第114話「善意」

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第114話「善意」

「死ねなかったって、どういうこと?」 「、、、」 ガタン、と椅子をベッドに寄せて、藤崎はストンとそこに座った。 ぶたれた頬がまだ痛くて、義人は彼の方を向かず、俯いたまま黙り込んでいる。 普段決して自分に話しかけるような声ではないそれも、自分の頬をぶった大きな手も、何もかもが恐ろしいのだ。 「じゃあもう俺に会えなくて良かったんだ?」 「ち、違う!!」 「何が違うの?」 義人が言い返すと、藤崎は食いかかる様に聞いた。 「ぁ、、」 彼が心底怒っているのだと分かって、気持ちが小さくなっていく。 怖い、と言う感情が頭の中を占めてきて、唇が震え、涙が出そうになった。 藤崎までもこんなに恐ろしくなってしまったら、もう自分に頼れる先はない。 このまま生き延びて一緒にいたとしても、藤崎の顔を見るたびに今日の事を思い出して、きっと彼が怖くなって、前の様に笑い合えなくなる。 そんな気がした。 「、、怖くしてごめん」 「っ、」 「叩いて、ごめん」 一旦息をつくと、義人の心境を察した藤崎はできる限り優しくそう言った。 実際にはいつものようにはいかず、冷たくて低い声のままだったが。 カタカタと小さく震える義人の右手を見つめて、触れたいけれど今はやめておこう、と目を閉じ、合わない視線の先の彼の黒い瞳を見つめる。 愛しくて堪らないのに、それを分かってくれない義人は、どんなにそばにいても遠くにいる様に思えてならなかった。 「でも今回だけは、ちゃんと怒りたい。分かって欲しいから。そうじゃないと義人がまた同じことするのが目に見えてるから」 「、、久遠」 縋る様な目で見上げたけれど、藤崎は冷たい目をしたままだった。 途端に逃げたくなった。 また死にたい、とも思ってしまった。 「俺を見て。ちゃんと話したい」 「、、、」 けれどこのまま藤崎から逃げれば、本当の本当に嫌われてしまう。 「怖くしてごめん」「叩いてごめん」と、自分が誰かに怒られる事に対して異常な恐怖心を持っている事を分かっているからこそ前置きしてくれたのも分かる。 (嫌われたくない、) それだけは避けたい、と、義人は彼を見つめながら、恐る恐る口を開いた。 「俺は、久遠を好きなのが、やめられないからっ、でも、それで家族が悲しむなら、その前に、、どっちかが悲しむなら、俺がいなくなればって、思って、」 手が震えているのは、死にたいからだろうか。 藤崎が怖いからだろうか。 義人は下唇を噛んで、グッと力を入れた。 夢ではなくまた現実にいて、死んでもいなくて生きている。 藤崎には会いたかったけれど、本当は死にたくもなかったけれど、これでは元に戻っただけだ。 家族か、彼か、またその間で揺れて迷い、苦しくなって、誰かを悲しませる状態に逆戻りだ。 そう感じているのだ。 「義人がいなくなったら、俺も、義人の家族も、どっちも悲しむよ」 藤崎は義人の話しを冷静に聞いていた。 救急車でこの病院まで搬送され、たまたま空いていたからとそのままリストカットで切れた神経の縫合手術を受けて、義人は今ここにいる。 13時手前で病院についてそのまま手術を受けた為、時刻は16時半になっていた。 夏の日差しはまだ暑そうで、やはり窓の外は眩しい。 手術の間、昭一郎と咲恵は義昭に連絡を入れたが中々捕まらず、今は飲み物を買いに行っている最中だった。 医者になると言うのに自分が思う様に動けなかった事がショックだったらしく、昭一郎はひどく落ち込んでいて、落ち着かせる為にも一度義人から離すと言って、咲恵が彼を連れて病室から出て行ったのだ。 義人は局部麻酔を受けていただけで、本当ならすぐに目が覚めてもおかしくはなかったのだが、手術が終わった後、目覚めるまでには時間がかかった。 