに二十名ほどの集団がやってきた。年齢・性別、体格はまちまち。さらに、ハロウィンの夜のようにそれぞれが個性的に仮装しているのだ。バラバラな彼ら彼女らの、表情だけは統一されていて、全員の視線が一点に集中している。ドミノ倒しのように向きを変える魚の群れに似た動きで、みるみるエントランスに近づいていった。揃った足音と、日没の冬の闇が、その集団を百鬼夜行に見せる。異様さを感じた周囲の通行人たちが、妖怪のパレードを避けて道を作った。普段なら、客の出入りが激しい自動ドアの入口が、一時無人になり、仮装の群れはスムーズに入館することが出来た。 「みなさん、さようなら」  先頭に立つ、カラスのような黒いドレスを着た若い女が誰にも聞こえないようにつぶやいた。片手に銀色のアタッシュケースをぶら下げるその黒い女は、顔の片側で笑っていて、白目は血走っていて少々赤い。肩を大げさに振りながら歩く様は、暴○団の若頭といった雰囲気だ。彼女らは、ドアをくぐってすぐ右手の広いエレベーターホールでストップした。高い天井には一機、シャンデリアが咲いている。カラスのドレスの女がツアーの添乗員のように皆にいった。 「一時解散。各自武器を調達して、十五分後に三階のエスカレーター横のイベント広場に集合」  パンッ、と手を叩くと、みな一斉に別々の方向に散っていった。ある者は、元旦に福男の称号をめぐって神社の境内を全力疾走する男のように走り、またある者は、陽気な子供のようにリズムよくスキップし、またある者は、ドカドカと重い足音をたてるハリウッド映画のサイボーグのように歩いた。足の運び方は全員違ったが、醸し出す雰囲気の統一された様が変わることはない。みな、「刺激が足りない」と目で語っている。    その頃、地下一階の菓子売場で、白鳥希が祖母と一緒に母の誕生日ケーキを探していた。混雑する売場の人だかりを、草むらを分け入るようにして進み、やっとのことでケーキ屋のショーケースの前にたどり着いた。すると、照明が仕込まれたガラスケースの中に広がる絶景と対面して胸を躍らせた。シルクのドレスをまとった純白の苺ショートや、玉状にくり抜かれた艶々のメロンボールが照明と戯れるムースケーキ。ザッハトルテもシュークリームも焼きプリンもある。それらが、新興住宅地に並ぶ新築のように、規則正しく美しく陳列されているのだ。10歳の希は、ガラスの中の宝石を眺めているだけで、既に幸せいっぱいになっていた。  彼女の肌は釜戸で炊いた高級米のようで、白くふっくらしている。瞳の白い部分も、山の湧き水で淹れたカルピスみたいに澄んでいた。髪も黒々とした健康的な艶があり、きっちりと整えられていて、着衣はブランドもの。近所で有名な名家のお嬢様、“選ばれし者”である。 「希ちゃんが選んでくれるかしら、お母さんの分」 「わかりました」  希は、ブランドの香水をセンスよく漂わせる祖母に、笑顔で返事をした。大好きなお母さんは、チョコレートが大好きなのだ。だから迷わずザッハトルテを選んだ。  そんな光景を、近くから別の女性が目を細めながら見ていた。年齢は70歳ぐらいだろうか。希の祖母ほど高級そうな出で立ちではないが、そこそこ小奇麗だ。  希が、母用のザッハトルテと、自分用のイチゴショート&シュークリームと、父と祖母父の分のケーキ、つごう5切れを購入して店をあとにすると、70ほどの女も同じ店でモンブランをワンピースだけ買った。    同時刻。4階のおもちゃ売場に、先ほどの仮装集団の中の数人が来ていた。変な格好に異様さを感じずにはいられない店員たちが、陳列棚の隙間から怪訝そうに彼ら彼女らを見ている。  エアガンのコーナーで自動小銃のモデルガンを手にとったゾンビに仮装した若い男がいった。 「俺はこれにする」  隣の、海賊に扮装したもっと年上の男はハンドガンの模型を握っている。 「じゃあ俺はこれで」  さらに別のアメコミヒロインになりきった女は、サバイバルゲーム用のダガーナイフを掴んだ。