14、愛日と落日⑦

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 彼は重陽のジャブに応えることなく、眼前の舞台を見据え熱心に拍手を送る。今日は漫才のライブだ。舞台上に現れた赤福氷の二人は万雷の拍手を浴びセンターマイクを挟み、枕にあたるオープニングトークもそこそこにネタへ移る。  彼らは昔から、何かと物議を醸すコンビだった。ある時はボケの方が盛り場で暴力事件を起こして謹慎し、またある時はツッコミの方がトークバラエティで発した同性愛者差別とも取れる発言が元で大炎上した。  けれど重陽は、そんな彼らのことをどうしても「悪者」とは思えなかった。素行は悪いし発言は常に裏目裏目に出て炎上を繰り返しはするけれど、ほかのいわゆる「今風にアップデートされたうまくやっている芸人」よりもよっぽど本音を露出している。  そんなところが重陽は──そして夕真も、きっと好きだったし一種の指針にしていた。ホモソーシャルで差別的で毒があって正直。誰もが口に出すことを憚る本音を代弁してくれる。だから重陽は──そして夕真もきっと──世間のありようを確認してこられた。  けれど、どうやら「世間」は重陽の世界を置き去りにして変わり始めた。ポリコレ(笑)、ジェンダーギャップ是正(笑)、ダイバーシティ(笑)、誰も傷つけない笑い(大爆笑)。  そんな世間においておそらく赤福氷は「滅びゆく笑い」の先端を行っていて、今の彼らはきっと夕真の言う通り、アップデートの末にそこから抜け出すか抜け出さないかの瀬戸際にいるんだろう。  彼と肩を並べてのライブ鑑賞という一大イベントにときめきこそ感じさえすれど、初めて肉眼で見届けた赤福氷の漫才に全く感じいるところがなかったのは、ある意味ショックではあった。  丁々発止のやり取りは彼らの技術力によるもので、それは賞賛に値するし大いに笑わせてもらった。  けれど、今まで彼らのしてきたことをよすがに保ってきた──もとい、世間様に阿り我慢に我慢を重ねてきた自分の十八年間のありようを、軽やかな笑い声でひっくり返され裏切られ、どういう気持ちで席を立てばいいんだろうか。 「はー……っ! やっぱ面白かったな! 最後の新ネタ、あれ絶対テレビ受けすると思うんだけど、やんないのかな」 「──え! あ、あー……確かに! 賞レースだと今ああいうのがウケますよね」  目尻に溜まった涙を拭った彼の調子に合わせ、高揚のあまり反応が遅れた体を装って返事をする。 「舞台で反応見ながら、年末の大会に向けて調整してんじゃないすか? 面白かったけど、今日のは結構尺が長かったっすもんね」 「あー。言われてみりゃ確かにな。賞レースで使うネタなら、確かに結構長かったもんなあ。でも、どこ削るのも惜しくないか?」  楽しげに口角を上げながら、やっぱり夕真は屈託なく笑う。そんな顔を見せつけられるごとに、そこにたとえ自分が影響していたとしたって、やっぱり彼は間違いなく何かを「乗り越えた」のだという痕跡を見せつけられるようで気持ちがひりひりする。
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