理由はやはり効き過ぎた睡眠改善薬が原因で、術後1時間半経って、ようやく先程起きたところだ。 本当は目が覚めたと咲恵達に言いに行くべきなのだが、その前に義人が口走った「死ねなかった」がどうしても気に入らず、藤崎は思わずこうして話し合いにもつれ込ませてしまった。 「でも、だって、一瞬だよ、、一瞬、悲しませるけど、でもその後は、」 「終わらないよ」 義人の苦しさも、どう考えてこうなったのかも、冷静になれば藤崎にはよく分かった。 愛している家族に追い詰められ、心療内科にまで連れて行かれて診察まで受けてきたと咲恵から聞いた。 どうしようもなく自分を否定されれば、元から自己肯定感の低い彼が塞ぎ込み、またおかしな方向に藤崎の為だと考えて自殺を企てるのも変に納得ができてしまう。 けれど、それを納得する訳にはいかなかった。 「だって俺はずっと義人が好きだから。義人が1人で勝手に死んだら、俺はずーっと義人のことを想いながら1人ぼっちで生きてくよ」 どんな理由があっても、自殺するのは絶対に肯定できない。 藤崎は真っ直ぐ彼を見つめた。 「ぇ、な、何言ってんの」 「悲しい。義人は酷い。俺のこと残して1人で楽になるんだろ?俺が傷付いても、悲しくても、寂しくても、置いていくんだろ?」 「違う、違う違う違う!!そうじゃない、!!」 シーツの上に置いていた藤崎の左手を掴み、震える手で握る。 義人の手に応える様に手のひらを開いて指を絡ませると、藤崎は落ち着いた様子で、けれど冷たい声で聞き返した。 「だったらなに」 この話し合いで嫌われるなら、もう仕方がない気がした。 自虐や自殺から離れてくれなければ、2人に未来はないのだ。 自分がした事を悔やまず、今後もこんなにボロボロになられるくらいなら、いっそ別れた方がマシだ。 藤崎はそうとすら思っていた。 「俺は久遠の将来が、」 「俺の将来じゃない。2人の将来だよ。何で俺を1人にするの」 「違うんだってば、!!」 義人は慌てていた。 どうして分かってくれないんだろう、と。 藤崎は手を繋いでくれているものの、顔はずっと怖くて、一瞬も笑ってくれない。 (どうしよう、怒ってる、、) いや、それが当たり前だった。 義人にはまだ自分の命の重さが分からないでいるから、そうやってこの問題から逃げたいだとか藤崎が怒ってるだとか、簡単な事にしか目を向けていないだけで。 藤崎がどうしてここまで怒らなければならないのかを理解してしなければ、義人はこの先に行けない。 苦しい苦しいと言っている割に誰かに助けてとも言えず、自分を傷付ける事で何でもかんでも解決しようとするだろう。 今回の事を皮切りに、これから先、何かと理由をつけては手首を切って、リストカットを生きていく上での支えにもしかねない。 それだけは、止めなれけばならないし、ダメなものだと分からせないといけなかった。 「1人にしてって俺が望んだ?辛いから義人に死んで欲しいって頼んだ?」 「頼んでないけど!!でも!!」 だったらどうしたら良かったの。 何で怒られなきゃいけないの。 必死に藤崎の手を握り、藤崎を悲しくさせたかった訳でも、1人にしたかった訳でもないのだと訴える。 義人はただ楽になりたかった。 何より藤崎の幸せを邪魔したくなかったのだ。 (あれ、そうだ。久遠の幸せって、何だろう) 義人は夢の中の疑問を思い出した。 「じゃあ別れよ」 その瞬間に、藤崎に思い切り突き放され、義人は目を丸くする。 こうなりたくなかったのに、どうしてこうなるんだろうか。 悲しくて、嫌で嫌で仕方なくて、思わず身を乗り出して藤崎の肩を掴むと、動かない左手に繋がった向こう側の点滴が倒れそうになった。 「ッ、嫌だ!!」 声を張り上げて抵抗した。 けれど、藤崎の視線は色を変えない。 「俺は義人が死ぬくらいなら、義人の家族が分かってくれるまで別れてたって良い」 「え、、?」 「その期間会うなって言われれば会わない。