初夏を揺らす2分の相瀬

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初夏を揺らす2分の相瀬

今日も飽きもせず大衆居酒屋で、先輩後輩入り乱れてばか騒ぎ。襖で隔てられた座敷席で、俺はほとんど初対面の男女となんとなく話をしている。少し離れた席で日本酒をあおる高岡さんから、絶えず投げられる視線をゆるく避けながら。 「ちょっと煙草買ってくるわ」 ようやく盛り上がり始めた会話の途中、視界の隅で高岡さんが立ち上がった。何か反応したら面倒事につながる気がしたので、気づかないふりを決め込んで目の前の相手の声に耳を傾ける。そこへ、高岡さんが畳をどしどし鳴らしながら、わき目も振らず真っ直ぐ近づいてきた。 「お前も一緒に来い」 ほら、これだ。離れた場所に座っている俺に脈絡もなく声をかける姿は二人の関係を知らない人にとって、どうしたって不審だっただろう。周りの友人は会話をやめ、ぽかんと高岡さんを見上げている。 俺たちが付き合っていることは、わざわざ公言するものじゃないと言うのが共通の認識だ。それでも高岡さんはお酒が入っているとき、これまでの常識を一切振り払い、突発的な言動に出ることがある。 「えー……なんでですか」 「いいから。先輩命令」 「めんどくせえ先輩じゃないですか」 露骨に嫌な顔を見せるも、今日の高岡さんは引かない。不穏な喧嘩のようにも映りかねないやりとりに見かねて、近くに座っていた女子が反応した。 「あ、じゃあ私いきますよ」 「いや、だめ。伊勢ちゃんが来てくれないと」 突然こぼれた「伊勢ちゃん」の甘やかな響きに、ぎょっとしたのは俺だけじゃない。立ち上がった状態で行き場を失った女子も困惑していた。これ以上何か口を滑らせたら困るので、しぶしぶ立ち上がる。二人で連れ立って座敷席を出ると、とたんに高岡さんの顔がほころんだ。 「へへ、行こ」 「本当にめんどくせえ先輩だな……」 二人になったとたん、恋人の顔になった高岡さんの豹変ぶりに脱力しつつ店を出る。隣のビルの一階にあるコンビニまで煙草を買いに行くだけ。たったそれだけの時間に、高岡さんは妙に浮き足立っているのだ。 「手つないでもいい?」 「ダメに決まってんだろ何言ってんすか」 「なんで?」 高岡さんはアルコールに浮かされたとき特有の、丸く熱い目をしている。本当に何も分からない、というような顔をされたら言葉につまる。すぐに、めずらしく耳まで赤くなっていることに気づき、ため息をついた。 「……高岡さんかなり酔ってるでしょ」 「え、なんで? ぜんぜん酔ってないけど」 「いや説得力ねーから」 「伊勢ちゃん好き」 「ほらやっぱ酔っ払ってんじゃん……」 ふわふわと怪しい足取りの高岡さんを誘導しながら、すぐにコンビニへたどり着いた。もうすぐそこで煙草が買えるというのに、高岡さんはなぜかレジへ進んでいかない。 「ほら、煙草買うんでしょ」 「……いや、まだあるから大丈夫」 「はああ? まじ何言ってんすか?」 「伊勢ちゃんと二人になりたかった」 そんな。先ほどまで、ただの先輩後輩関係に化けていたのに、店から出た瞬間そんなことを言われるなんて。面倒な先輩を装い、煙草を口実に使った高岡さんの健気さが、首筋にこそばゆい。 仕方なく、混み合ったコンビニを出る。ふらつく高岡さんの腕を掴み、少し遠回りをしてから店に戻った。 「あれ、お前らどこ行ってた?」 束の間の散歩のあいだ、高岡さんは子どものように「好き」「かわいい」「たのしい」とつぶやいていた。アルコールのおかげで考える力が衰え、その分早く言葉が出てきてしまうのだろう。しかし、散歩はアルコールを循環させる役割を果たしてしまったらしい。座敷席に戻るなり、高岡さんは顔を赤くしたまま畳の上に倒れこんでしまった。それに気づいた一人の先輩が、隣へやってきて苦笑いをする。 「さっきまでいなかったよな?」 「あ、すいません煙草買いに行ってました」 「え、二人で?」 先輩の驚いた表情について、意味を掴みきれず言葉を飲み込んだ一瞬。先に反応したのは高岡さんだった。畳に転がった状態のまま、先輩を見ている。 「うん、ふたりで。おれ、いせちゃんと付き合ってっからあ」 「ちょっ!?」 呂律があいまいだったためか、決定的なその言葉は幸い俺と先輩のもとにしか届かなかったらしい。やや離れた場所にいる他の友人たちは気づかず、誰かの話に夢中になっている。