14、愛日と落日⑦

16/17
前へ
/228ページ
次へ
「チョーヨーさん。かなり、ペースが落ちているようですね。ですが、焦る必要はありません。自分のペースで、完走を目指しましょう!」  耳元で無機質な声が告げる。全長二十一、三キロのコースにおいて、大体十八キロあたりのところにある六郷橋で中継所まで足を残しておけるかどうか。箱根駅伝の一区においては、その後の勝負にも大きく影響する。  ──が。無鉄砲に走っていたせいで十五キロのあたりでペースはがくんと落ち、重陽の両足はフィットしないシューズの抉る土踏まずの痛みに耐えながら、ほとんど準備運動のジョグみたいなペースでアスファルトを蹴っていた。  これが本番のレースならきっと「一体なんのアクシデントが!?」と哀れみを含んだ実況がなされる展開だろう。しかし悲しいかなアクシデントでもなんでもなく、単にペース配分とコンディション管理不行届ゆえのペースダウンというだけのことなのである。  夕真のことが好きだ。好きで、好きで、たまらない気持ちになる。  けれど丹後主務のことも、全く別の意味で「好き」だ。彼に報いたいと思う。彼がもう自分の思うような形で走ることができないのだとすれば、彼が見込んで求めてくれた自分がそれを成したいと思う。 「チョーヨーさん。あと少しです。ラストスパート! 諦めないで!」  ナビゲーションが空虚極まりないエールを告げる。コースはあと一キロ。確かにラストスパートだ。  どこにそんな力があったのかは分からないけれど、煽られて自然とペースが上がった。足は重いし痛いし、肺は千切れそうだし喉はカラカラだし、もはやこれ以上はないほど「やってらんねー!」くらい苦しくはあるのだけれど、重陽は走るのをやめることができない。  結局、これがおれのアイデンティティなんだな。  そんな諦念とともに、重陽は二十一、三キロをコースを完走し京急線鶴見市場駅そばの交番前に転がり込んだ。  胸が痛む原因が失恋なのかラストスパートのせいなのかの判別がつかないところが、やっぱり走ることの利点だと思う。感情を曖昧にしてくれる。そんなところをよすがに重陽は今の今まで、逃げるために走ってきた。  路上に倒れ込んだ重陽に、ちらりちらりと視線を寄越しながら素通りしていく人たち。そんなのがやっぱり居た堪れずにすぐ肩で息をしながらよろよろと起き上がって、自分の走ってきた道に重陽は深く頭を下げる。
/228ページ

最初のコメントを投稿しよう!

43人が本棚に入れています
本棚に追加