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【2】03
試合の日は目の奥が痛くなるほどの快晴だった。高岡さんと一緒に家を出て、試合が行われるフットサル場に向かった。しかし、指定された時間ちょうどに到着したのにもかかわらず、会場は閑散としていた。
「人いなくね?」
「あれ……? 本当ですね、なんでだろ」
集合場所を間違えたのだろうか。部長から送られてきたメッセージを確認しつつ会場をふらつき、知人の姿を探す。屋内コートの周辺を歩いていると、更衣室へ繋がる廊下を見知った影が横切った。背が高い奴は本当に有利だ。こういうときでもすぐに見つけられる。
「あ、いたいた。おーい」
細身で長身、そこそこ筋肉質、黒く焼けた肌と、金に近いほど明るい色の短髪。手を振り名前を呼ぶと、彼はすぐに気がついてくれた。
「黒部ー」
「あ、伊勢さん! おはようございます!」
俺を見た黒部はにかっと笑った。健康そうな白い歯がのぞき、人懐こい表情になる。俺に限らず多くの先輩からかわいがられている後輩は、どんなときであれ清潔な振る舞いをするのだった。
「おつかれー」
「お疲れさまです」
「てかさあ、なんか人少なくない? なんで? みんな遅刻してんの?」
「え、なんでって、まだ時間あるからじゃないっすか」
「え? 時間ピッタリくらいだろ?」
「……伊勢さん時間勘違いしてません?」
「え?」
腕時計を覗きこみ文字盤を見ているうち、正しい答えがゆっくりと浮かび上がったのだった。
「あれ……もしかして俺一時間はやく来た?」
「そっすね」
時計の見間違い、というどうしようもない結論に、黒部がうなずく。慌てて隣りの高岡さんを見ると、呆れた顔をしていた。
「お前がまちがってんじゃん」
「うっわーやっべぇ俺素で勘違いしてた! すいませんまじで!」
「いやいいけどさ」
自分ひとりで勝手に間違えるならまだしも、高岡さんまで付き合わせてしまった。そうでなくてもここへ向かう途中「本屋寄っていい?」と言う高岡さんを「えー、時間ぎりぎりになっちゃいますよ今度にしてくださいよ」などとうながしていたのだ。なにが時間ぎりぎりだ。実際は、ゆっくり立ち読みできるほどの時間があるじゃないか。
そのとき、黒部と高岡さんの気まずそうな距離感を感じた。
「あ、ついでに紹介しときます。サークルの後輩の黒部です」
「どうも」
「こっちは高岡さん……」
「よろしくお願いします」
お互いに小さく会釈しているのを眺めながら、たかおかさん、に続く言葉が途切れてしまった。俺と黒部はサークルの先輩後輩だ。それに対し俺と高岡さんは恋人同士だが、そんなこと簡単に口外できるものでない。しかし隠そうとしたとき、俺と高岡さんを繋ぐものが途端に消え去る。サークルも違う、ゼミも違う。
「そっ……、そういや黒部はなんでこんな早くから来てんの」
「あ、先輩たちが来る前に整備とか、スポーツドリンクの用意とか、そういう細々した作業ができるかなと思って」
「まじで? えらいなお前。なんか手伝うわ」
「え、いいですよ」
黒部が先輩から気に入られているのはこういうところだ。謙虚で気がきく。俺が一年だった頃と照らし合わせれば感服してしまうほどだ。となりいた高岡さんが口を開いた。
「あー、じゃあ俺そのあいだに本屋行ってきちゃっていい? 試合始まる時間までに戻ってくるわ」
「あ、はい。いやーすいません、今度なんか奢るんで許してください」
「奢るもんによっては許せねぇかもしんないな」
「えっちょっと勘弁してくださいよ!」
「はは、うそうそ。暑いから試合前にがんばりすぎてバテんなよ」
「はーい」
高岡さんは軽く手を上げて去って行く。俺 黒部はなぜか、小さくなっていく高岡さんの後ろ姿をしばらくのあいだじっと見つめていた。真摯な瞳はなにかを語っていたけれど、そのときの俺は何も気づかないでいたのだ。
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