ひとりじゃできないもん

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ひとりじゃできないもん

テレビから流れる誰それのお料理番組は、たまたまたつけっぱなしになっていた、ただそれだけのものだ。俺ももちろん伊勢ちゃんも興味などなく、読みあげられるレシピは環境音楽のように淡々と流れていた。 「俺も料理作れるようになりてぇなー……」 しかし伊勢ちゃんはめずらしく、縁遠い存在に興味を持ったのだった。 「めずらしいな、どうしたの」 「なんかあ、先輩がSNSに自分の作った料理の写真とか投稿しててー。なんか割とすごいやつ作ってドヤってたから、悔しいなーって。俺もできるようになりたい」 「……教えてやろっか?」 「ほんとですか?」 どうせ思いつきにすぎないだろうと提案してみれば、思ったよりも好感的な返事がくる。 「別にいいけど、なにか作りたいものあんの?」 「あー……えーなんだろな、簡単で失敗しなくてうまいやつ」 「んー、じゃあカレーとかは?」 「あ、カレーいいですね!」 「野菜切って炒めて、あとほっときゃいいんだし。市販のルーつかえば味付け失敗することもないし」 「作りたいです、今晩カレーでいいですか?」 どうでもいいことにはとことん興味がなく、興味のあることには強い熱意を向ける。伊勢ちゃんの性質が顕著に反映し、そのまま買い出しに行く流れになった。 帰宅後、購入した食材を狭いキッチンにぎゅうぎゅう並べ、改めて「よろしくお願いします!」などと言ってみせる伊勢ちゃんはさながら優秀な生徒のようだ。そういうの嫌いじゃない。 「んじゃ、とりあえず野菜の皮むいて」 「アレどこにありますか?」 「アレ?」 「あの、皮むくやつ」 「ああ、ピューラー? 俺持ってないんだよね」 「え、じゃあどうするんですか!?」 「え、そのままむけばいいじゃん」 「え? 皮むくやつがないとむけないですよね?」 「え?」 「え?」 先輩気取りで口を開いてすぐ、伊勢ちゃんの頓狂な言葉に目を丸くしてしまった。伊勢ちゃんも同じような表情をしていたので、にんじんを手にとる。 「包丁でさ、こうやって……みたことない? りんごの皮とかむくとこ」 「あ、すげえ! すげえ! どうやってるんですか!?」 「どうやってるって……もっかいやるよ、見てて。……こうすんの。分かった?」 「わ、わかんない……」 「え、なんで? ちゃんと見てた?」 「見てました。がっつり見てたんですけど、仕組みがぜんぜん分かんない」 「……ちょっとやってみ?」 にんじんを渡すと、伊勢ちゃんはしどろもどろになってしまった。「料理は苦手」と聞いてはいたものの、予想を上回る対応だった。 「ど、どこからはじめたらいいの」 「どこでもだいじょうぶだから、とりあえず刃を当てて」 「こう……?」 「あ、もうちょっと刃寝かせて。……うん、そんくらい」 「え、で、ど、どうするんですか」 「あとはそれを滑らせてく」 「それがわかんない!」 「なんで!」 包丁をグーで握る指が子どものようで見ていられず、正しい姿勢を導くように手を添えてしまう。後ろから抱え込むように右手と左手のサポートをすると、ようやく不器用な手が動いていく。 「え? こ、こう? あれ?」 「あーうん、いい感じ。そのままもうちょっと薄くなるように」 「あ、こう? こう?」 「うんうん、そうそう」 慣れない手がじわじわ動き、じっくりと時間をかけたあと分厚い皮がぼとりとシンクに落ちた。 「お、できたじゃん」 「うわー……にんじんたった一本でこんな神経使うんすね……」 「慣れてきたらすぐだよ。ほら、もっかいやってみ」 次を渡すと、ぎこちない指で今習ったことをもう一度はじめていく。ふと見ると真剣な表情をした伊勢ちゃんのくちびるが、つんと突き出ていた。 思わず顔を背けた。