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16
となりの大きなテーブルは男子高校生のグループだった。クラスメイトのあいつがかわいいとかかわいくないとか、大きな声で言い合っている。俺はメニュー越しに、中野の顔色を伺った。
「お前こんなんでいーのかよ」
「はい。新メニュー食べたかったんです」
「ファミレスなんてあんまこねぇから何食べたらいいかわっかんねー」
「そうですね、でも高校くらいんときはよく使いませんでした?」
「そうなんだよな、ドリンクバーだけで八時間くらいいられたんだよなあ」
仕事終わり、中野をつかまえてなんでもいいから食べたいもの挙げろ、と告げた。寿司や焼肉と言われたっていいと思っていた。ポケットマネーで後輩に夕食を奢るなんて、いかにも上司らしくていいじゃないかとさえ思っていた。しかし中野が告げたのはファミレスの名前だった。
おそらく、高い店に入りレジ前で俺が出すよいいえ俺が出しますともめるのは格好悪いから、はじめから安い店を選んだのだろう。その上遠慮を悟られることさえ分かっていて「腹減ってるから、とにかく会社から近いところがいいんです」と念押しする。後輩としての立場をわきまえているのが、いかにも中野らしい。出会って数ヶ月しか経っていないのに、中野の考えていることがするすると分かってしまう。
それぞれに注文し、一息ついて口を開いたのは中野だった。
「深瀬さん、怒ってるかと思いました」
「なんだよ、そんなに怒られたいなら怒ってやろっか?」
「いや、ほんと申し訳ないと思って……」
「でも、感謝してる」
俺は氷の鳴る冷水を口へ運び、氷のきらめきを眺めているふりをしていたので、軽やかに口にできた。
「ほんとは昨日会社に泊まるつもりなんてなかったんだけど、この仕事するようになってからはじめて終電忘れるまでのめりこんだんだよ。気づいたら深夜になってた。やっと終わって一息ついたとき、どっと疲れが出てすぐそこのアトリエまで行くのもしんどかったんだけどなんかその感覚さえ楽しくってさ。考えてみれば、学生時代って打算もなにもなく、楽しいからやってただけなんだよな。久しぶりにあの感覚思い出した」
真面目に語るほど気恥ずかしさがこみ上げ、最後は笑いながら顔を上げた。中野は眉を寄せ、真剣に俺を見つめていた。はじめて親に褒めてもらって、見知らぬ感情にどうしたらいいかわからず戸惑っている子供のように見えた。
「お前がいなかったら気づかないままだっただろうな、お前がいてくれてよかった」
「……俺は深瀬さんがいなかったらこの仕事就いてないです」
「はは、両思いだな」
そのとき注文した料理が届いた。俺はハンバーグで、中野は豚しゃぶ定食だった。俺はつけあわせから食べたいタイプだ。ようやく肉に辿りついたとき、中野はまだ割り箸を割ってもいなかった。
「どうした? 食わねぇの?」
俺が声をかけると急に顔をあげ口を開いた。目がほんのりと、赤い。
「深瀬さんってそういうことナチュラルに言ってるんですか? それともからかってるんですか? どういうつもりですか?」
「は? なにがだよ。いきなりキレんな情緒不安定かテメー」
「……なんでもないです!」
中野はようやく箸を持った。それからは仕事の愚痴や部長のことや、高校時代の思い出話などをとりとめもなく話し、中野は何度か声をあげて笑っていた。中野がフランクに接してくれるたび、うれしくなる。
食事を終え一息ついたあと、俺はもういちどメニューに手を伸ばした。
「デザート食ってい?」
「あーすいません俺そろそろ行かなきゃやばいです。終電早いんで」
「俺んち泊まれば?」
デザートメニューを開くと、いちごのパフェが目に飛び込んできた。中野は口を半開きにして、メニューを吟味する俺を見ている。
「だから深瀬さんほんといい加減に……」
「あ? なんだよ」
「なんでもないです。……本当に、おじゃましていいんですね」
「別にいいよ?」
「じゃあ今日おじゃまさせてもらいますから。本当に行きますよ?」
「わかったって。俺はいちごパフェ。お前は?」
「俺はいらないです……」
中野は疲れ果てたようにぐったりしている。俺はパフェを食べ、中野はコーヒーを飲みながら、学生みたいに長居した。明日も仕事だ、きっと面倒なことも悔しいこともそれなりにある。それでもパーティション越しではなく、中野と向かい合って話す時間を途中で切り上げるのは難しかった。
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