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【その後のふたり ふきげん編】
「えっ、てかここ喫煙席だよね灰皿なくない?」
「まじだ意味わかんない、ちょっと店員呼んでよ」
「やだよあんたやってよあたし今日顔面偏差値低いからむり」
「今日に限んねーしいつもじゃんわらえる」
はじめて降り立った駅は想像よりずっと都会的で、構内のコーヒーショップは混み合っていた。隣りの女たちがあまりにうるさいので移動しようかとも思ったが、見渡す限り他に空席はなさそうだ。しばらくするとトレーを持った中野がやってきて、そして隣りの女たちに声をかけた。
「良かったらこれ使ってください」
「えっ?」
「灰皿、間違えてふたつ持ってきちゃったんです」
中野の笑顔の前で女たちはとたんに静かになり、いそいそと一、二本たばこを吸ってすぐ立ち去ってしまった。店を出た瞬間きゃあきゃあ言いはじめるのが聞こえ、思わず笑ってしまう。
「お前ってかっこいーよな」
「……なんですか?」
中野が運んでくれたコーヒーを飲みながら口にした言葉は褒め言葉のつもりだったのに、中野は怪訝そうに顔をしかめた。
「いや、俺だったら今みたいなときうるっせーなー灰皿はセルフって書いてあんだろ、って思いながらとっとと店出ちゃうけど、お前は間違えたふりしてわざわざ持ってきてくれるんだもんなー」
「いや……ついでだったし、それで向こうも騒がなくなってお互いに良いじゃないですか」
おそらく、俺の顔には「隣りうるせぇなあ」と書いてあったのだと思う。それにしても本人にとって当然であっても、他人には新鮮な出来事というのは沢山あって、人と距離を詰めるというのはそうした衝撃を交換しあうことなのかもしれない。中野は今もコーヒーカップ越しに俺を伺いながら、正しい言葉を考えあぐねているようだ。
「深瀬さんもかっこいいですよね」
「どこが」
「俺にソフトの使い方丁寧に教えてくれるし」
「仕事だからだろ」
「外出たついでに部長の好きなヨーグルト買ってきてあげたり」
「適度に媚びとかねぇと仕事が円滑に回らねぇからな」
「あ、あとこの間女性社員が頭痛いって言ってるときも薬買いに行ってあげてましたよね」
「作業効率悪くなった分俺に仕事回ってきたらたまんねぇだろ」
「……なんか俺ぜんぶ言い返されてますかこれ」
「うん。ていうか俺を丸めこめるとおもってんの」
「思ってないです……」
とりとめのない話をかわしながら、窓の外へ目を向ける。休日の駅を様々な人が通りぬけ、男性も女性も子供も外国人も、それぞれの目的のために歩を進めている。
「そろそろ行きましょうか」
その間を渡って俺は今日、初めて中野の家に泊まる。財布や鍵のほか、充電器や下着や歯ブラシを鞄につめ、知らない駅を出て知らない路地を進み、途中の弁当屋でテイクアウトをして、「あそこです」と指さされた賃貸マンションの階段をのぼった。
「おじゃましまーす……おー、部屋きれいにしてんな」
「そりゃ深瀬さんよりは……」
「あ? なんか言った?」
「弁当すぐ食べますか」
「あーそうだな」
ベッドとパソコンとラグマット、そのほか最低限の物しかない簡素な部屋は、物欲と折り合いをつけられる中野の性格がそのまま反映されているようだ。なにか話題の種はないかと、ついきょろきょろと辺りを見回してしまう。その中でふと目が合った中野は、初々しく目を逸らす。
「なんだよ」
「いや……なんか緊張して。この家引っ越してきたころってまだ前の会社に勤めてたころだし、疲れて帰ってきて深瀬さんのポートレイト見ながらがんばろう、って思ってたので……同じ部屋の中にいるのがすごい変な感じっていうか」
中野が俺の作品を好んでくれていたことについては何度も聞かされていて、そのたびに気恥ずかしくなってしまう。物申すわけでもおべっかを使うわけでもなく、一定の距離を保ちながら冷静に褒め称えられるのは時々耐えきれない。俺はへらへら笑ってその話を聞くかたわら、ソファの下で少しだけ顔を覗かせていたものに手を伸ばした。