集中力の切れた伊勢ちゃんがふいに顔を上げたら、俺のにやにや顔に気づいてしまうかもしれないからだ。しかし込み上げるものをこらえきれず、肩が震えてしまう。だっておかしいだろ、かわいすぎるだろ。慣れない包丁の使い方で集中しすぎた結果、本人も無意識のなかでくちびるをとんがらせている。ありえないだろ、そんなことあるかよ。 「うえーい、できた! 二本目できたー! 俺ぜったいさっきよりうまくなってる!」 「……」 「……高岡さん?」 「あ、ああ、うん。おめでと、じゃあ次じゃがいも」 「うっわじゃがいも難しそー」 「こっち手伝うわ」 「ありがとーございます……」 ある程度のコツがつかめたのか、伊勢ちゃんはさらなる集中力を持ってすでに次の野菜に手を伸ばす。本当に優秀な生徒のようだ、かわいげってこういうことを言うんだ。並んで皮むきを手伝いながら、しみじみ思う。 「伊勢ちゃんはじめて皮むいたのいつ?」 「さー……? 覚えてないです。でも俺そんなに家の手伝いとかしないタイプの子供だったからなー、家庭科の授業とかもサボってたし。むしろちゃんとやったの今日が初めてかもしれないです。」 「ふーん。でもさー、思春期迎えるとみんなむいたりするじゃん」 「え? 思春期?」 「ほら、男の子っつーのはさー、周りの子もやってるって知って色々いじりたくなるだろ、そんで皮むきするじゃん? 伊勢ちゃんの初体験はいつなのかなー、どういうときなのかなーって」 「……」 「で、伊勢ちゃんはいつごろ初めて剥いたの?」 「……俺こんな黙々と作業してるように見えるかもしれないですけどほんっとに余裕ないんで無駄話とかできないですし怪我しそうなんでほんと」 「ふーん。じゃあとりあえず伊勢ちゃんの皮むき初体験だけ聞かせてほしいんだけど、初めて自分で剥いたのいつ?」 「下ネタに付き合ってる余裕ねぇつってんだろ!」 「え、なんで下ネタなの? 野菜の話してんじゃん。思春期になるとみんな料理くらいするようになるからその話聞いてキッチン道具いじるみたいな」 「いや無理あるってまじその言い逃れ無理だって」 「そういうつもりで言ってたんだけどなー、どうとったら下ネタになんの? 伊勢ちゃんどういう意味だと思った? なんのことだと思っちゃったの? 教えて」 「あーもーほんとうるっさ……! あっ」 「あ?」 不穏な声に伊勢ちゃんの手元をみれば、包丁を持たないほうの指にざっくりと赤い線が浮かんでいる。そしてみるみるうちに、内側から赤い血が滲みはじめた。 「……伊勢ちゃん」 水でさっと洗って消毒液を少々、絆創膏で手早く巻けばできあがり。部屋に腰を下ろして行った処置の最中、伊勢ちゃんは終始むくれていた。 「ごめんね?」 「俺もう二度と料理やらない」 「そんなこと言うなよ、一緒にやろうよ」 「慣れないことなんかするもんじゃないんですよほんと」 冷たい指の先を手当てをしているあいだ、いつ「たかおかさんのせいだ、さいてーだ」とののしられるかと思っていたが、結果的に言うとそうはならなかった。些細な傷といえど怪我をさせてしまった責任は感じていたし、申し訳ないと思っていたのだが伊勢ちゃんは時間の経過とともに消沈し、そのうち手当ても済んだ。 「よし、できた」 「あざーす……」 「じゃ、続きは俺がやっておくからゆっくり休んでてね」 指先にキスをしてから立ち上がる。米が炊き上がるまでに完成させようと考えながらキッチンへ向かっていく途中、背中に言葉を投げかけられた。 「俺がポンコツなのは高岡さんが甘やかすせいですからね!」 「……どんな角度で怒ってんの」 時間をもてあましぷりぷり怒る伊勢ちゃんを振り返ったら笑みが漏れた。伊勢ちゃんは何もできないくらいでいい。俺がいないと生活できないような伊勢ちゃんも、めいっぱい甘やかしてやろう。
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