【1】01

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格差や不況やなんやかや、諸問題はびこる現代社会において、最も嫌われているのはきっと政治家でも悪人でもなく「大学生」だ。 「ハーイここに度数やばいすてきな飲み物がありまーす、そしてー、この伊勢隆義くんがー、一気飲みしてくれるらしいでーす!」 「はあ!? なんでですかぜってーやだ!」 安いチェーン居酒屋の座敷席で、五時間前に初対面を果たし二時間前くらいから一気に打ち解けた先輩に肩を抱かれ、俺は強制的に起立させられた。口元まで寄せられたグラスからは、消毒用アルコールのような味気なく強烈な匂いが発せられている。 「ヤですからほんとまじ無理ふざけんな!」 「あれー? 伊勢くん先輩にそんな口利いていいんですかー?」 「うっせーばかばか! まじばーか!」 「ガキかおめーは! いーから早く飲めよ盛りさがんだろ!」 先輩は怒っているのか笑っているのかよく分からない表情でさらにでかい声を出し、ぐいぐいとグラスを唇に押し当てる。受け止められない液体が唇の端からこぼれ、畳に落ちてシミを作った。 他人事のように煽り立てる人、冷めた目で眺めている人、ちょっと引いてる女の子、多くの視線を浴びる俺を救いだしたのは、態度の悪い女性店員の一言だった。 「あのぉ、もう閉店時間過ぎてるんですけどぉ」 外に出たときには、既に終電が出発した後だった。地方都市の公共交通機関は大体にして無慈悲なものだ。ビル群のすきまからあおり立つ、夜の冷えた風を浴びた友人たちはいきいきとした表情をしている。 「あー腹減った」 「まだ食うのお前」 「ラーメン食いたい」 「あー分かる」 「ラーメン行くの? わたしも食べたいー」 「じゃーあの北口んとこ」 「そうすっか」 「行こー」 「おーい伊勢ー、何やってんだ早くしろー!」 そしてぞろぞろと次の店を目指して歩き始める。俺はと言うと、外に出たとたん酔いが回り、情けないことに店の前でしゃがみこんだまま動けなくなってしまった。しかし誰もが「伊勢はそういうやつ」という認識を持っているためか、平然と先へ行ってしまう。 「くっそー……まじあいつらなんなんだよ……」 皆の笑い声がゆっくり遠ざかり、今は通りを駆ける車のエンジン音しか聞こえない。今さら悪態をつこうと、俺の惨めな呟きは誰のもとへも届かない。 「あー……なんでこんな扱い受けなきゃいけないんだよー……」 いわゆるいじられキャラに徹するには、俺は少々プライドが高すぎるらしい。あと8センチ伸びるはずだった身長が平均の少し下で止まってしまったことも、中学・高校と続けたバスケが母親譲りの色白を際立たせてしまったことも、今やすさまじいコンプレックスとなっている。 アルコールの効力もあいまって渦巻く感情に飲み込まれ、うつむいたまま顔をあげられない俺の視界の中に、ふいに派手な赤色のスニーカーが飛び込んできた。 「……伊勢ちゃん」 「あー……、たかおかさぁん」 「大丈夫か?」 顔を上げるとそこに立っていたのは、明るい髪色の先輩だった。 高岡拓海――同じ大学、同じ文学部。さらに彼は一年ダブっているので、同じ授業を受ける機会も多い。サークルは軽音だかなんだかだそうで、大学に入ってバスケを辞めフットサルを始めた俺との接点はないが、軽音部のどんな人より多分俺のほうが仲がいいと思う。 「高岡さんラーメン行かなかったんすかあ?」 「うん。それより大丈夫か、立てる? 帰れそう?」 「……おれね」 「ん?」 「ああいうのやなんです」 「ん」 「ああやって店の人とかあ、色んな人に迷惑かけて、それがいいみたいなそういうノリほんっと嫌い。まじでクソだと思う」 「そっかそっか分かったからとりあえず立とう」 腕を引っ張られるままもつれながら立ち上がり、ふらついて倒れそうになったところをすかさず受け止められた。間近に迫った高岡さんの丹精な顔は、数秒の停止のあと怪訝に歪む。 「酒くっさ……どんだけ飲んだの」 「俺が飲んだんじゃない! 飲まされたんです! あの先輩ほんときらい!」 「あーうん、そうね。歩けなさそうだったらタクシー使うけどどうする?」 「だいたいあの人今日初対面なんですよ? 名前とかもよくわかんねーし、なのにこんな」 「元気そうだからこのまま歩くか」 高岡さんは愚痴を受け流しながら、自宅までの道を迷うことなく進んでいく。高岡さんの返事が冷たいので俺も躍起になってどうでもいい話を引き伸ばす。次の角を曲がればようやく俺のアパートに到着、という頃には、体力も磨り減って働かない頭でよく分からないことばかりを呟いていた。 「俺はね、頭も悪いしろくな人間じゃないですけど、ときどきは自分の夢とか好きなこととか、そういう話もしたいんです、でもそういうの青臭いとかだせぇとか真面目とか言われて」 「んー」 「もー俺どの女の子がかわいいとか誰と誰が付き合ったとかそういうのどうでもいいんす。でもそういうの分かってくれるの高岡さんしかいないし。高岡さんだけなんですよほんとあんなに人いる中で」 「…………鍵どこ?」 「……リュックの外ポケットです」 高岡さんは俺の肩を支えたまま、まるで自宅にように慣れた仕草で鍵を開け部屋に入り電気をつける。スマートな動作の前で、俺はさらに情けない感情を煽られぼろぼろになってしまう。 「たかおかさん、俺のことバカにしてるでしょ……」 「は? 何いきなり。そんなわけないだろ」 「いや分かるまじ分かる、高岡さんそーやって相槌打つふりしてうるせーなーって思ってて家帰ったら今日のメンツに『伊勢がこんなん言ってて面倒かった』とか連絡するんだ! 悪口言うんだ」 「しねーよ。確かに今のお前はだいぶめんどいけど酒のせいだって分かってるから。ほんとそろそろ酒癖直そうな」 「最近高岡さんなんか冷たいですもん! 前はもっと宅飲みしたりー、飲み会だとめんどくさがられる真面目な話したりー、そういうのがあったのに! 最近は! すげー冷たい! 俺が迷惑かけるせいだけど!」 「うんうん分かったごめんなー。はいはいいい子いい子」 ベッドにどさりと投げ捨てられると一気に眠気に襲われた。俺が靴下をはいたままシーツに入るのが好きじゃないと知っているから、高岡さんが脱がせてくれていることに手放しそうな意識の中で気付く。あー冷たいとかやっぱ嘘だな、この人ほんと優しいな、面倒見がいいというか、こんなクズの後輩居酒屋の前に捨てられて当たり前なのに、ここまでしてくれるのは本当にもう。 「……ほんとに高岡さんだけなんすよー……」 それはほとんど寝言だった。半分、いや七割強夢の中に落ちながら、ぽろりと漏れた意味のない言葉にすぎなかった。 「……いい加減そういうのやめろよ、本気にしたくなる」 だからこそ俺には、高岡さんが苦しそうに呟いたその言葉は聞こえていなかったのだ。
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