第1章 失って得たもの

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 電話を切り、震える手でタクシーを止めた私は、母が眠る病院へ向かった。 ****************** 暗い気持ちでタクシーを降りると、時間外入口の前に、不安げに辺りを見回しているスリーピースのスーツを着た長身の男性が佇んでいた。反射的に会釈してその人に近づくと、男性はこわばった表情で私に尋ねた。 「しほりさんですか? 僕は先ほど電話した鈴木です」  頭を下げた鈴木さんに会釈を返し私は口を開いた。 「はい……、娘のしほりです。母は今どこにいるんですか?」 「今、澄江さんは地下の霊安室で眠って……。あなたを待っています。さ、行きましょう」 鈴木さんに案内されながら、私は母の事故のことについて尋ねた。 「……警察の話によると、交差点で信号を無視したトラックが……澄江さんの車にぶつかって来たそうです……」 涙を堪えながら絞り出すように話してくれた鈴木さんは、霊安室の扉を開けた。私は恐る恐る足を踏み入れ、白い布に隠された母の遺体と対面した。 「澄江さんの顔、見ますか?」  暫く言葉を発することも忘れ、目の前の光景を呆然と見ていた私は鈴木さんに無言のまま頷いた。 軽く頷きを返して、顔にかけられた布をめくった鈴木さんに促され、拳をきつく握ったまま母の顔を見た。  覚悟を決めたはずだったが、右頬と額に擦り傷を負い、息もせずに目を閉じたままの母の姿に、私は足の力が抜けそうになった。 「こう言っては不謹慎かもしれませんが、奇跡的に顔だけは傷が少なくて、しほりさんに会わせることができてよかったと思います」  恐らく私だけではなく、自分自身にも言い聞かせるような言葉に、母の最期がどれだけ悲惨なものだったのか、否応なく思い知らされた。 「お母さん……、どうして? こんなことに……、まだ私、お母さんの話聞いてないよ。鈴木さんのこと沢山話したかったんでしょ? 答えてよ!」 母の死を目の前にして、私の中の何かが堰を切って溢れ出した。母の肩を激しく揺さぶりながら捲し立てる私を、鈴木さんが優しく肩に触れて制した。 「しほりさん、少し出ましょうか?」 黙って頷き、ふらつきながらドアを開けた私の肩を、軽く支え近くの長椅子へ座らせた鈴木さんは硬い表情のまま隣に座り口を開いた。 「すみません、しほりさん……。あなたの大切なお母さんを、僕が……、僕が殺してしまった!」
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