16、愛日と落日⑨

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 それから重陽は過保護を存分に発揮する母からスーツケースを強奪して荷造りを済ませ、いつもより一時間早くベッドに入った。が、起きたら朝食にはしっかり冷えたレモンパイが出てくるし焼きたてのスコーンを山ほど持たされるしで、頭が上がらない。 「行ってらっしゃい。気をつけてね。ママもお昼の飛行機で千歳に着くから、何かあったらすぐに電話して」 「何かあったらまず監督に言うから大丈夫。ママも、気をつけて来てね」  まるで我が子を初めてのお使いに出すみたいにおろおろした顔の母は、息子の返事を聞いて少し寂しそうに「そうね。そうするべきよね」と俯いた。 「じゃあ、行ってきます。着いたら一応、ラインするから」  俯いたまま十字を切って祈りを捧げている母に告げ、重陽は家を出てきた。学校の最寄駅で監督や双子と合流し、空港行きのバスに乗り込む。 「チョーさん何やってんすかそれ。ゲーム?」  座席に着いて十分もしない内に遥希はニタニタ笑いで通路越しに重陽のスマホを覗き込んできて、鬱陶しいことこの上ない。 「そうだよ。ソシャゲ。お前もやる?」 「あ、いいです。全く興味ないんで」 「あっそ。じゃあほっといて」  と言って有線のイヤホンを両耳に突っ込みあとは同時進行中のゲームのログインボーナス回収と進行中のイベントストーリー回収に勤める。  遥希の奥の窓側にいる有希も同じように黙々と読書に励んでいて、遥希は移動中、飛行機の中で監督に「少し静かにしてろ」と釘を刺されるまでずっと一人でぺちゃくちゃやっていた。なんだかんだ、緊張しているのかも知れない。 「涼しい──を通り越して、もはや寒い……っ!?」  新千歳空港に降り立った、最初の感想がそれだった。気温差は予めチェックしていたものの、予想以上の秋風に重陽は慌ててジャージの上着を羽織る。 「夜はもっと冷えるからな。いつも以上に体調管理、気をつけろ」  監督の小言に遥希と二人で「はあい」と返事をして(有希は監督相手でも変わらず無視の姿勢を貫き)、預けた荷物をピックアップして今度は札幌行きの電車に乗り込む。  ここまでで、家を出てから約半日。交通機関の狭い座席に押し込められ続けた重陽の大柄な体は、既に悲鳴を上げつつある。けれど、飛行機に乗った時からちらほらと見かけていた様々な都道府県の高校陸上部のクラブバッグを見かけるたび、背筋が伸びた。  駅に着くと改札を出たあたりでいくつもの学校がそこかしこに集合していて、なかなか壮観だった。ケニアやエチオピアから来ているのであろう留学生には同じ外国人として親近感を抱いたりもするが、タイムはきっと月とスッポンなんだろうなあ……なんて考えるあたり、やっぱり少しナーバスになっているのかもしれない。
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