二ツ岩の出家狸2

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二ツ岩の出家狸2

 すでにとっぷり日は暮れて、辺りには虫の鳴き声が満ちていた。  古びた本堂の中に、カチャカチャと食器が触れる音が響いている。蝋燭の黄みがかった明かりに照らされた、鞍馬山僧正坊が管理する名もない古寺。毘沙門天に見守られながら黙々と食事をしていれば、鞍馬山僧正坊がおもむろに口を開いた。 「そういやお前ら、ずいぶんとあやかしどもを狩ったらしいじゃねえか。ご苦労だったな」 「おう! バッタバッタ倒してやったぜ!」 「みんなで頑張ったんだよ~。修行は順調だね!」  元気いっぱいに答えた双子へ、鞍馬山僧正坊は苦笑を浮かべた。 「それはいいが、このままじゃあ、鞍馬山があやかしたちの血肉に染まるな。殺された奴らの怨嗟で土地が穢れちまいそうだ。いい修行になるのは確かだが……どうしたもんか」  すると、僧正坊の隣に座っていた男が動いた。  男は、仕立てがいいと一目でわかる淡茶の単衣の着物を纏っていた。白髪交じりの茶色がかった髪を丁寧に撫でつけたその男は、しゃんと背筋を伸ばして僧正坊へ向かい合う。 「それならば、私に任せてもらえないか。これでも祓い屋だからね。浄化も仕事のうちだ」 「おお、そりゃあ助かるな。だが、まだ体調が万全じゃねえだろう?」 「いつまでも世話になりっぱなしというもの気が引ける。気にしないでくれ」 「そうか! なら頼む」  ニッと豪快に犬歯を見せて笑った僧正坊へ、その男は穏やかな笑みを返した。  男の名は白井清玄。俺の父親で、あやかしどもが襲ってくるようになった元凶だ。  ――なにが気にするな、だ。自分が厄介ごとを持ち込んだ癖に。  清玄がここ鞍馬山で療養するわけになった理由(わけ)は東雲にある。  あの貸本屋の店主が、これから大勢に命を狙われることになるだろう清玄のことを慮り、幽世にいるよりはマシだろうと、現し世でも強大な力を持つ僧正坊へと預けたのだ。  日本全国に名が知れた大天狗に、幽世で騒動を起こした祓い屋。  普通ならば絶対に相容れないように思えるが、意外と気が合っているようだ。  それもこれも、お互いの利害が一致したからだ。  清玄は怪我が治るまであやかしたちから身を守りたい。そして僧正坊は、この古寺を改修したいとかねてから考えていた。襲ってきたあやかしから剥ぎ取った素材は、現し世の祓い屋たちへ高く売れる。清玄の伝手を使い、僧正坊は少なくない額を稼いでいるようだ。  ――同胞を金儲けの手段としか見ない僧正坊も僧正坊だが、清玄も清玄だ。  自分の望む世界を創るため、あやかしに対してあれほどのことを仕出かしたというのに、いざとなったらその相手に面倒を見てもらうなんて……。  祓い屋としての矜持はどこに行ってしまったのか。  じとりと睨みつければ、俺の視線に気がついた清玄がフッと笑んだ。 「なんだい? 私の顔になにかついているかな」 「…………。別になにも。胡散臭い顔をしていると思っただけだ」 「おや、そうかな。それは困ったな。生まれた時からこの顔だからなあ。ははは」  朗らかに笑った清玄にますます苛立ちが募る。むしゃくしゃして勢いよく沢庵に箸を突き立てれば、どこか笑いを堪えているような声が聞こえてきた。 「水明様は胸中にいろいろと複雑なものを抱えておいでなのですよ、ご主人様。あの年頃の男児はなかなか難しいと聞き及んだことがあります。ご主人様も覚えがあるのでは?」  そう言って、清玄の湯呑みに茶を注いだのはひとりの青年だ。  黒髪に紅いメッシュ。真っ赤な瞳にパーカーの上に着流しを着た今風の若者は、清玄の使い魔である犬神の赤斑だ。忠実な飼い犬の言葉に、清玄は軽く片眉を上げて頷いた。 「確かに! 私も水明の年の頃はいろいろ思い悩んでいたなあ。お先真っ暗な感じが否めなくて、日々絶望に身を浸していたような気がするよ」 「……オイ、食卓で闇を覗かせるな、闇を」  虚ろな目になった清玄に思わず突っ込めば、父は心底楽しそうに笑った。 「アッハッハ。悪いね。どうにも歳を取ると昔のことばかり口にしてしまう」 「うわ、発言がオジサンそのものじゃん」 「金目君。