4、熱病と臆病③

3/3
前へ
/228ページ
次へ
 鞄から塾のテキストを出して机に並べ、けれどもなんとなくやる気が湧かず、ベッドの上に体を投げ出し意味もなくSNSのアプリを開く。青い鳥のミニブログでは、同じようにぐだぐだとアプリを開いてしまったらしい他校の写真部仲間が「模試の結果詰んでる」とぼやいている。  夕真のタイムラインは似たような受験の愚痴とゲームのスクリーンショット、それに中古レンズやカメラアクセサリのセール情報ばかりが流れていく。  そして時折、それらを堰き止めるダムのように、アプリは「知り合いかも?」といってお節介にも同じ学校に通っているだけの赤の他人を出してくる。 「うわ……」  その中に喜久井の名前を見つけ、夕真は思わず声を上げた。無視できずにホーム画面まで行ってしまったのはひとえに、自分の撮ったあの写真を喜久井がアイコンに使っていたからだ。  興味本位で書き込みを遡ってみたが、大会への意気込みやレースの結果が投稿されているだけだった。喜久井はあまり日常生活のことは書き込んでいないようだ。  にも関わらず同じ学校に通う生徒からのフォローがたくさんあったようで、最新のポストで喜久井は「みんなフォローありがとね! でも陸上のことしか呟かないから、あんま面白くないかも」と苦笑の絵文字付きで弁解している。  確かにまひるの言う通り、校内新聞によって喜久井は全校的に三枚目から二枚目に「昇格」した印象が夕真にもある。学校を出てくる道すがらグラウンドを覗いたら、陸上部が練習しているあたりのフェンスの外側には小規模ながら人垣ができていた。  もしかして、ちょっと悪いことしちゃったのかも。と一瞬考えてから、夕真はすぐにその考えを打ち消した。  確かにあの写真は渾身の出来ではあったものの、彼を取り巻く状況を変えてしまった原因があの一枚だと思うのはさすがに傲りだろう。写真のあるなしに関わらず、喜久井はあのレースで類稀なる走力を発揮し脚光を浴びたことには変わらないはずだ。  そんなことは分かっている。分かってはいるけれど、調子に乗ってしまう。  同じ部活の後輩に「普段はおちゃらけてる」と言わせた彼が、SNSで遠慮がちに「あんま面白くないかも」と呟いた彼が、きっと夕真にだけ「走ってる間だけが楽しい。あとは全部苦しい」と打ち明けたことについて。  喜久井はまるで悪さが見つかったような、共犯を持ちかけてくるような顔をしていた。  その瞬間に少しだけ、ほんの少しだけ、夕真の心臓はぎゅっと甘い痛みを訴えた。  だからあの時は戸惑いのあまり、間抜けな声で「へえ」としか言えなかった。受験を控えた高三の冬に、兄が妹の憧れの人に横恋慕。なんて、世界一たちの悪い冗談だ。  だからまひるの「別に好きとかじゃないし」という言葉を否定できようもなかったし、母親の「あれは“好き”だよねえ」という言葉にも同調できなかったのだ。
/228ページ

最初のコメントを投稿しよう!

43人が本棚に入れています
本棚に追加