慌てて先輩を見ると、予想に反し先輩はけらけらと笑っていた。 「うははは、まじかよー! だからお前彼女いねーのにコンパも来ねえしがっついてないのかよ、納得したわー」 「そーおだよ、だからおまえいせちゃんにちょっかいかけんなよー」 「いや、ちょっ、ちが、あの!」 訂正しようと口を開くものの、楽しそうに笑う先輩と高岡さんのあいだには入れない。不思議な膜があるように。ふいに、高岡さんの腕が俺の腰もと回る。畳に寝たまま、高岡さんは静かにつぶやいた。 「いせちゃん、違うの?」 わざわざ公言することじゃない、というのは共通の認識。俺からすれば、たとえ相手が女の子だって「俺は今あいつと付き合ってるんだこんなに仲がいいんだ」と見せ付けるなんて、下品な真似はしない。それと同じだと思っていた。 もしかしたら、高岡と俺は別のものを見ているのかもしれない。 痛いくらいに純粋な目に、じっと突かれて逃げ場を失う。思考も言葉も飲み込まれた俺を連れ戻すように、突然窓の外でどん、どん、と大きな音が二回、立て続けに響いた。友人たちも会話を止めて、顔をあげる。 「えっ、なになに?」 「あ、花火あがってる!」 友人の一人が、障子とその奥にある窓を開ける。夜風が吹き込み、ビルとビルのすき間から空に咲く色彩が覗いていた。 「あ、忘れてた今日花火大会じゃん!」 「まじか、見たい見たい」 「あーでも微妙にビルに被ってんなあ」 「あー、もうちょっと近くいかないと見えないね」 「おっしゃ、行くか!」 「いいねえ」 「まじかよ! 今から?」 「行くぞ、ほら急げ急げ!」 心臓を震わすような花火の音にせっつかされ、友人たちは次々に立ち上がる。一連の流れに乗れなかった俺は、座ったまま突然のイベントに浮き足立つ友人たちを眺めていた。俺と高岡さんの関係を一方的に開示された例の先輩も、立ち上がりかけてふと俺を振り返る。 「行かないの?」 「あー……、高岡さんこんなんだし帰ります……」 「何、そいつそのまま寝たの?」 「はあ……」 俺の足に頭をのせ、いわゆる膝枕のような状態で高岡さんは眠りに落ちてしまった。普段ならやめてくれと言ってしまう姿勢だが、幸い友人たちの関心は身近で酔いつぶれた人間よりも、突然はじまったイベントの方に向いているので気にならなかった。何より、自分の口で「付き合っている」と口走るほど浮かれきった高岡さんがようやく静かになってくれたのだから、読んで字のごとく寝た子を起こす必要はないだろう。 「適当に家まで届けます」 「えー……いや、でもいっつも後輩に任せるのも悪いからなあ」 「いやいやほんっと気にしないでください」 「こういうとき、本当に付き合ってる相手のこと知ってりゃ楽なんだけどなー」 「え?」 その先輩は優しいのだ、ものすごく。後輩思いで、友人思いで、しかし真実を知らない。 「ほら高岡の彼女、結局誰か分かんねえからさ。っつーか付き合ってる相手がいるのかどうかもよく分かんねえし。もし相手もうちの学校とかで、知ってる人だったら彼女の自宅に届けたりできるじゃん。そしたら伊勢くんもめんどくせえ先輩の介抱しなくてすむわけだしさー」 頭の中で心細そうな高岡さんが、いせちゃんちがうの、とつぶやく。呆けた頭に着信音が鳴り響き、ゆらりと景色がゆがんだ気がした。 「おー。今? まだ居酒屋。高岡が潰れててさー。あ、うん。じゃあ場所取りしといて、後で合流するから。はーい」 先輩が着信に対応しているのを横目で見ながら、膝の上で寝息を立てている高岡さんの額に触れる。熱を帯びた皮膚の質感、子供のようにすこやかな寝顔。先輩の電話が終わるのを待って、改めて口を開く。 「……あの」 「ん?」 「俺、本当に大丈夫なんで。先輩は他の人と合流してください」 強く言い切ると、先輩は「何かあったら連絡して」と言い残しつつも、足取り軽く去っていった。誰もいなくなった和室の中、高岡さんの吐息だけが近くに感じる。きっとすぐ、店員がやってきて片付けをはじめるだろう。次の団体や予約客が来るからと、追い出されるかもしれない。 覆いかぶさるように、高岡さんの頭を抱く。大切なものを腕の中におさめるように。何も知らない穏やかな寝顔を腕に閉じ込めて、二人はひとつの円になる。それでも今、この個室に突然誰かが入ってきたとしても、酩酊したろくでもない先輩後輩関係にしか見えないのだろう。悲しかった。
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