「あっ……」
それまで純潔な微笑みを浮かべていた中野は、すぐに顔色を変えて身をのりだした。そして俺がソファの下から引っ張り出した男ならではの自慰用道具を、蒼ざめながら取り上げた。
「うは、何慌ててんのお前」
「いや……すいません」
「なんで? 別に隠さなくていーよ、オナホくらい持ってんの普通じゃん」
「……すいません、片付けたつもりだったんですけど」
「むしろ俺こういう話したかったんだよ。お前ってなんかこういうのネタにしづらいとこあるからさ、フツーの男同士っぽい話出来るのうれしいよ。AVとかねぇの? この際出しちゃえよ、好きな女優の話しようぜー」
慎重な関係性を築くことは嫌いでないけれど、清潔すぎる部屋で交わされる賞賛には体温が感じられず淋しくなることもあるのだ。しかし中野は、目を伏せて弁当を取り出し、箸や飲み物を用意しはじめた。
「……中野?」
「深瀬さんのこと、ふつーの男として呼んだつもりないんですよ俺」
片付いた部屋の無音は痛い。中野はその言葉を最後に弁当を食べることに専念してしまった。テレビつけていい? とか、俺この番組好きなんだよね、とか声をかけても興味なさそうに頷きながら、淡々と箸を動かすばかり。俺もそれに倣い、からからのチキン南蛮弁当を食べ進めるしかなくなってしまう。
食後、進められるままに風呂を借りながらどうやって謝るべきか考えていたが、浴室を出ると中野は目も合わさずに「俺も入ってきます」とドアを閉めてしまった。
「なかのーぉ」
「……」
「ごめんって、許して。いちゃいちゃしねぇの?」
そして浴室から出てきた中野はまだ食事中と同様の難しい表情を浮かべている。ふぬけた俺の声もふりきって、半端に濡れた頭をがしがしと拭きながらベッドに腰をおろしてなお黙りこくる。俺はベッドサイドのテーブルに、不自然にかけられていたタオルを外した。
「そんな怒んなよ。お前だってこういうの用意してんだし期待してたろ?」
「な……っ!」
下から出てきたのはコンドームと小さなサイズのローションだった。中野がシャワーを浴びに行っているあいだに、あまりの不自然に手をかけてしまって気がついたのだ。俺のそうした無神経に、中野はいよいよ声量を張って抗議した。
「なんなんですか、深瀬さんさっきっから俺のダセェとこ集めてばかにしてるんですか!? 趣味悪いですよ!」
「してないよ。っていうか言ったじゃんお前はかっこいいよ」
例えばコーヒーショップで気の効いた振る舞いをするところ。腹を立てていても、シャワーのあいだに脱衣所にタオルとジャージとTシャツを用意しておいてくれるところ。俺はそれらに出会ったとき、真顔を保つことに必死になる。あーこいつのこういうところいいなー、とにやけてしまわないよう。
「知ってると思うけど俺男と付き合うのはじめてでなんもわかんないし、つーかもともとそういう気質だから色々デリカシーないことするかもしんない。ごめんな。でもお前ともっと距離縮めたいだけなんだよ。どうやったらもっと仲良くなれんのかわかんねぇの」
黙り込む中野の表情は精悍で、同じだけの誠実さを語らなければならないような気がした。かっこ悪いのはむしろ俺のほうだ、小学生みたいにちょっかいをかけるしか、好きな子に近付く術を知らない。
「お前のかっこいーとこも嫌いじゃねぇけどさ、完璧なだけじゃなくて気ぃ抜けてるところももっと見たいんだよ」
言葉を選ぶように俯いている中野の足元にしゃがみこみ、細身のジーンズの膝もとをついと撫でれば、中野の目からようやく緊張が抜けて雄の色が浮かぶ。
「深瀬さん……?」
「うごくな」
ベルトを外してやれば中野は察したらしく、少し腰を浮かせて脱がせやすいように協力してくれた。くったりとしている性器に手をかけ、くちびるを寄せる。しかし目の前で見た性器の生々しさに、ぎりぎりまで顔を寄せながら少しのためらいが生まれた。
