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学生時代
それにしても、友人や教師には相当恵まれていた。
僕は特別学級に小学一年生の頃から入っていたのだけど、ホームルームクラスのみんなも昼休みとかは遊んでくれたし、特に嫌悪の目を向けてくることはなかった。
確かに全くいなかったわけじゃない。
上級生のカズ君なんかはタチの悪いガキ大将で、僕たち特別支援学級の生徒を見ると「ショーガイシャだ!移るぞ!」とか言いながらバカにしてきたし、中学年のとき同じクラスだったひなちゃんやますみちゃんはこそこそと陰で何か言っていたみたい。
それが原因で学校に来られなくなった友だちだっているし、何より特別支援学級は僕みたいに頭の障がいの人だけじゃなく、身体の障がいを抱える子だっていた。
そういう子たちは頭の働きは普通の人と同じだったから、言われてることとかやっぱり分かるんだよね。
当時の僕は、正直分かってなかった気がする。
そもそも口が聞けなかったし、今みたいにずっと一個の作業に没頭してしまう。
僕はこの頃から絵が大好きだった。
ずっと色鉛筆やらクレヨンやらの画材を机の周りに散らかして描き続けていた。
絵だけは凄く才能があったみたいで、支援学級の先生にも「俊は絵を続けなさい。きっとみんな俊を褒めてくれるから」って言われた。
でも僕は絵の評価とかどうでもよかった。
評価はいいから取り敢えず描かせろ!って感じで。
それは中学高校と変わらなくて、テスト前も僕はずっと絵を描き続けていた。
「俊!いい加減勉強なさい!」
母は厳しく僕を叱った。
今思えば凄くありがたいことだと思う。
多分僕を後悔させたくなかったんだと思う。
せめて人並みにさえ勉強できるようになってくれれば僕は救われるんじゃないかという母の願いだったんだろうなと。
僕が高校に入る頃、母は再婚した。
石倉さんという母の3つ下の男の人。
僕と兄は石倉さんのことを下の名前でずっと呼んでいた。
「実春君!」って。
実春君はゆっくり僕のお父さんになってくれた。
正式に言うと実春君は結婚前から僕らと同居していた。
急に環境が変わると化け物になる僕に気を遣って、ゆっくりゆっくり会う頻度を増やしてくれた。
そして僕が小学校6年生の頃から同居を始めた。
そして高校へ上がる頃、実春君は僕に話しがあると言って、僕の部屋に来た。
「俊君、俺さ俊君と誠ちゃんのお父さんになってもいいかな?」
正座して、僕の手を握りながらゆっくりと優しい口調で訊いてきた。
僕は「いいよ」と頷いた。
実春君はあけ美さんの旦那さんになりたいじゃなくて僕らのお父さんになりたいと言ってくれた。
それが凄く凄く嬉しかった。
後から聞いた話しだとお母さんにも同じ言葉でプロポーズしたらしい。
普通だと、「え?私は?」ってなるところお母さんは逆にその言葉だったから安心したと言っていた。
「うちの子たちを受け止められる覚悟のある人じゃないと再婚なんてとても無理だわ」
元気だった頃にそんなことを口にしていた。
僕はこうして菅原俊から石倉俊になった。
ありがとう、実春君。
いや、お父さん。
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