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10
立てこんだ案件もない晴れた午前、ラジオを聴きながら作業にとりかかっていると、部長に呼び出された。
「お前のこないだのフライヤーな、ボツになったから」
寝耳に水だった。シンプルなデザインを追求した先日のフライヤーは、クライアントの承諾もすでに得てあとは入稿するだけの段階にあった。背筋を、いやな汗が通り過ぎていった。
「な、んでですか」
「まー簡単に言うと、相手が意見ひっくり返しちゃったのよ。こんな地味なのは俺でも作れるなんて言い出してさ」
「それは……」
クライアントは俺の提案に対し「もっとシンプルに」と繰り返していたので、できる限り対応していたつもりだった。悔しさと苦しさが腹のなかで渦を巻き、言いたいことは山ほどあった。しかし言い訳は大人でないし、そもそも部長に言ってもどうにもらない。ぐっとくちびるを噛んだ。
「で、試しに中野くんにも作ってもらったのね。そしたらそれで納得してくれたから、悪いけど担当を変えさせてもらう。別にどっちが優れてるって話じゃないし、あの調子じゃ中野くんのデザインだって明日になったらやっぱりいやだって言い出しそうだけどな。でもまあ、それを含めて新人に経験させるにはいいかなと思ってさ。お前はお前のお得意さんに集中してくれ」
はい、と頷きながら、真夜中のオフィスの景色が浮かんだ。新人で担当している案件も少ないあいつが、ずいぶん一所懸命に制作に取り組んでいた姿を何度も見かけていた。そのとき何を作っているのだろう、とさえ思わなかった自分に呆れてしまう。誠意を持って仕事に取り組む中野の姿をこの目で見ていたのに、水面下でライバルになっていることにさえ気づいていなかった。
あいつは百点の仕事をしたのだ。
勤勉で真摯な新人は、過去の成果にしがみつき上から目線でものを言う俺を軽々と越えいった。努力も才能のうちだと誰かが言っていたが、それなら俺は中野の才能を、一生かかっても手に入れられないだろう。
「あ、深瀬さん」
フロアを出て半屋外の喫煙スペースで煙草を吸っていると、通りがかりに足を止める影があった。中野は喫煙をしないのに、ガラス製のドアを開けてこちらへやってくる。身長が高いから、正面に立たれると俺はそのスマートな影の中におさまってしまう。情けない話だ。
「頂いたサンドイッチ、めちゃくちゃ美味しかったです。どこの店のやつですか?」
「あー……」
「結構ボリュームもあるし美味しいし野菜もとれるし、いいなあと思って。深瀬さん、いいお店たくさん知ってそうですよね。深瀬さんみたいなできる男はそういう情報も」
「……るせぇな」
「え?」
「うるせぇ」
頭の中で小さな爆発が繰り返されている。気を張っていないと、目や口が俺以上になにかを語ってしまいそうだ。語るべきではないと知っていることまで。
ふいに頭にやわらかな重みを感じた。見上げると、中野が大きなてのひらで俺の頭を撫でていた。
「目、充血してますよ。疲れてるんじゃないですか? ちょっと休憩したほうが」
「っざけんなよ! バカにすんな!」
腕を振り払うとき、触れあった皮膚がばちんと大袈裟に鳴った。煙草から灰がこぼれ、革靴にふりかかる。中野は驚いた顔をした。そのまま空気を読んで、軽い謝罪とともに姿を消してくれればよかった。八つ当たりの多い、気分屋な上司にあきれてくれた方がありがたかった。
「深瀬さん」
中野は、声を荒げた俺の名前を呼びながら、それ以上はなにも語らず、やさしくやわらかく微笑んだのだ。眩暈がした。
ほとんど恐怖に近かった。こいつの前にいると、俺はなにもできなくなってしまう。せめて強気を保ちたいのに、優れた人間と同じ言語を使えない。それでも懸命に、震えるくちびるを動かした。
「俺は天才なんだよ」
つぶやいたらなぜか涙が出てきた。よくできる後輩の前で、うそをついて泣いてしまうなんて情けない。
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