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06
オフィスを一歩出ると、想像以上の激しい雨が待ち構えていた。屋根のある場所に中野と二人並んで立ち、空をにらみつけたが止む気配はまるでない。正面のコンビニに行くのも憂鬱になるほどの豪雨だ。だからこそ、その言葉はさらりと零れ出た。
「俺んち来る?」
中野はぽかんと俺を見る。
「え? 深瀬さんのお宅この辺りなんですか?」
「いや家は遠いんだけど……近くに家とは別にアパート借りてんの」
「えっ、すごいですね!」
「べつに……この辺り安アパートいっぱいあるし」
オフィスの近くには大学があり、学生向けの安いアパートが多いのだ。駅の向こうのネットカフェへ行くよりも、俺のアパートの方が近い。中野もはじめは遠慮していたが「お前がびしょ濡れになって狭いネカフェで寝る方がいいならいいけど」と言えば「泊まらせてください」と笑う。そして俺達は自然に、並んで歩きだした。
「先に言っとくけど、部屋きったねぇからな。お前の身長だと足伸ばせるかどうか微妙なくらい汚ぇから」
「いや、大丈夫ですよ。男の一人暮らしなんてそんなもんですよね」
鍵を開けながら予防線を張っておいた。しかし想像通り、部屋に入ると中野は息をつまらせた。ただし汚い、と言っても、衣服が散乱しているだとか、空きペットボトルが山ほど残されているだとか、そういうわけではない。
部屋に入るとまず油特有の匂いが鼻をつく。そしつなにより目を引くのは壁に立てかけられたでかいキャンバスだ。フローリングの床には全体にシートが引かれ、油絵の具が散った跡が模様になっている。洗った筆と洗っていない筆が雑多に広げられ、部屋の隅に置かれたマットレスだけが、むしろ部屋に馴染んでいない。
「布団もう一組あっから、適当に敷いて。あーでも寝るならキッチンの辺りの方が綺麗かも」
「……ここって、アトリエですよね」
「ばかみてぇだろ? 芸術家でもなんでもないぺーぺーのサラリーマンがいっちょ前にアトリエなんか持って」
学生時代、半端にアーティストを気取っているうちはまだ良かった。青臭い夢想もごっこ遊びも、若者の特権だからだ。しかし俺は、その頃の感覚を脱ぎ棄てられないまま大人になってしまった。
「アトリエ構えて休みの日にはアトリエこもって制作して、平日は自分のデザインで金稼いで……みたいなのに憧れてさ」
「え、すごい、すごいですね!」
「いや、実際は仕事もうまくいかねぇし、休日だって結局疲れててここまで来てもごろごろして終わりでロクに進まねぇし」
「え、でもいいじゃないですか。深瀬さんのそういうストイックな姿勢が仕事の成果にもつながってるわけですよね」
中野は新しいおもちゃを発見した子供のような、無垢に輝いた目で部屋を見渡している。中野はきっと、元来こういう人間なのだろう。悪意も嫌味もなく、平気で八つ当たりをしてくるようや他人さえ持ち上げて褒めたたえる。それはひねくれた俺にはむずがゆく、また鼻の奥が痛くなるような輝きに満ちていた。
「……シャワー入ってこいよ。濡れただろ」
「あ、いいんですか?」
「いーよ。タオル、これ使え」
「でも深瀬さんも濡れてるでしょ、一緒に入ります?」
「入るわけねーだろ。さっさと行ってこい、そこの奥!」
中野が浴室に入っていくのを見届け、遅れて顔が熱くなった。褒められることにも懐かれることにも慣れていないのだ。俺はやっぱりあいつ苦手だ。
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