12、愛日と落日⑤

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 しかし、申し訳ないが今の重陽にはそんな彼らに愛想を振りまいている余裕など一ミリもないのである。バスが着いたら出迎えてくれる算段になっている彼の顔を、声を、その第一声を憶測し、パターン別に算出したアクションを脳内でリハーサルせねばならない。  このオープンキャンパスへ参加するにあたり、重陽は初めて自分で服を選んだ。付き合ってる時から「重陽先輩、私服ダサいの超ウケるんですけど」と屈託なく笑っていたまひるにアドバイスをもらいながら選んだ一張羅だ。  彼女のアドバイスで選んだサンダルみたいな靴が、今にも足からすっぽ抜けそうで心許ない。手のひらも足の裏も汗まみれなのは、決して暑さのせいばかりではないだろう。  多くの大人が高校生活をして「青春」と形容するように、過去というのは誰しも美化してしまうものだと思う。  自分ばかりがその例外として現在進行形で彼への想いをあの時のまま保てていると思い込むのは全くの驕りというもので、きっと美化してしまっているところがあると思う。  今現在のありのままの彼の姿に失望せず、さりとて「推し」のように崇拝もせず、ただあるがままに「好きだ」と今も思っていられるのかどうか。  その結果はある意味では重陽の尊厳を左右する結論であると言える気がしたし、だからこそ足の裏が汗でムズムズして仕方がなかった。  重陽を乗せたシャトルバスは市街地を十分ほど走り、やがて小高い丘の上にある校門を通り抜けた少し先で停車した。車内は俄に浮き足立つ──ような素振りを全員が全員隠しながら、斜に構えたようなよそ行きのイキり散らかした雰囲気を醸し行儀良く列を作ってバスを降りる。  窓の外は見ないようにしていた。というか見られなかった。怖かった。彼の顔を見てしまうのも、見つけられないのも。  それでも重陽は覚悟を決めてイヤホンを耳から外し、携帯のジャックから外してコードを丸めポケットに突っ込み、えいやっ。と顔を上げた。 「あ……」  思わず声が上がる。顔を上げたその目線のすぐ先、数十メートル先に彼がいるのがすぐに分かった。そのことにほっとして、同時に胸が高鳴った。  夕真はバスから降りてきた高校生たちの顔をおずおずと伺いながら、ゆっくりこちらへ歩いてくる。そして彼は視界に入ったのであろう重陽の姿を二度見──いや三度見して、その涼やかな切長の双眸を大きく瞠って発した。 「いや、でっか!」  そうして彼が歯を見せた瞬間。「好きだ!!」という気持ちが大爆発し、胸の内に渦巻いていたあらゆる感情、あらゆる懊悩を木っ端微塵に吹き飛ばした。
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