オジサン呼ばわりはさすがに傷つくなあ……」  ――くそ。簡単に笑いやがって。  俺の心の中は、赤斑が言うように複雑だった。  自分を虐げてきた清玄のことは、ずっと恨んできた。だというのに、あの騒動の中で父の過去と想いを知ってしまい、簡単には憎めなくなってしまったのだ。  そのことは実に厄介だった。以前とは違い、やたらと柔和な表情を浮かべるようになった父。正直、どう関わり合っていけばいいか見当もつかない。  ――絶対に夏織と東雲のようにはなれそうにないな……。  異種族の癖に、やたら仲のいい義理の親子を思い出してため息をこぼしていれば、スッと赤斑が寄ってきた。何事かと眉を顰めていると、その手に鶴を見つけて目を見開く。 「そういえば、先ほど外に来ていたのを見つけました。これは水明様宛では?」 「……! そうだ。あ、ありがとう……」  夏織から手紙が来た! その事実だけで胸が高鳴る。  破かないように慎重に鶴を開く。何度も鶴を折り直した跡がある。夏織は、折り紙が苦手なんだろうか。中から現れたのは、丸っこくて柔らかな筆跡。夏織らしい言葉選び。書きたいことがたくさんあったのだろう。紙面は文字で溢れんばかりだ。 『この間は会えなくて残念だったよ』  最初にその一文が目に飛び込んできて、思わず頬が熱くなった。 「おっ。夏織からの手紙じゃ~ん」  瞬間、面白そうなことを察知したらしい金目が背中にのしかかってきた。 「かっ……勝手に見るな」  慌てて手紙を閉じる。金目はニヤニヤ嫌らしい笑みを浮かべ、俺の耳もとへ口を寄せた。 「文通してんだあ? ふうん。ラブラブじゃん」 「ラッ……なにを言う。からかうのはやめろ。それに重い。離れろ!」 「ええ~。僕としては、早くふたりが付き合ってくれたら嬉しいのにな」 「……!?」  金目の言葉に思わず目を瞬く。慌てて声を潜めて訊ねた。 「……お前まさか。俺の気持ちを知っていたのか……!?」  すると、金目は垂れがちな目を見開き、次の瞬間には盛大に頭を抱えた。 「――はあ!? 水明、バレてないと思ってたの? 馬鹿じゃん! あんなにあからさまな態度とっておいてさあ! 水明が夏織のこと大好きだって、誰が見てもわかるっての!」 「こっ、コラ! 声が大きい……!」  慌てて金目の口を塞ぐ。  モゴモゴ言っている金目を無視して、恐る恐る他のみんなの様子を窺った。  その瞬間、彼らから注がれる生ぬるい視線に気がついて硬直する。 「てっきり、相思相愛なのかと思っていたのだが。赤斑、あのふたりはまだ付き合ってなかったのかな? さすがにそれは奥手過ぎないかい」 「シッ! ご主人様。そういうデリカシーのない発言は思春期の男児を傷つけます」 「まあ……なんだ。わかっちまうよなあ。ガッハッハッハッハ!」 「水明、ごめん! さすがのオイラも気づいてたっ!」  清玄と赤斑、そして僧正坊とクロは訳知り顔で少し気まずそうにしている。  ――そんなにあからさまだったか……!? クロがわかるレベルはさすがにヤバい。  一体、どんな態度で夏織に接していたのだと、己の所業に頭を痛めていれば、先の人たちと、まったく違う反応を示している存在に気がついた。それは……銀目だ。 「あっ……おっ……うおおおおおおお!?」  つり目を限界まで見開き、顔を真っ赤にして俺を指差している。どうやら完全に想定外だったらしい。頭の中が白くなっているのか、なにも言えないでいるようだ。  どうにも居心地が悪くなって銀目から目を逸らす。すると、僧正坊が俺に訊ねた。 「それよりも、夏織の手紙になんてあった? どうせ、白蔵主の件だろ?」 「あ、ああ……」  気を取り直して話し出す。手紙には、太三郎狸と団三郎狸、そして妖狐の玉藻前に協力を求め、白蔵主を説得しようと思っている旨が書いてあったことを伝えた。 「夏織たちは、明日にも香川の太三郎狸のもとへ行くとあった」  ちらりと本堂の隅へ視線を向ける。そこには、東雲と白蔵主が寝ていた。  ふたりは、目覚めた後も話し合いを続けていたようだ。  娘のために貸本屋の存在を許容できない白蔵主と、自分の仕事に誇りを持っている東雲。  意見が一致することはなく、最終的に酔い潰れてしまったらしい。 「僧正坊。このまま、東雲と白蔵主の話し合いが平行線を辿り続けたらどうなる?」  