「……ふっ……」
中野が声を漏らしたときはまだ唇の先と吐息があたった程度だっただろう。しかしその素直すぎる反応が、逡巡していた俺がふんぎりをつけるきっかけそのものだった。
思いきってくわえこむと、性器は震えながら確実な硬度に変わっていった。ちらりと顔を見上げると、うつむく湿った髪の陰に隠れた中野は、快感に目を細めていた。少し舌を滑らせれば口内のものは大袈裟に反応してびくびくと更に極まっていく。
「あ……っ」
「ん……、ちょっとはきもちいいか……?」
「……やばいです」
「はは」
ぺとぺとと舌を這わせるような動きを繰り返すうち、裏側を責めたときだけ中野の反応が顕著になることに気がついた。吸い付くように、舐めまわすように裏側を丹念に責めていたら、中野が突然俺の額を押しやり口から性器を引き抜いてしまった。
「なに?」
「や、ばい」
「いきそうだった?」
「……いきかけました。勘弁してください」
「イっても良かったけど」
「そうしたら深瀬さんまた『若いな~』とか言うでしょ」
あまり記憶に残っていないが、「また」と言うのだから多分俺は以前にも同じように言ったのだろう。おそらく達する早さを茶化すようにして言ってしまったからか中野は忘れられずにいるようで、俺は以前にも距離を縮めるのを失敗していたらしい。
中野はティッシュで俺の口もとを拭うと、優しいエスコートで立ち上がらせベッドにどさりと押し倒した。
「いつの間にこんなやらしくなっちゃったんですか深瀬さんは……」
覆いかぶさってきた中野はくちびる、あご、耳、またくちびる、と小さなキスを繰り返しながら俺の着ていたTシャツをたくしあげる。キスから解放されたタイミングで乳首をいじられると声が漏れそうになり、それをごまかすためだけに口を開く。
「なに、エロオヤジっぽい? まーもともとっていうところもあったと思うけど」
「違います……最近急にえっちになってきましたよね」
「よねって言われてもしらん」
「なんでそんな言い方するんですか」
「なんでって……んあっ」
ふいに顔を下げた中野に下半身を撫でられながら乳首を噛まれ、思わず声を出してしまった。油断していたのだ。胸もとに顔を寄せた中野は、上目がちに俺を見上げてにやりと笑った。
「どっかでお勉強してるんですか? 前はここまで感じやすくなかったくせに」
「お前もたいがいオヤジくせぇよなあ……」
互いに毒づいている間にも行為はすすみ、ベッドサイドに用意されていたローションで後ろをゆっくりと解される。認めたくないけれど、やっぱり後ろをいじられることには慣れてきているのだと思う。初めは違和感でしかなかった圧迫感もくちゅりくちゅりとわざとらしい音も、今ではぞくぞくと肌の上を流れては感覚を研ぎ澄まさせる役割を果たす。
「ん……」
「ね、気持ちいいならそう言ってください」
「ばぁか……」
「言ってよ、言わないといれてあげないですよ?」
「うるせーな……」
指先は弱い部分ばかり狙う。その意地の悪さに語気は荒くなり、その分だけ余裕もなくなっていく。ああこれはやばいかもしれない、と意識が白く薄くなってきたころ、ぽたりと鎖骨あたりに垂れた。中野の汗だった。
「深瀬さん……」
「ん……?」
「すみません、入りたいです」
表情にも声色にも独特の力がこもっていて、中野が本当にせっぱつまっていることがよく分かる。余裕のない表情を見ると、こいつの内部にも堪え切れない情動が湧くことがあるのだと改めて感じる。本人としては隠しておきたいであろう、かっこわるさの切れ端が俺の前では表出してしまうのかと思うと、身体が揺さぶられるような感覚に襲われる。
「おれお前のそういう顔すきー……」
そう言ってやると中野はなぜか泣きそうな顔をみせた。密室での中野は簡単に笑ったり怒ったり泣いたりして、時々は互いの本質が見えづらくなるがそれでも一貫して誠実な男だからすごいと思う。かっこいいと思う。中野は勢いよく抱きついてきて、耳元あたりでそっと言った。
