第2話 疲れて溜息をつく、それはヒトに与えられた最高の特権

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第2話 疲れて溜息をつく、それはヒトに与えられた最高の特権

「どうだった。今回の新人さんたちは」大山が問う。 「そうねえ」木之花はふう、と息を吐きながら書類の挟まったファイルをばさりとデスクに置いた。「まだ初日だからなんとも言えないけれど……一人、やたらテンション高いのがいるわね」 「へえ。どの子?」大山は木之花が置いたファイルを取り上げ、中の書類の角ををぱらぱらとめくる。 「結城、って子」木之花が答え、肩を竦める。「もう一人の男子、時中って子と同い年だけど、そっちの方はやたらクールで。この二人、ちょうど正反対の性格みたいだわ」 「ふうん」大山は書類――新人の履歴書――を見比べながら二、三度頷く。「本原さんは? どう」 「彼女もそうね、どっちかというと時中くんのタイプに近いようね。冷めたのが二人に、暑苦しいのが一人ってとこかしら」 「あれ、うちらと似た感じじゃない?」それまで黙って缶コーヒーを飲んでいた天津が顔を上げ、面白そうにコメントした。「クールな男女と、熱い野郎一人って」 「――」 「――」  木之花と大山は揃って天津を見たが、二人ともすぐに返答しなかった。 「あれ、」天津は立場を失いきょろきょろと二人を交互に見返した。「えと、ごめん」 「熱い野郎っていうのは、どっちなわけ?」大山が自分と天津を交互に指差し問う。 「え、そりゃもちろん社長っすよ」天津は大山を手で示して笑う。「だってこの中では一番立場上だし」 「へえー、そうだったんだ」大山は眉を上げ大げさに驚いた顔を作った。「俺って偉いのか」 「何ってんすかあ」天津は上司の肩を指で小突いた。「社長ー。しっかりして下さいよう」 「ハハハハ。すまんすまん、天津くん」大山は頭に手をやり肩を揺すって笑う。 「はい、面白かったです」木之花はとうにPCに向かい何かをタイピングしていた。「明日から研修開始になりますので、スケジュール把握お願いしますね」そこまで言うとエンターキーをぽんと押し、天津の方を見た。「ヒラ教育担当社員さん」 「――」天津は笑顔のままで数秒沈黙した。  はい、という彼の小さな返事は、書類を印刷し始めたプリンターの作動音にかき消された。 「じゃあ皆さん、これからどうぞよろしくお願いします」結城は敷地の門のところで、時中という長身の男と本原という小柄な女に向かい礼をした。「また明日、お会いしましょう」 「よろしくお願い致します」本原も礼をする。 「よろしくどうも」時中は頷くように首を下げ、言った。 「そのうち皆で、同期会みたいな感じで飲みに行きましょう」結城は右手で杯を傾ける仕草をし、ハハハと笑った。  二人はそれに対し、何も答えなかった。 「あ、お嫌いですか、そういうの」結城は架空の杯を手にしたまま訊いた。 「酒云々ではなく、まだそういう気分に持って行けるものかどうかという点がはっきりわからないので」本原が解説する。「現時点では、承諾致しかねます」 「あ、そう」結城は架空の杯を持つ指を開きながら答えた。「時中君、も?」確認するように男の方を見、名前を呼ぶ。 「私も今の時点では同期になれるものかどうかすら危ういと思う」時中は眼鏡の奥の瞳を揺るがせることもなく答えた。 「え、同期でしょう」結城はもう一度笑いを試みた。「だって一緒に入社したんだし」 「三ヶ月は試用期間ですよ」本原が言葉を挟む。 「あ」結城は目を見開いた。 「そう」時中は小さく頷く。「お疲れさんをする前に、まずは疲れることのできる身分になるのが先決だ」 「わあ、厳しいなあ。ハハハ」結城は感嘆しながら笑った。「でも、確かにそうだね。うん、じゃあまずは、お互い頑張りましょう。お互いに、助け合うってことで」だがすぐに声のトーンを復元し、結城は再度発破をかけた。 「助け合わない」だが時中はまたしても否定した。「私はそういうものを信用しない」 「えっ、どうして」結城はまたしても慌てふためく魚のように首を一振りし訊いた。「なんで信用できないの」 「人は人を裏切るものだから」 「そんな、縁起でもない」 「そうだ、演技。人は演技をする生き物だ」 「いやそうじゃなくて」 「では私はこれで失礼します」本原がもう一度お辞儀をし、特に二人と視線を合わせることもなく振り向き立ち去った。 「では」時中ももう一度首を頷かせ、本原とは反対の方向にくるりと向きを変えて立ち去った。 「あ、うん、お疲れさん」結城は右側の本原と左側の時中を交互に見送った。  夕焼けの中を烏が鳴きながら飛び去って行く、その黒い影が結城の視界の片隅に小さく映っていた。     ◇◆◇  翌日、三名の新入社員は再び同室で顔を合わせた。 「おはようございます」 「おはようございます」 「おはようす!」  