優しさの亡い世界

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 やはり夜は冷えるなと、少女は小さく溜息を吐いた。  見渡す限りそこには山と草原のみで、食糧など到底見つかりそうになかった。  この日も少女は、役立たずのまま村へ帰ることになる。  彼女の村に住む他の子供たちは猟銃を上手に使いこなし、獣の肉を村へ持ち帰ってくる。しかし少女だけはそうすることができなかった。  少女は自分がおかしいことをわかっていた。彼女には他の人間が持たない感情が備わっている。そのせいで、野を走る兎や鹿など、動物を殺すことができないのだ。  村の人が死んだら紐で心臓を締め付けられるような気がするし、子猫を見たら胸にお花が咲いたような気持ちを抱く。美味しいご飯を食べれば身体がすっと軽くなるような気分になるし、困っている人がいればその人の悩みを取り除いてあげたいと思ってしまう。  少女が聞いた話では、普通は他人の幸せを思い描くことなどあり得ない。自身が生きるだけで精一杯の世界なのだ。  少女がその気持ちを表に出すたび、村民たちは口をそろえて「お前はおかしい」と言った。そう言われたときは必ず、自身が灰色になってしまったような感覚を抱くのだ。  遠い昔、この辺りには山のように聳え立つ建物たちが密集していたらしい。少女は先人の遺した文献でそのような文章を目にしたことがあった。  しかし、目を凝らして見ても、視界に映るのは冷たい風に揺られる草と、真っ黒になって空に紛れる山、そしてムラのない藍色の、全ての光を吸い込んでしまいそうな夜空だけだった。  この景色からは、昔に人類が何千人と集まって暮らしていたことなど想像することができないだろう。少女の住む村は人口が多い方だが、せいぜい百人ほどだ。  村へ帰ろうと踵を返したその時、少女の目に、ひとつの木製小屋が映った。十メートル四方の、本当に小規模の小屋だった。  もしかしたら食糧が残されているかもしれない。そう考えた少女は猟銃を下ろし、その小屋へ歩を進めていった。  慎重に小屋の扉を開く。するとそこには、紙の束が、落ち葉のように地面を覆っていた。ぴったり同じサイズの紙たちは片側で綴じられていて、外側の紙だけ硬い素材が使われている。  そして、中には文字がびっしりと書かかれていた。  小屋を見回した少女は、入り口付近の壁に黄色く変色した貼り紙があることに気づいた。 『優しさを失った世界で、誰かがこの小説たちから優しさを見つけてくれますように』  少女はその貼り紙に書いてある「優しさ」という言葉の意味を理解することはできなかったが、この紙の束たちに「小説」という名前が付いていることを知った。
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