第六章 キャンプファイアー

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 別館にある、屋上まで私は駆け抜けた。別館は人気もなく、静まり返っていた。屋上に出ると、プールがある。そこにはまだ撤去していないままの水泳部の出し物の飾り付けがやけに寂しさを思わせた。私は壊れている南京錠を外してプールサイドに行った。 「ちょっと、慧! どうしてこんなところに……」  愛華は戸惑いながら私に問いかける。私はそんなことは、お構い無しにその場で制服を脱ぎ捨てた。 「慧! 何してるの! やめなって! 人が来たらどうするの!」  愛華の嬌声が響く。校庭からは相変わらずダンスミュージックが流れ、プールにあったビーチボールは今はなく、眼下のプールは凪いでいた。私はスタート位置に立つと愛華の方をやっと振り向き、 「今から私が二十五メートル泳ぎきるから、見てて」 「え? ダメだって! 風邪引くって!」  愛華が私の手を引っ張ろうとしたのを、するりとすり抜け、私は構わずプールの中へ飛び込んだ。  じゃばん、と水しぶきが上がり、身体中に凍るような冷たさが襲いかかる。  私は深く深呼吸すると、真っ直ぐゴールを見つめ、一気に泳ぎだした。一度も泳ぎきったことはない。だからこそ、今、愛華に見せなければならない。  スタートし、麗が教えてくれたことを意識しながら、冷たい暗い水の中を泳いだ。進むたびに身体が凍っていくようだったが、私の胸中だけは熱いものが滾っていた。  クロールして息継ぎするときに愛華が私の横をぴったりプールサイドから追いかけてくる気配がしていた。何か言っているようだったけれど、とにかく私は無我夢中で泳いだ。  余りにも長い時間に思えた。それでもそのときに沢山の思い出が私の頭の中に蘇ってくる。愛華と初めてちゃんと話せた日。友達になれた日。愛華のインハイ予選、夏祭りや海や修学旅行。そして、仲違いした日々。  そんな一瞬一瞬の思い出が、私の中に次々と溢れ出し、気づいたときには目の前にゴールがあった。 「慧っ!」  私は壁に手を付くと、その場で立った。水中から顔を上げると愛華が心配そうに私を見ていた。私は破顔し、 「愛華! 私、泳げたよね? 泳げたよ! 愛華と出会って、色んなもの貰ったんだよ! 愛華、ありがとう!」  私が大声で叫ぶと、愛華は徐々に顔を歪め、涙を零した。 「そんな、私の方こそ、慧には沢山貰ったのに……。ごめん、私が意地張ったばかりに……。色々……壊して……」  愛華は言葉が出てこないようで、つっかえながら、大粒の涙を子どものように流してくれた。愛華はやっぱり可愛い。  私は寒いのもすっかり忘れ、いたずらに微笑むと、水中から愛華に手を差し出した。 「愛華。一緒に泳ごうよ。服、脱がないならそのまま引きずり下ろすよ?」  泣いている愛華にそう言うと、愛華は一瞬驚いた表情を浮かべたが、すぐに破顔し、 「わかったよ。負けた! 完敗だよ! 慧なんかに水の中で私が捕まると思ってるの?」  言って、愛華は制服を脱いだ。愛華の身体が少し晴れた空から薄らと覗いている月に妖しく照らされ、まるで深海にいる人魚のようだった。  愛華が水の中に入り、私を見つめると、私は愛華に背を向けて泳ぎだした。 「待てっ!」  愛華が楽しそうに言うと、私は途端嬉しくてこのままどこまでも泳いでいけるような気がした。そのときだ。愛華が私のすぐ横に追いつき、水の浮遊感ではない、暖かな温度とともに私の身体が浮き上がった。  目の前に愛華の顔がある。私が微笑むと、愛華が間隔を置くこともなく、強く抱き寄せキスをした。その唇は冷たく、「ああ、愛華の温度だ」と心の中で思うと、私たちは長い長い口付けを交わした。抱擁で互いの身体の中に通る水がお互いの身体を愛撫するようだ。 「愛華。好き。大好き」  キスが終わると私は愛華に向かってはっきりと言葉で伝えた。愛華は顔にかかった髪をかきあげると、優しく微笑み、 「私も慧が大好きだよ。もう、一生、離さないから。覚悟してね」 「愛華こそ、もう私以外の女を好きにならないでよね」 「うん。ならないよ。約束」  愛華が小指を差し出すと、私もそれに小指を重ねた。  私たちはそれから何度もキスをし、抱き合った。二人きりのプールは静かで、より私たちの愛が強く湧き上がったように思えた。
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