第1章 失って得たもの

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「ああ、確か一年半前にたまたま澄江さんの働いている定食屋に立ち寄ったんだけど、そこで僕がスーツに大きめの醤油のシミを作ってしまって、その後大事な商談があって困っていたら澄江さんが手早く染み抜きしてくれて、それからちょくちょくそこに通うようになったんだ」 「へぇ、でも鈴木さん素敵だからモテるんじゃあ……母の前に結婚はしてたんですか?」 「残念ながらそういう縁がなくてね……まぁ、確かに声をかけてくれる人はいたんだけどいつの間にか僕を置き去りにして変な争い事が起きたりするから段々そういうことから遠ざかってしまって……お見合いもしたけどうまくいかなくてね」 「……大変なんですね。モテるのも。ところで鈴木さん他にご家族はいらっしゃるんですか?」 苦々しく話す鈴木さんにつられ私も顔をしかめていると鈴木さんは柔らかい笑みを浮かべたまま答えた。 「……僕は両親に早くに先立たれて、母方の祖父母に育てられたんだけど、三年前に祖父を二年前に祖母を亡くしてそれ以来僕には家族と呼べる人がいなくなってしまって……」 「すみません。不躾な質問をしてしまって」 「いいよ、謝らなくて。で、僕も若い時は結婚を意識してたんだけど色んなことがあってすっかり女性不信になっていたんだ。で、仕事だけに打ち込んできてそれなりに出世できたかなと思っている頃に澄江さんと出会ったんだ。澄江さんは僕をトロフィー扱いせずに心から普通に接してくれたから、この人ならって僕から澄江さんに交際を申し込んだんだ」 「そうなんですね……。そんな話を聞いていたらますます二人には幸せになって欲しかったのにな……」  そう言いながら涙がこみ上げそうになり俯いた私は、気を逸らすため鈴木さんの名刺を眺めた。  そして私は鈴木さんのフルネームが《鈴木充》であることを初めて知った。 「そういえば、鈴木さんのお名前、みつるさんて言うんですね」 唐突な質問に鈴木さんは優しく微笑みつつ答えた。 「そうだよ、すずきみつる。わりとわかりやすい名前だと思うけどね」 「わかりやすいと思うけど、一応確認しただけです。じゃあこれからは充さんって呼んでいいですか? いつまでも鈴木さんじゃなんですし……」  私の提案に少々驚いた表情をした充さんは暫く何かを考えてから口を開いた。 「そうだね、僕のことは好きなように呼んでいいよ」
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