16、愛日と落日⑨

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 中盤で先頭に立ったことで作った貯金も、既に四人に抜かれてほぼ使い果たした。この位置を保てれば決勝確定。残りはトラック一周半。そこで少し安心してしまった。矢継ぎ早に後ろから三人の選手に追い越され、スパートをかけられた。  ──八着はやばい! 八着はダメ! 死んでもいいから一人は差さなきゃ!!  今度は正真正銘の焦りで、完全に釣られて重陽もスパートをかける。  そこでやっと監督の「いつも通り走れば大丈夫」という言葉が活きた。いつも通りに泥臭く、全身の力をすっからかんになるまで使い切るような末脚で一人を抜き返し、もう一人は胸の差で下してなんとか六着に滑り込む。 「び、微妙……ッ!!」  その一言に尽きた。着順では決勝進出確定とはならず、タイムもまた確実に決勝に行けるかと言うと超が付くほど微妙だ。  予選二組目では、有希がどうやら終盤で脚が攣ったようでまさかの途中棄権。遥希は一着で難なく決勝進出を決めた。  全国大会の大舞台で途中棄権という結果に、さすがの有希も動揺したり落ち込んだりして見せるだろうか。  と思ったけれど、やっぱり彼は表情ひとつ変えずに、ぽつねんとして弟が軽やかに駆ける様を見つめていた。悔しくないわけがないとは思うけれど、何を考えているのかはさっぱり分からない。  予選三組を終え、重陽はギリギリ最後の一枠で決勝進出。翌日に行われた決勝戦も「死んでもいいから一人は差す!」という気概で挑み、結果的には二人を差してベスト十六に入ることができた。  遥希は二着で表彰台に上がったが、その悔しがり様たるや凄まじいものであった。干からびてミイラになるんじゃないかと言うほど泣きに泣いて、そんな遥希の姿にたくさんの記者がカメラを向けていた。  おれ、もしかしなくても結構頑張ったんじゃね? と実感が湧いてきたのは、表彰式の後で地元新聞の記者に取材を受ける監督を横で見ている時だった。記者の関心はもっぱら準優勝を飾った遥希の方にあったけれど、監督が熱心に語ったのはむしろ重陽のベスト十六入りについてだったからだ。  それに、準優勝で泣きぐずって当たり散らして悔しがる遥希の姿がちょっと「憐れ」だったというのもある。二着で悔しい。それが彼の戦っているフィールドなのは崇高で結構なことだが、泣いて悔しがるほど「できていなかった」ことがある。という気持ちはよく分かるのだ。要するに、遥希は後悔に泣き暮れているんだろう。  そんな彼に比べて、重陽には「やりきった」という実感が確かにあった。  走ることも、それ以外でも、その時々でできることをやり切ってきた。その結果が監督の熱意だったり今の自分の清々しい気持ちなんだとしたら、人の顔色を伺って「まあまあ」「そこをなんとか」とキョロ充してきた時間も無駄じゃなかったんじゃないか。とそう思えた。  ので、そのことを「よく頑張ったな」「えらかったな」と褒めて欲しい人がいる。それ即ち織部夕真である。
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