刃の部分がゴムでできている安全な物だ。そしてもう一人の背が低くて中学生ぐらいの妖精姿の女の子は、少し離れた低年齢向けの玩具コーナーにいて、折り紙のセットをチョイスした。金と銀が一枚ずつ入ったちょっとだけ贅沢なやつだ。  皆、選び終えると売場の中央に集まり、お互いの手にある玩具を見比べて頷き合った。 「じゃあ、集合場所に向かうとするか」  海賊が言うと、一斉にエスカレーターに向かって歩きだした。だが、全員が握っているそれらはすべて未精算。当然、店員が駆け寄ってくる。 「あの、お客様がた」  40歳程の女性だった。売場のチーフだろうか。そんな雰囲気がある。 「精算がまだお済みでないようですが」  女がそう続けると、ゾンビの男が、うるせぇよ、と言って店員の胸にマシンガンの銃口を突きつけた。プラスチック製のそれは、鉄で出来た本物のような重い光沢感はない。 「ゴタゴタ言ってると撃ち殺すぞ」  おもちゃの銃で脅しながらゾンビがいうと、その滑稽さに、店員は目に嘲りを浮かべた。髪をオールバックで固めた制服姿の女性店員は、ため息をついて言う。 「おもちゃの銃で人は殺せないと思うのですが」  言葉は接客用だが、呆れ返っているのが露骨にわかる言い方だ。死体みたいな男が、ムッとして、殺せるぞ、といって、 「マジカル・チェ……」  と言いかけたのを海賊王が、やめろ、と静かに制した。真冬のすきま風のような冷たい声でつづける。 「マリアンヌの指示なしに、勝手なことをするな」  彼はポケットからクレジットカードを取り出して、これでお願いします、といいながら店員に渡した。店員は、頭の痛いガキにうんざりしながら営業スマイルで、かしこまりました、とカードを受け取って、会計作業をさっさと済ませた。  さらに同時刻。数分前に妖怪が行進していた二階エントランスに、雄の黒猫が一匹やってきて、締まりかける自動ドアの隙間を矢のようにすり抜けた。エレベーターホールで急停止して、めまぐるしい早さで首を振りながらあちこちを見回している。スレンダーなその猫は、クレヨンで厚く塗りつぶしたように真っ黒だ。 (まずいニャン。マリアンヌが想像以上に早く動き出したニャン)  館内はペット禁止。客が騒ぎ出し、近くにいた男性警備員二名が、小さな侵入者を追い出すために慌てて駆け寄ってきた。二人の体格は対照的で、ペアで並ぶとダイエットのビフォーアフター写真みたい。 「コラ、出ていけ」  二人が、しっしっ、と手で払うが、影よりも黒いその猫は、相変わらずキョロキョロと夢中で何かを探しつづけていた。鈍感な猫だ、と思った太いほうの警備員は、手でつかんで外に出した方が早いな、とマッチ棒みたいに細い相方にいって、ゆっくりと猫に擦り寄った。脂肪でパンパンに膨れた顔から荒い鼻息が漏れている。鼻の中で石炭でも燃やしているのだろうか。やがて、脂肪の肉球がついた手のひらを全開にして、その巨体は猫に飛びついた。が、黒猫が男の手をジャンプで躱して、そのまま彼が被る制帽の上に乗っかったので、 「あわわ!」  驚いた彼はバランスを崩してそのまま床にダイブした。ギャラリーの買い物客たちが、おもわず手で目を覆ったとき、エレベーターホールにドスン、と巨体が地面に叩きつけられる音が鳴った。 「痛ってぇー」  うつ伏せで顔をしかめる彼の背中に猫が居座っている。油性マジックの先みたいに黒い尻尾が天井に向かってピンと直立していた。小動物ごときに座布団代わりにされている気分を味わった彼は激怒して、蒸気機関車なみに鼻息を噴射しながら体を起こした。そして、再び猫に飛びついたのだが、足を滑らせて再び床に飛び込んでしまった。巨漢の警備員の鈍臭さに観客は失笑。猫は、サメから逃げる小魚みたいにひゅるりと人だかりの中に姿を消してしまった。それをマッチ棒みたいな男が、口をポカンと開けたまま見送っていた。
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