鞍馬山を守護している大天狗は「ううむ」と、長い髭を手で撫でた。 「いずれは決裂すんじゃねえかね。そうしたら、白蔵主は手勢を率いて貸本屋へ攻め入るだろうし、東雲はそれを真っ向から迎え撃つだろうな。ぬらりひょん辺りが出張ってくるかもしれねえ。ともかく、貸本屋一帯が火の海になるのは間違いねえだろう」 「そんな……。それは困る。貸本屋は夏織にとって大切な場所なんだ」 「そう言われてもな。暴力じゃねえと決着がつかねえこともあるだろ?」 「馬鹿を言うな。そんなことがあってたまるか!」  あやかしらしい短絡的な考えに苛立ちが募る。これじゃ埒が明かない! 「……悪いが、しばらく留守にしてもいいか」 「なんだ? 親父さんの怪我が治るまでここにいるんじゃなかったか」 「そのつもりだったが、やることができた。夏織たちの計画を手伝う。頼む、準備が整うまで、白蔵主をなるべく長くここへ留めておいてくれないか。定期的に連絡を入れる。万が一にでも話し合いが決裂したら、すぐに手紙を飛ばして欲しい」 「まあ。それは構わねえけどよ」  すると、そんな俺のそばに清玄がやってきた。 「ならばこれを持って行くといい。修行でかなり在庫が減っているだろう」  清玄が懐から取り出したのは、分厚い護符の束だ。 「……なんのつもりだ」  胡乱げに見つめれば、父はクスクスと楽しげに笑った。 「なあに。少しくらいは父親らしいことをしてみようかと思ったまでだ。気まぐれさ。それに夏織君には私もお世話になったことだしね。あの子には幸せになって欲しい」  清玄の伽羅色の瞳に見つめられると、どうにも居心地が悪い。  ――今はもう、コイツのことは憎んでいない。だが……俺がこの男に虐げられていた過去がなくなったわけじゃないんだ。今更、父親らしくされても困る。  でも、俺も子どもじゃないんだ。意地を張るのもな……。  パッと清玄の手から護符の束を取る。勢いよく顔を逸らして言った。 「まあ。一応……もらっておく。ありがとう、オジサン」 「……プッ。アッハハハハハハ! 酷いな。水明にまで言われた」  どうにもモヤモヤした気持ちが抑えきれず、黙り込んだままポーチへ護符を仕舞い込んでいれば、その瞬間、場違いに大きな声が響き渡った。 「ちょおおおおおおおおっと、待ったあああああああああっ!」 「銀目、どうしたんだ。落ち着け」 「これが落ち着いていられるか! 水明が夏織を好き? 俺はなにも聞いてねえぞ!」  銀目は俺の肩をがっしと掴み、ガクガク揺さぶりながら涙目で叫ぶ。 「ど、どうして言ってくれなかったんだよ! 知らなかったの俺だけか!」 「い……いや、俺も自覚したのは最近で」 「最近ってなんだよお! 俺はちっこい時から夏織のことが好きだったんだぞ!」  そんなに長く片想いしていたのかと感心すれば、銀目は顔を顰めて俯いてしまった。 「……なんだよ。俺が先に好きになったのに。抜け駆けするなよって言ったのに」 「ぎ、銀目……?」  らしくない様子で呟き始めた銀目に声をかければ、彼は勢いよく顔を上げて言った。 「――勝負だっ!」 「……は?」  思わず首を傾げると、銀目は再び力強く言った。 「夏織をかけて、どっちが先に団三郎狸を説得できるか……勝負だ!!」 「…………。はあ……!?」  何度か目を瞬いて、まじまじと銀目を見つめた。 「冗談だろ?」 「いいから。俺と勝負しろよ、水明」  わざと戯けた口調で訊ねたものの、返ってきたのはこの上なく本気な言葉。  俺をまっすぐに見つめるその瞳は、月光のように冷たく輝き、そしてどこまでも真剣だった。はぐらかすべきではない。真摯に受け取るべきだと思わせる強さがある。 「…………。わかった。その勝負、受けよう」  神妙に頷く。どうやら、受ける以外に道はないようだ。  銀目はホッとしたように表情を和らげ、そして俺の胸にトンと拳を当てて言った。 「負けねえからな」  いつになく真剣な声色に、俺も同じくらいの熱量でもって返した。 「……こっちこそ」  こうして――どういうわけか、夏織をかけて銀目と勝負することになったのだ。
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