2.再会

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2.再会

「いらっしゃいませ」 港町の老舗ホテル「ホテル・ラソンブレ」。 フランス語で集う、という意味の名前を付けたのは祖父。地元の人々には「ラソンさん」と愛着を込めて呼ばれることが多い。 開業当時にこだわって作った広めのロビーは、昨今のビジネスホテルにはないアンティークさが売りだったが、両親の代になって若干のモダンさがプラスされた。 渋めの青い絨毯、チョコレート色の革張りソファは落ち着きがあって、レストランで食事を終えた客はそこに掛けてゆったりと時間を過ごす。 しかし。 「也仁(なりひと)さん、お呼びですか」 いちフロントマン扱いでいいと言っているのに、オーナーの息子ということで支配人には「也仁さん」呼びされる。俺は近くにいる客に聞こえないように声をひそめる。 「すみません、前崎支配人。あの・・・これなんですが」 「はい?」 「これ、景観的にどうでしょうね・・・」 観光客向けの顔ハメパネル。町で推しているキャラクターの等身大パネルだが、この他にも、売店前にはワゴンに乗せられた特売品の山、町の商店街の催し物を知らせるカラフルなチラシ、併設のチャペル前には割引キャンペーンを知らせるモニターと、ウエディングドレスを着せられたウサギのぬいぐるみがいくつも並んでいた。 「これが何か?」 前崎支配人は笑顔のまま、小首を傾げた。 「あの・・・せっかく調度品がシックなので・・・このへん少し片づければもっと見目良くなるかと・・・」 「はあ・・・そうですかねえ」 悪気なく答える彼の声は大きい。 支配人の前崎は人当たりがよく、恰幅のいい、仕事の出来るバツイチだった。しかし、自ら改革を起こすタイプではない。俺の指摘にも小首を傾げるだけで、反論も弁解もしない。 俺は想像どおりの反応の薄さにがっかりしたが、穏やかに伝えた。 「僕手伝うので、ちょっと片づけてみませんか。ダメならあとで戻せばいいし」 「はい、わかりました、やりましょう」 客の少ない時間帯に、何人かのスタッフを巻き込んで、俺はロビー中のちぐはぐに見えるものを全て片づけた。 必要なものは残しつつ、景観を崩すものはできるだけ視界に入りづらい場所へ。顔ハメパネルは売店の入り口に移すことで、買い物客の導線を確保する。 ウサギのぬいぐるみたちは、埃を払ってチャペルの中に入ってもらうことにした。 結果どうなったかというと、田舎のホテルとは思えない洗練されたロビーになった。もともと置かれていた調度品がシックなだけに、シンプルであればあるほど、統一感が増して美しい。 前崎支配人もスタッフたちも、様変わりしたロビーを見て、あんぐり口を開けた。 それですっかり俺の株は上がり、余計にいちフロントマン扱いはされなくなってしまった。 「あれえ、なんかロビーの雰囲気かわりましたねえ」 片づけが終わって事務所に戻ると、ロビーでにぎやかに話す客の声が聞こえてきた。 すぐに変化に気づかれたことが嬉しかった。小さなこととはいえ、仕事を認めてもらえることはやはりモチベーションが上がる。それも、利用客ならなおさらだ。 故郷に戻って一ヶ月が経ち、レストランを利用する常連客の顔はずいぶん覚えた。小学校や中学校の同級生が来ることもあるが、お互い雰囲気が変わってしまって気づかなかったり、やたら老け込んでいたりして、あとになってから気づくことも多かった。 俺はその客の声を聞いたとき、ふと懐かしく思った。 顔を見たら思い出したりするだろうか。もしかして高校の同級生かもしれない。 そこで、俺の足は止まった。 高校時代のあまり掘り起こしたくない記憶が蘇る。 もしも、会いたくないと思う相手だったら。どんな顔をしたらいい? ホテルの制服の黒い革靴を見下ろし、俺の頭の中はぐるぐると回り出す。 俺のそんな考えをよそに、ロビーでの会話は盛り上がり始めている。 仕事中だ。 ビジネスライクに、冷静に。 どっちもいい歳をした大人なのだから。 「・・・え、そうなの?葉山(はやま)、戻って来てるの?」 俺の名字を呼ぶ声が聞こえた。 やっぱり知り合いだ。さらに足が固まる。俺はネクタイの結び目を直して、仕事の顔に切り替えてフロントに戻った。 他にも客がいる。いつもどおり、いつもどおり。 そして、背筋を伸ばしビジネス笑顔を張り付けた俺の目に飛び込んできたのは、確かに知り合いの顔だった。 でも。 「・・・葉山・・・本当に葉山だ!」 高校の2年先輩。すぐにわかった。歳を重ねて様変わりしているが、面影はある。満面の笑顔が眩しい。 「仁科(にしな)先輩・・・?」 薄汚れた配管工の制服と、手に持った工具箱。どこかで作業をした直後か、顔にはすすが付いて黒く汚れている。なのに、笑うとのぞく歯は白く、清潔感に溢れていた。 「お前、本当に帰ってきてたんだな!噂は聞いてたけど・・・」 「お久しぶりです・・・っあの、噂って・・・」 「弓に聞いてさ。覚えてない?山口(やまぐち)(ゆみ)。・・・今は、仁科だけど」 ああ。 そういうことか。 数日前にレストランに数人で来ていた女性客の中に、高校で同じクラスだった子がいいた。 それほど親しくはなかったのに、声をかけられて驚いた。一応、挨拶だけしておいたのだが。 仁科先輩と結婚したのか。 そういやあの子、何かにつけ仁科先輩の後ろを付いて回っていた気がする。 意外な組み合わせだな。 仁科先輩は嬉しそうに続けた。 「会いたいと思ってたんだよ。お前・・・立派になったなあ」 「・・・いえ・・・仁科先輩は、変わりませんね」 「そっか?すっかり老け込んじまってさ・・・こんな汚ねえし」 仁科先輩は悪戯っぽく、日焼けした逞しい腕で自分の作業服を指さした。 学生時代に、生活指導の教師に向かって天パだと言い張っていた髪のウェーブは健在で、本当に天然だったようだ。笑うと目尻が少し下がるのも、以前と同じだった。 俺は、本心が顔に出ないようにするので精一杯だった。 仁科(にしな)由悠季(よしゆき)。 彼はこのホテルラソンブレによく出入りする、配管工だった。
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