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きっと両親にとっては、一人息子が唯一で最愛の「推し」なんだろう。そう考えれば彼らの言動や態度も、まあ分からなくはない。
自分だって、好きなゲームや漫画のキャラクターが描かれたイラストや二次創作を見ては「尊い……っ!!」と手を合わせ、作者にレシートの如き匿名感想メッセージを送信したことが数えきれないくらいある。
残念なことに重陽にはオフラインでそんなことを語り合う親しい友人はいないものの、そんな友達がいたらきっと両親のような声量で早口に「推し」を語るに違いないのだ。
両親とはJRの新宿駅で別れ、重陽はそこから大学のホームページに載っているアクセスマップに従い私鉄に乗り換えた。
夕真が進学し、かつ自分に学校を通して勧誘冊子を送ってきた「東京青嵐大学」のキャンパスは、東京と言っても23区外の都下にある。住所的にはほとんど神奈川と言ってもいいくらいの県境にあり、なんなら校舎の一部は県境を跨いでいるくらいだ。
乗り換えた私鉄で「経堂」だの「成城学園前」だのという地元ではおよそ見かけない瀟洒な駅の名前を一つまた一つと見送りながら、夕真のことを考える。
自分に彼のことを遠慮なく話すことのできる人がいたらきっと、両親が自分のことを話す時と同じように饒舌になるに違いない。
彼に対して「好きだ」と思うところは山ほどある。能動的に「ここが好きだ」というところもあれば、受動的に「こうしてくれたから好きだ」という部分もある。彼のことを考えたり彼と関わったりすると心をかき乱されて仕方がないし、こう言ってはなんだが、ちゃんと「下心」もある。
けれど、それを自分の崇拝してやまない「推し」たちと区別することはできるだろうか。と考えるのである。
重陽はいわゆる「オタク」であるし、自分の気持ちを言語化するにあたってしっくりくるのは(良し悪しはひとまず脇に置いておくとして)圧倒的にネットミーム的な言葉の連なりだ。
尊い。マジ無理。好きみあり過ぎ。神かよ。人生狂わせてくれてありがとう。
よく見る大袈裟な言葉。ありきたりな言葉。
ゲームや漫画に登場する「推し」と同じ言葉でしか彼への気持ちを表現できないのは語彙力のせいなのか、それとも気持ちの整理がついていないのか。そこにはずっと疑問を持っている。
だからこそ、この感情は果たしてリアルな人間に向けてもいい感情なのか。そんな迷いが重陽を苛む。
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