優しさの亡い世界

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 村に帰った少女は、村長に小説というものを拾ったと、そう報告した。この文字たちは自分たちの村を発展させる上で有用かもしれないと、少女はそう思ったのだった。  しかし、少女の言葉を聞いた村長は、酷く不快そうに顔を歪めた。そして、彼女が食糧を採るという仕事を放棄したことを責め立てたのだった。 「お前は他の子供たちと違っておかしいのだ。彼らより働かないでどうする」  少女はその言葉を聞いて、心臓をぎゅっと握られるような感覚を味わった。  少女は紙の束を持ち帰ると、その文字たちに目を通してみた。そこに書かれていたのは、ある男が病気の女を救おうとする話だった。  少女はこの話の中で、特に気に入った箇所があった。女が発した「君はどうして私を助けようとするの?」という質問に対して、男は「困っている人がいたら助けるのは当たり前だろ」と得意げな顔をする。少女にとって、その言葉がとても素敵に感じられたのだ。  少女は、他人を思い遣る自分の気持ちが、決しておかしいものではなかったことを嬉しく思った。  そして少女の心では、これまで抱いたことのない感情が行き場を失ったかのように彷徨っていた。それは、この文章のおかげで自らを許容することができたことへの、これを書いた者の手を取りたくなるような、形容しがたい感情だった。  そして、少女はその感情を表すのに充分な言葉があることを知った。  この感情をみんなが抱いたら、誰も傷つかない世界になるのではないか。きっと、昔の世界に争いはなかったに違いない。そう考えた少女は、村民たちにその感情を教えようと考えた。  しかし、少女が話しかけようとしても、村民たちは顔をしかめ、彼女を無視してそれまでも仕事を続けるのであった。それも当然である。優しさを持たない彼らからしてみれば、少女のため利にならない時間を浪費する必要など全くなかったのだ。  それでも少女は諦めなかった。優しさを持つのが自分だけだったとしても、それが他人の心に広がりさえすれば、村同士の争いもなくなるだろうと、そうすれば生きたいのに死ぬ人間もいなくなるだろうと考えたのだ。  なぜなら、少女の読んだ小説の登場人物は、みな優しさを持ち合わせていて、そしてそこに争いなどひとつもなかったのだから。  少女のしつこさに根負けしたのか、彼女の話を聞く住民が一人、二人と増えていった。  少女の話を聞いた住民たちは、共通して「くだらない」と、彼女の言葉に唾を吐きかけた。  少女はたまたま優しい心を持ち合わせていて、たまたま先人が記した小説というものを見つけたに過ぎない。だからこそ、少女はこの幸運を逃したくなかったのだ。
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