「おれ深瀬さんのぜんぶすき」
「なにそれ」
笑いながらキスをしながら、中野がゆっくりと入り込んできた。確かに慣れてきたのだけれど、挿入の瞬間はやはり奥歯を噛んでしまう。
「ん、んっ……!」
「痛いですか……?」
「ん、ぅ……はっ……」
首を振ったもののきっと信憑性なんて微塵もなかっただろう。中野はしばらくゆっくりと腰を動かしていたが、俺の表情を気にして覆いかぶさり、囁いた。
「深瀬さん、後ろからしてもいい……?」
「ん……」
以前、その体位について「正常位より楽かもしれない」ともらしたことを覚えていたらしい。中野はゆっくりと性器を抜いて身体を反転させると、後ろからふたたび挿入しなおした。息の吐き方を多少掴むことで、挿入の際の緊張も飼いならせるようになるだろうかと意識をそらしていたとき、中野の手がなぜか前に回ってきた。
「おま……なんだよこれ」
「深瀬さんにも気持ち良くなってほしい」
そしていつの間にか、勃ちあがったものに先ほど発見したもの――オナホールをあてがわれていた。なにかと聞いたところで不親切な言葉だけを返し、中野は有無を言わさず根もとまでずっぽりと被せてしまった。
「あ、ちょ……っ」
「ほら、これ自分でおさえててね」
しかもそちらの一存で始めた行為を押し付けるがごとく、俺の手を自らに導かせた。俺は尻を突きだす姿勢を膝と頬と片腕でキープしながら、もう片方の手でオナホールを自ら支えなければならなくなった。中野は自由になった両手で俺の腰をがっちり掴んで、手加減なく腰を打ちつけてきた。あまりの激しさに身体を支えきれず、顔を枕に埋めながら衝動を受け入れる。
ぱちゅ、ぱちゅと後ろを犯され、前は狭い中に導かれ、今までとはまったく違った快感に気づけば情けない声が漏れていた。
「あ、あぁ……っ!」
「前からも後ろからもされるのすごいでしょ?」
「んあ、あ……!」
「気持ちいいですよね、深瀬さん」
「う、あぁ、あっ!」
「ねぇ」
「ん、きもちいい……っ!」
いつの間にか俺は緊張なんて全て抜けきって中野に身体を預け、だらしない声をあげ、その上持たされていたオナホールを自ら動かしていて、呻くような喘ぎ声とともについに狭い内側に射精してしまった。
「あ、いま深瀬さんいってるでしょ、中すっごいぎゅうぎゅうなってますもん今」
「ふぁ……っ、はあ……!」
「は……、深瀬さん『若い』ですねぇ」
揶揄じみた言葉を最後に、中野はがんがんと腰を打ちつけ、そして自身が震えるのが分かった。肩越しに振り返るとすかさずキスをされ、互いのかっこ悪い所も情けないところも、すべてうやむやになっていく。
性器を抜かれたあと、俺は激しい気だるさにそのままぺったりと寝そべってしまった。中野はご丁寧に俺の使用済みオナホールも含めてきっちり処理をしたあと、いまだ息を整えている俺の額に指を滑らせ、汗で張りつく前髪をぬぐった。
「シャワー浴びなくていいんですか?」
「んー……浴びたいけど……お前とちがって体力ねぇから起きあがるのもだるいんです……」
「連れていきましょうか?」
「介護じゃねんだからいらねぇよ……」
「そんなつもりないです、お姫さま扱いですよ」
一回イってへろへろのくたびれた男を捕まえて「お姫さま」もねぇだろう。しかし中野は冗談を言うときの顔でなく、至って真面目な顔をしている。
「お前は王子さまだもんな」
「そうですね」
嫌味っぽく言ってやったつもりだったのに、中野は堂々と爽やかな笑みを添えて肯定しやがった。あーこいつのこういうところだ。枕に顔をうずめていたら、「照れてないで早くいきましょ」と腕を引っ張られ、いやいやベッドからぬけだすこととなった。
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