月曜日だから学食が混んでいる

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月曜日だから学食が混んでいる

(付き合う前の高岡さん) 日替わりラーメン250円、今日は味噌味だった。味噌ラーメンは塩辛く感じてしまってあんまり好きではないのだけれど、金のない俺に選択肢などない。トレーを受け取るなり、混雑した学食を横切って隅の静かな席ですすっていた。 俯いて麺をすする俺の狭い視界に他人のA定食が滑りこんできて、俺が顔を上げるより先に正面の椅子がひかれた。二人掛けに堂々と腰を下ろす奴なんて俺は一人しか知らない。 「おいテメェいい加減にしろよ、俺は一人でゆっくりメシ食いてーんだから邪魔すん……」 顔を上げて目の前の人物を確認した時、情けなく力を失った指先から箸が零れ落ち、ぽちゃんと更に情けない音を立てどんぶりに沈んだ。 「あ……そうなんですか? すいません」 「……っ!」 「俺いまメシ食う相手探してて……高岡さんが見えたからつい。すいません、おじゃましました」 無遠慮なその男は大瀬ではなかった。伊勢くんはぺこりと頭を下げると、トレーに手をかけて立ち上がろうとする。 「あっ! いや、違う違う!」 「え?」 「い、今のはいつも来る奴との、そのなんつーかノリっつーか、いつもの挨拶みたいなもんで! いやほんと、一人でメシ食いたいとか本当はそんなの、全然思ってない! 思ったことない!」 「え? そうなんですか?」 「うん、座って座って!」 「えっ、でもその友達来るんだったら俺邪魔じゃないですか?」 「あーいやいいのそいつのことはどうでも!」 「まじすかー? それでその人にキレられたらへこむんですけど」 「大丈夫! 俺がキレさせないから! 俺がちゃんと対応するから大丈夫だから!」 「はは、おじゃまします」 慌てて取り繕う俺に、伊勢くんは不思議そうな顔をしながらも腰を落ち着けた。すがりつくあまり情けない言葉ばかりを紡いだ口に冷水を運び落ちつけていると、伊勢くんは「いっただきまーす」と律義に手を合わせ、箸を動かしはじめた。 伊勢くんが目の前で食事をしている。 俺はとたんに味噌スープの塩辛さが分からなくなってしまった。沸騰しきった頭は「キノキイタカイワ」など探し出せるわけもなく、空間を埋めるためとにかく味噌スープをすする。ふいに伊勢くんが顔を上げた。 「そういえば高岡さん、この間読んでた本なんですか?」 「……え? 本?」 「近代哲学史のときに……その授業俺もとってるんですけど、俺座った席たまたま高岡さんの後ろだったんですよ」 「えっ!? そうなの!?」 「高岡さん全然ノートとってないし、寝てるわけでもないし、なにしてんだろと思って覗いたらなんか本読んでたから」 知らずに接点を持っていたことや、授業中の呆けた挙動を見られていたことが明かされた今遅れて羞恥に蝕まれる。些細な羞恥はやわらかくほのかに味がついている。なんだこれ。小さなハムスターに懐かれているような、甘ったるいむずがゆさ。 「本、好きなんですか?」 「あーうん、一応文学部だから……」 「あーそうか。って俺もですけど」 「あん時読んでたのはー……なんだっけ、谷崎かな?」 「あ、いいすね」 「痴人の愛」 「あっ、それ読みたかったやつ! 読み終わったら貸してください!」 「いいよ」 人懐こさに胸を打たれる。友人が多く、誰からも愛されているのも頷ける。人の隙間にするすると入り込み、そしてそれが不快でないというのは一種才能だ。 「高岡さんっていつも一人でメシ食ってますよね」 だから余計に、不器用な自分に嫌気がさす。好きな子が話しかけてくれるという貴重なチャンスで、会話のプロデュースさえできない。童貞のようにもじもじと尻ごんだまま。 そんな俺の情けない箇所を貫くような言葉。伊勢くん意外と俺のこと見てんだな。 「……そーだよ、友達いねぇからな」 「え、そのいつも来る人は?」 「あいつは友達じゃねぇから」 「なんすかそれ」 伊勢くんが笑うと、俺のみじめな孤独感が誇張される気がしていたたまれない。伊勢くんはただでさえ友達が多く、大きなグループの中で食事をしているのだ。 あーもー俺かっこわる。 「じゃあこれから高岡さんが昼メシ食ってるとこ見つけたら、声かけていいですか?」 伊勢くんの誘いは変な力がこもることもなく、あまりにも平坦で軽かった。けれど「これから」は不確かな将来を約束した重たい言葉のはずだ。これからって、一緒に、って、それはつまりずっと二人で、っていういやいやそれは考えすぎだけど、いやでもだってそれって。 「あ、いや無理だったらいいんですけど……」 返事をしない俺に、伊勢くんは気まずそうに俺を見てぼそぼそと付け加える。上手く喋れない俺は重すぎる返答や軽すぎる相槌で決定的なチャンスを逃し、人を不本意に傷つけてしまう。けれどこれは逃せない、傷つけられない。 「無理じゃないよ!」 「あ、ほんとですか?」 「……無理じゃない、けど、あれ、いいの? そっちもなんかいつも一緒に食べてる人……いるよね?」 「あーいいです別に。『友達じゃねぇから』」 「えっ」 「はは」 重々しく不自然に力のこもった返答ばかりの必死な俺に、伊勢くんは嫌そうな顔をしない。むしろ無邪気に俺の真似までする。ああ本当に人懐こいというか、これは、かわいい。 伊勢くんは細切りキャベツを小さな小さな山に崩し、口に運びながら俺を見上げる。くるりと丸い目は、俺の邪念さえ見抜いている気がして末恐ろしくさえある。 「俺、高岡さんともっといろいろ話してみたいんですよね」 伊勢くんは重要なひとことを、あまりにも軽々しく口にする。そういえば伊勢くんは、なぜ俺が一人でいるところや、本を読んでいるところを知っていたのだろう? 都合のいい結論が見えてしまいそうだったので、慌ててスープを飲みほした。塩辛いはずのスープはいつの間にか底をついていた。 俺だって伊勢くんといろいろ話してみたいよ。 その台詞は口にはしなかった。きっと同じ軽さで伝えることはできないのだ。
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