会釈、頷き、片手挙げ、とそれぞれの所作で挨拶を交わす。  ほどなく、昨日入社手続きをすすめてくれた木之花が、今日はクリーム色のスーツ姿で新たなる書類を手に現れた。 「おはようございます」 「おはようございます」 「おはよう、ございまーす!」  新入社員達はまたしてもそれぞれの所作でそれぞれ挨拶の言葉を口にした。 「昨日お渡しした研修スケジュールに沿って、本日からは研修期間となります」木之花はそう言って三人を見渡す。  昨日木之花から渡された書類上には、まず業務内容の説明、それに続き業務に必要な知識に関する研修という流れが書かれてあった。机上研修が四日、公休を二日挟んだ後現場でのOJTつまり実地訓練が五日、計九日間、のべ約二週間の予定だ。その期間が長いものなのか短いものなのか、現時点では誰も判断がつかずにいた。 「それでは早速ですが、まず皆様にお願いする職務内容の概要を、ご説明させていただきます」木之花は黒のマジックを取り、ホワイトボードに文字を書き始めた。  イベント と、彼女は横書きに書いた。 「イベント」結城は口に出して呟いた。  他の二人は無言でホワイトボードを見ていた。 「はい」木之花はマジックにキャップをはめながら、結城の呟きに答えた。「イベントです。皆さんには、労働契約書の中にもありましたように、地質開発にかかるイベントの実行をお願いいたします」 「その“イベント”というのは、何の目的で行われるものなんですか?」時中が質問した。「宣伝のためですか? 何か新製品とか、キャンペーンの告知のような」 「宣伝、ではありません」木之花はゆっくりと首を振った。「これは、わが社の社名にあります通り、地質を調査するためのイベント、というものになります」 「地質を調査するためのイベントですか」結城は木之花の言葉を復唱した。 「はい」木之花はゆっくりと、瞬きをした。睫毛が長い。「言い換えれば、わが社では、イベントにより地質を調査している、ということになります」 「開けゴマ的な?」本原が質問した。それは冗談めかした言い方ではまったくなく、ごく真面目な“真声”での質問だった。なので誰も笑わなかった。  そして木之花はその質問に対し「はい」と答え、頷いた。 「開け、ゴマ」結城が復唱した。 「はい」木之花はやはり頷いた。  こほん、と時中が控えめな咳払いをし「それは」と質問を口にした。「何の為の呪文なのですか?」 「それは開くためだろう」結城が目を見開き、木之花の代わりに答える。 「何を」時中は苛立たしそうに眉根を寄せ、一瞬だけ結城に視線をくれた。 「それはあれだろう」結城は天井を指差した。  しん、と室内が静まり返った。 「あの、あれ」結城は天井を指差したまま繰り返した。「あの、ゴマ」 「岩盤をです」木之花がやっと後を継いだ。 「そう、岩盤。それ」結城は指を木之花に向け、十回にも及んで頷きを繰り返した。「それを開くための、あれ」次に指を時中に向ける。  時中は右目の下をぴくりと震わせたが、結城と視線を合わせることはしなかった。 「呪文で開くのですか?」本原が質問した。「ドリルとか、何か掘削する機械などではなく」 「はい」木之花は本原の方を見てまた頷いた。「機械は、大型のものは一切使いません」 「じゃあ、私にも出来るということですか?」本原は自分の胸に手を置いてまた訊く。 「はい」木之花は頷く。 「おお、よかったねえ、本原さん」結城は顔を太陽のように明るく輝かせ本原を見て言った。「じゃあ、俺にも出来るということだ」 「結城さんには」木之花が少し微笑んだ。「若干、機械を使っていただくことになります」 「えっ本当ですか」結城は両手を大きく開き肩の高さに持ち上げ驚きのジェスチャーをした。「機械を」 「じゃあ何か免許とか資格が必要になるということですか」時中が質問する。 「いえ、免許も資格も必要ありません」木之花は首を振る。「小規模の、簡単に操作できるものです」 「じゃあ大丈夫だ」結城は大きく頷いた。「私にも出来る」 「ちなみに」時中は腕組みをし顎に拳を当てた。「基本的なことですが、そもそも開けるんですか」 「――」木之花は微笑みを絶やさず、少しだけ首を傾げた状態で時中を見た。 「その、呪文とやらで」時中も真っ直ぐに木之花を見据え、問いの言葉を続けた。「言い方は悪いですが、たかだかそんな程度のことで、岩盤なんかが」 「時中君、まずいよ」結城が片眉をしかめて声をひそめる――が、ひそめたにも関わらずその声はやはり大きかった。「会社のやり方にいちゃもんをつけるとか」 「いちゃもんではない」時中は冷たい視線を一瞬だけ結城に投げつけた。「正当なる質問だ」 「開けます」木之花は静かに答えた。「許しが得られれば」
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