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うちに「ぐしゃぐしゃ」がいます。
ぐしゃぐしゃは猫でも、犬でもありません。もちろん人でもありません。
黒い糸の切れ端を集めてぐしゃぐしゃにしたような、私より大きい何かがいるのです――子供の頃に「いる」と気が付いてからずっと。
あれが何なのか、私にはわかりません。家の大人たちも、上手く説明ができないらしく「あのぐしゃぐしゃは何?」という私の質問に、明確な答えを貰えた試しがありません。
仕方がないので、私はあれをぐしゃぐしゃと呼ぶようになりました。
ぐしゃぐしゃは、家の中では一番に大事にされています。
家で、一番広い居心地の良い部屋を巣にして、好きな物ばかりの食事をたくさん食べ、自由な時間に外へ出ては遊びまわり、家にいる時は手伝いをすることもなく巣に籠りきり。
でも、誰にも何も言われないのです。
「ご飯よ。足りなかったら、唐揚げも温めようか?」
夕飯時。母の猫なで声が聞こえてきます。勿論、ぐしゃぐしゃに話しかけているのです。
私は食卓に出来上がった料理を並べながら、それを聞いていました。
ぐしゃぐしゃは食事の時間はいつも、全ての料理が出来上がってから巣から出てきます。それも母に猫なで声で呼ばれないとだめなのです。
そしてぐしゃぐしゃは、自分の好きなおかずがないと、へそを曲げます。それだけでなく、皿のおかずが適当に盛られていると、機嫌を損ねてしまうのです。
おまけに、訳知り顔であれやこれやと料理の手順や味付けに文句をつける始末。
――なんてわがまま。
ため息を隠して、私は自分の皿に向かいます。私は食べることが得意ではなく、たくさん食べられない身体なので量は少なめです。気を遣うだけ面倒なので盛り付けも適当です。
しかし、まだ手を付けることはできません。ぐしゃぐしゃが食べ終わって、巣に帰ってからでないと、私は手を付けることができないのです。
母は、なおもぐしゃぐしゃに猫なで声で話しかけます。
「お風呂は沸いているから、好きな時間に入りなさいね」
ぐしゃぐしゃはそれに返事をしません。「ありがとうございます」どころか「うん」と頷くことすらしません。
だって、お風呂はいつの間にか綺麗になっていて、湯舟のお湯は沸いていて、自分の都合の良い時間に入るのが、ぐしゃぐしゃにとっての「当たり前」なのです。
ぐしゃぐしゃからしてみれば、母が言ったことは「外に出るときは靴を履いていいのよ」と言われているようなものなのでしょう。
ぐしゃぐしゃを特別扱いしすぎではないか、流石におかしいのではないかと声を上げると、両親は決まって「やっかみはやめろ」と私に厳しく言います。
そういう風に私を悪者にしないと、ぐしゃぐしゃの機嫌を損ねてしまうからです。
ぐしゃぐしゃにとって「若い女性」というものは、最下層にある存在のようです。そんな存在である私が、ぐしゃぐしゃのことに意見をするなどおこがましいと、本気でそう思っているのかもしれません。
長い年月をかけてぐしゃぐしゃの機嫌を取ることに注力してきた両親には、最早、歪んだ認識が沁みついてしまっているのでしょう。今の彼らにとって、ぐしゃぐしゃは何よりも優遇すべき存在となってしまったのでしょう。
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