最後に義人が俺のところに来てくれるならどんな我慢だってする」 「、、、」 義人が思っていたのとは違い、藤崎は怒って別れると言った訳ではない。 慌てた様子の彼を見つめて、厳しい表情のまま左手を伸ばし、ゴンッ、と義人の脳天に拳を落とした。 「いたっ」 「いい加減にしろよ、大馬鹿」 泣きそうになった目で彼を見上げると、藤崎も泣きそうな顔をしていた。 「久遠、?」 そうしてやっと、ちゃんと話し合わなければならないのだと、義人も確かにそう思った。 こんな顔をさせたかった訳じゃないんだ。 自分なりに考えて、考えて考えて考えて、考え尽くして苦しくなって、疲れて、1番楽で、逃げやすい選択をしてしまったのだ。 「久遠、ごめん、な、泣かないで、ごめん、泣かせたかったんじゃない、」 こんな顔をさせたかった訳じゃない。 自分がいなくなる事でいつもみたいに笑ってくれるならと思って、望みをかけて死のうとしたのに。 怒られると「怖い」ばかりが浮かぶ義人でも、流石に、藤崎のその顔はこたえた。 (泣かせたいんじゃなくて、) なんて言ったら自分の誠意は伝わるのだろう。 いや、自殺を図るのは誠意だったのだろうか。 義人は自分自身でも、目の前で自殺しようとすれば藤崎が自分を止めるだろうと分かっていたのに。 「久遠、ごめん。離れたくない、き、嫌いにならないで、そばにいて」 「死のうとしたくせに。死ねなかったって言ったくせに、今更そんなこと言われても信じられない」 「お願いそばにいて、嫌だ。1人にしないで、久遠といたい、、久遠といたいから、」 藤崎といたいから手首を切ったのに。 (あれ、?) でも死んだら藤崎と一緒にはいられない。 お互いにひとりぼっちだ。 生きている藤崎と、死んだ義人。 決して交わる事がなくなるのだと、頭がやっと理解し始めた。 (死ぬってどういうことだ、、?) 軽い気持ちでやろうとした事がどういう事だったかを考えると、ブルッと身体が震えた。 「1人になろうとしたのも、俺から離れようとしたのも全部自分だろ」 「あ、、」 そうだ。 藤崎に頼まれた覚えはない。 藤崎は昨日、頼んでいなくても義人を迎えに来てくれていたのだから、離れたいと望んでいる訳がない。 義人自身が義昭を支えたいからと彼から離れたのだ。 「ご、めん、なさい」 死ぬってなんだ。 義人は今更になって恐ろしくなってきた。 誰にも望まれていない、ただ自分が望み、選択して実行しようとした。 藤崎を悲しませるのも、家族を悲しませるのも分かっていた筈なのに、どうしてやってしまったんだろうか。 動かない、何も感じない左手の手首がズキ、と痛んだ気がした。 藤崎の肩を掴んでいた右手がズルズルと下に落ちて行く。 「あ、あれ?、あれ、あれ、?」 そうだ、死んだら、死ぬって事だ。 いつだかの畳の部屋で横たわる祖父の様に、息をせず、動きもせず、誰にも何も言わずに、鼻にワタを詰められて、目を閉じて、そこに置いてある。 ああなるって事だ。 「ッ、」 誰にも会えなくなるに決まっている。 家族、友人、そして藤崎にも。 流石に自己肯定感のない義人でも理解できる。 誰も彼もが悲しむだろう。 家族も、入山も、遠藤も滝野も光緒も里音も、そして藤崎も。 「義人が死ぬより嫌なことなんかないんだよ」 その言葉は重たく胸に響いた。 「ごめん、俺、な、何、しようと、、良い考えに思えたんだ。俺が死んだら全部終わるなあって」 「、、、」 「俺が、俺だけが、いなくなればっ、藤崎は次の好きな人を見つけられるし、でもたまには、俺のこと、きっと思い出してくれるし、」 「、、、」 「俺がいなくなれば、っ、、お、お父さん、もう、くッ、く、っ、く、苦しくないよなって、」 ぱた、と白い掛け布団の上に涙が落ちた。
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