曽我蔵人の求愛

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   俺が全日本チャンプ、五輪メダリストだったのはもう七年も前だ。大昔だ。  あの頃は我ながらイケイケだった。  ソチ大会では金メダルが帝王ロジャー、銀がバンクーバー五位から返り咲いての柊さん。そこに初出場で食い付き表彰台に乗った俺を周囲は『ポスト喜多川』と持て囃した。  出生地の群馬や地元千葉では特に騒がれ、やれCMだやれ一日警察署長だと振り回された。十五、六才のコドモ、世間知らずだった俺は天狗にもなった。  後になってよーく解ったけど、アレは本来メディアで騒がれるべき柊さんの活動拠点がカナダであり、ササっと五輪に出てササっとメダルを獲ってササっと去って行ったから俺にスポットを当てるしかなかったんだ。  牧野事件もあって妙な方向性で注目されてはいたけど、正直ソコに関してはあんまり思い出したくない……  だってめっちゃ(コエ)ーし。  俺の口の悪さが招いた自業自得と言われればそれまでだけど、そんな恨まれてたなんてめちゃくちゃコエーし。ヘルメット被る競技でマジ助かったけど、頭頂部付近に十円ハゲも作ったんだぞ。雄大以外、親も気づいてくれなかったけどな。  選手団で動く時も選手村でも、年が近かったせいか俺と雄大は何となく一緒で。あの頃の雄大は俺とそんなに背丈も変わらなくて、寧ろ今、何食ってそんなに成長したのか小一時間問い詰めたいくらいで。  方言丸出し、緊張しまくりの『雄大くん』を揶揄ったり……ゲームの話で盛り上がったり。雄大はフツーの友達、俺にとっては戦友みたいな落ち着く相手だった。 『曽我、なまえペンで何しとるん』 『ハゲ隠し』  宿舎の洗面室で鏡を見ながら(油性マジックで)頭皮を塗り潰そうとしていた俺を、雄大は笑ったりバカにしたりしなかった。 『やりにくいじゃろ』ってペンを取り、テンテンテンテン十円玉大の点描を施してくれた。  俺はそんな雄大が好きだった。  当時はまだ全然『恋』じゃなかったけど。
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