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ぐしゃぐしゃは、私がこの家の中で一番下の存在であると思っています。
だから、私には何をしても構わないと思っているのです。
遊びに行くときに、私の財布からお金を盗んでも。
私が大事にしている物を勝手に持ち出して、ぼろぼろにしても。
家の中で自分がやらかした失敗を、私がやったと押し付けても。
ぐしゃぐしゃは悪びれもしません。
その中で一番多いのは、言葉の暴力です。
両親や外の人たちを前にした時は、真面目なふりをしているぐしゃぐしゃですが、私には酷い言葉ばかりを投げかけてきます。
「キ×ガイ! キ×チワ×イんだよ!」
「さっさと×ね!」
何を言っているのか半分もわからないのですが、酷いことを言われているというのは声の調子でわかります。
けれど、それを両親に訴えても、ぐしゃぐしゃを贔屓する両親は「私たちにはわからなかった」「そんな意味で言ったのではない」とぐしゃぐしゃの味方をするばかり。
ぐしゃぐしゃの暴力は、それだけではありません。
私が子供だった頃、ぐしゃぐしゃは夜になると私の身体にべたべたと触りました。もっと、酷いこともされました。
誰も、大人が見ていないところで。
とても気持ち悪くて、不快で、恐ろしかった。なのに、ぐしゃぐしゃは今も昔も、それを悪いこととは思っていないのです。
私が大人になるにつれてそれは減っていきましたが、時折思い出したように私の入浴を覗きに来たり、トイレにいると知ればわざとドアを開けに来たり。頭や肩や腰に、すれ違いざまに触っていくこともしばしばでした。
両親に一番酷かった子供の頃のぐしゃぐしゃの悪事を訴えても「どうしたらいいかわからない」と言うばかり。
大人になってからされたことを話しても「気のせいだろう」「気にしすぎだ」と笑うばかり。
ぐしゃぐしゃのしたことを憎むべき悪と思うことも、叱ることも、罰を与えることもありませんでした。
恐ろしくおぞましい暴力をふるわれ、今もその記憶に苦しんでいる私の心など、彼らはどうでも良いのでしょう。
両親は「お前が見ていないところで注意した」と言います。その上で、ぐしゃぐしゃは反省していると言います。
――さて、それはどうでしょうか。
「あれくらいで、大×ぎしやがって!」
「お前に×××れて、俺の方がヒガ×シャだ!」
「土下×しろ! この×から出×てけ!」
私が汚らわしい記憶の濁流に呑まれ、苦しみ、泣いて、自分を傷つけている時に限って、ぐしゃぐしゃはこういうことを言います。そうすれば、私の心の傷はさらに深くなるということを知っているのです。
振り上げられたぐしゃぐしゃの黒い塊。私を殴るふりをして、自分に怯える姿を見て喜んでいるのです。
そうして、壊れていく私の異常さを両親に見せ、次第に私が両親から見放されていく様を眺めて、喜んでいるのです。
ぐしゃぐしゃは本当に、反省しているのでしょうか?
けれど、両親はぐしゃぐしゃが反省していると信じて疑いません。そして、反省しているからぐしゃぐしゃはもう無害であると思っているのです。
ぐしゃぐしゃは、両親に何かしたのかと聞かれると「何も知らない。何も言っていない」と言います。それが真っ赤な嘘であるにも関わらず、両親はいつもいつも騙されてしまうのです。
ある日、母はいつものように苦しんでいる私を平手でぶちながら言いました。
「お前はもう騒ぐな。何も言うな。黙れ。ここに住めなくなったらどうしてくれるんだ」
始めの内は「殴られて当然だ」と言っていた父は、そのうち私をぶつ母を「やめなさい」と止めるようになりました。
しかし、私に暴力をふるう母から、本気で庇ってくれたことはありませんでした。
そのうち、自分でつけた傷と、母がつけた傷とで、私は傷だらけになりました。
身体の外だけでなく、中も壊れていきました。人並の量の食事を摂ることができなくなってしまったのです。
当初は心配する素振りを見せた両親でしたが、そのうち、少なく食べる私に慣れたのか何も言わなくなりました。
私は毎日、普通のふりをして過ごすようになりました。
わけのわからない生き物に、人としての尊厳を踏みにじられ続けているという惨めな気持ちを隠して。
家族は誰も助けてはくれないのだという絶望から目を逸らして。
感情のない笑顔の仮面を顔に張り付けて、いつか来る「終わり」を待ちながら、ただ息をする。
この家は今は平穏です。
その平穏が、私の心身を犠牲にして成り立っているということなど、父も母もぐしゃぐしゃも、誰も知らないのです。
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