完全なる不幸

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その女は、人生で不幸を感じたことが無かった。常に幸せだった。心一杯に幸福を感じて生きて来た。それが、いったいどんな生活だったかというのは説明が難しい。幸せと一言に言っても、それは人それぞれに感じるものだからだ。とにかく、その女が実に幸せに生きて来たことは間違いが無かった。 「不幸って、どういうものなのかしら。一度感じて見たい」 日ごろ女はよくそう言ったので、周囲の人々からうらやましがられ目を丸くされていた。 あるとき、その不幸知らずの女の噂を聞きつけた悪魔が女の前に現れた。悪魔は汚らわしい黒い姿で女に話しかけてきた。 「おまえさん、不幸になりたいんだって?その望み、私が叶えてやろうか」  悪魔はニヤつきながら女に言った。 「まあ!不幸!ぜひ感じて見たいの、お願いします!」 「その代わり、願いが叶ったあかつきには、おまえさんの魂をいただくが、いいか?」 「……引き換えが必要なのはしかたのないことですね。いいですわ。私の魂、差し上げましょう」 「では、契約成立だ」  悪魔が右手の長く汚い爪の人さし指を振った。  その瞬間、女は完全な不幸になり、同時に大望が叶った幸福に満たされて、とろけるような表情で法悦に浸った。 「しまった」  悪魔は人に幸福を与えたしくじりに苦しみだし、やがて灰になって風に吹き散らされて消えてしまった。
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