3.見合いと鮨

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3.見合いと鮨

「じゃあ、いいのね」 「・・・ああ、うん」 「聞いてるの、也仁(なりひと)」 「聞いてる。もういい?仕事に戻らないと」 電話口でまだ何か小言を言っている母親との通話を切って、俺はため息を吐いた。 何度も頼み込まれて仕方なく承知した見合い話。結婚なんてする気は全くないが、リストラされて出戻った俺を何も言わずに受け入れてくれた親への負い目がないわけではない。 フロントに戻ると、外国人観光客の家族連れがチェックインしていた。 わたわたしながら接客していた同僚が、俺を見てほっとした顔をした。 俺は笑顔を作って彼らに近づいた。 有名ホテルで働いた経験上、英語が出来るのが重宝される。 チェックインが終わり、家族連れがにぎやかにエレベーターに消えてゆく。 そこに被せるように、聞き覚えのある声が聞こえてきた。 「すげえなあ」 「えっ」 フロントカウンターの端で、仁科(にしな)先輩が肘を付いて俺を見ていた。 「英語喋れんだ」 「必要最低限ですよ」 「ホテルマンってなんでも出来るんだなあ」 「なんでもじゃないです・・・先輩は今日は何でいるんですか」 「厨房の換気扇、変な音するって」 「・・・よろしくお願いします」 「おう。あ、葉山、今日終わるの何時?」 「え?」 「今やな顔したろ」 「してませんよ。・・・8時ですけど」 「飯食いに行かねえか。鮨。俺のおごり」 「行きます」 「即答か」 けらけらと笑いながら、仁科先輩は厨房へ向かった。そのタイミングで、フロントの電話が鳴る。俺は宿泊予約を承りつつ、腕時計を見た。 時刻は5時。 あと3時間。 「大将、俺コハダね。あと玉子。葉山、次は?」 「中トロください」 「お前さっきからトロばっか食ってね?」 「え?おごりですよね?」 カウンターの向こうで大将が笑った。 子供のころは、年に一回連れて行ってもらう程度だった鮨屋。酒が飲めるようになってから食うここの鮨は、想像以上に旨かった。 仁科先輩はすでにビールを三杯飲んでいて、顔がいい具合にピンク色だった。 高校の頃、そこそこやんちゃだった仁科先輩は、ピアスをしていたり、バイクで登校しちゃったり、金髪にしていた時期もあった。田舎の高校でそんなことをしたものだから当時は、向こう三軒両隣どころか町中に知れ渡っていた。 A高の仁科、といえば、小学生でもおじいちゃんでもネコでも知っている。そんな人だった。 「葉山はさあ、何で帰ってこようって思ったんだ?」 仁科先輩がこっちを見て、真剣な表情を作ろうとしている。が、酒のせいでどうにも締まりがない。 天パの柔らかそうな髪が片目にかかっていた。それを邪魔くさそうに避ける手の薬指に、細いシルバーの指輪が光っている。 「何でって・・・単に、リストラですよ」 「・・・マジで?こっちじゃ東京出たのお前くらいだから、てっきりエリートだと思ってたよ」 「どうでしょうね・・・頑張ってはきましたけど」 「・・・まあ、時代だよな。俺のまわりにも多いよ」 「仁科先輩は、ずっとこの仕事なんですか」 「跡取り息子だもん」 「えっ」 「長男なんだよね、これでも」 長男が家を継ぐ。このあたりでは当たり前のことだ。 嫁をもらって、代々続いてきた職業を、次の世帯まで繋げる。 今朝の母親の電話を思い出して、気持ちが沈む。 そのうち先輩も、奥さんと子供と、うちのレストランに食事に来るのを見かけるようになるんだろうか。 「先輩、お子さんは?」 「・・・ああ、・・・」 あいまいな返事をした仁科先輩は、まじめな顔でビールを煽る。そして俺の耳元に口を寄せると、小声で言った。 「俺さ・・・種なしなの。無精子症っての?あれ」 「えっ」 「結婚してから分かってさ。そんなことってあるかなあって、そのときは落ち込んだけど」 「・・・すんません」 「いや、もう分かって何年も経ってるから大丈夫。俺の方こそ、無神経に仕事のこと聞いて悪かったな」 「俺は・・・今この町で働けてるんで大丈夫っす」 「じゃあ、おあいっこってことで。気にすんの、なしな」 にっ、と笑った仁科先輩の歯は不自然なほど白く、日焼けした肌によく映えていた。 職を失うことは、一時的なもの。 まだ若い仁科先輩が、子供を望めないということの方がよっぽど大きな問題に思えた。それでも「おあいこ」なんて言って笑ってくれるこの人の強さを、俺は飲みながら思い出していた。 「・・・それに、自業自得だから」 独り言のようにつぶやいた仁科先輩は、言葉と裏腹に少し微笑んでいて、それがどういう意味だったのかは聞けなかった。
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