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03
部長は中野の肩甲骨あたりをばしばしと叩き、自身の期待を直接身体に訴えている。
「中野くんは優秀なんだよ、以前はF出版に勤めてたんだよね?」
「あ、はい」
中野は困ったように笑いながら、頷く。大手出版社だ、そんな有名企業に居た人がなぜうちのような中小広告会社に来たのだろう。若そうであるから、退職理由はおそらく恋愛関係のいざこざだとか、上司との諍いといったところだろう。俺は部長に向き直り、改めて自分のフライヤーを渡した。
「こちらです、確認お願いします」
「あーはいはい。うん、いいんじゃない。中野くんはどう思う?」
「え、俺ですか?」
ぎょっとした。中野本人も驚いていた。先日まで出版社に勤務していた新人に意見を求めるとは、どれだけ優秀な人材なのだ。
訝しげな視線を送る俺の前で、中野は慎重に唇を開いた。
「すごく、綺麗だと思います。シンプルな中でも店名やキャンペーン内容は目がいくように配置されてるし……フォントとパーツの色も合わせてあるし、細かな気遣いがシンプルなだけじゃなく上品な印象にしてくれていて」
「あー、ほんとだ」
些細な工夫について、部長はたった今気付いたというように感心の声を漏らした。部長でも見逃すような配慮を、中野はごく自然に気づいてしまったのだった。
「モチーフも情報も限られているからこそ、簡単に作れるものじゃないと思います。深瀬さんの経験があらわれてますよね」
中野は慎重に正確な言葉を選び、わざとらしくない温度で俺を持ち上げる。
丁寧な言葉で褒められたことについて、嬉しいとは思わなかった。むしろ、立ちまわりの上手い人間なのだろうとまた少し印象が悪くなったくらいだ。
「じゃあ、これで提出してくれ」
「……はい」
部長はフライヤーを差し出し、承認を告げた。部長が中野の発言を全面的に信頼していることについても、なんだか面白くない、というのが正直なところだ。返されたフライヤーを受け取り、黙って身を翻そうとした。
「あ、そうだ深瀬」
「はい?」
「中野くん、お前のとなりの席だから色々よろしくな」
中野は「よろしくお願いします」と頭を下げた。はきはきとした、誰が聞いてもよく思うだろう声だ。たじろぎながらも「よろしく」と返すのが精一杯だった。
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