39.時間

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39.時間

インターホンが鳴ったのは19:30。すっ飛んでいってドアを開けると、にんまり笑った仁科(にしな)先輩が立っていた。 「おう」 「お疲れさまですっ」 仁科先輩は手に大きな紙袋を持っていた。それを持ち上げて、彼は嬉しそうにこう言った。 「毎年この時期に、得意先から貰うんだよ、クリスマス限定チキン。食うだろ?」 「あら・・・・・・」 「ん?」 「俺も・・・ホテルで貰って・・・」 部屋の中から漂うフライドチキンの匂いと、仁科先輩が持ってきてくれたフライドチキンの匂いが同じだった。 ふたりでしばらく笑い転げた。こんなに大量のチキンがいっぺんに食卓に並ぶのを見たことがない。 キンキンに冷えたビールを飲みながら、俺たちは脂っこいチキンをたらふく食べた。 「すげえなこれ、子供の頃の夢だわ」 「え?」 骨付きチキンにかぶりつきながら先輩はしみじみ言った。 「クリスマスにしか食わせてもらえなかった、チキンとかケーキをさ、腹一杯食えたらいいのにって」 「先輩、ケーキとか、甘いもの苦手じゃなかったでしたっけ」 「ガキの頃は好きだったんだよ。中学生の頃、食い過ぎて嫌いになったの」 「ああ・・・・・・」 「馬鹿だと思ってんだろ」 「思ってませんよ」 「お前はボンボンだから、こんなんいつも食ってたんだろ?」 「・・・いつもじゃないですけど、まあまあ、ですかね」 「ちっ」 「舌打ち!」 真剣に話したいことがあるのに、出来るだけ遠回りして、ずっと他愛のない話ばかりした。先輩もそれに気づいているのか、俺に合わせて笑ってばかりいた。 チキンで腹が膨らんで、ビールすら入らなくなってきた頃、先輩がごく自然に切り出した。 「話したいことあるって言わなかったっけ」 「・・・言いました」 「早く言わねえと、腹一杯で寝ちまいそうなんだけど」 仁科先輩はいい具合に酔っていて、ソファに背中を預けて気持ちよさそうに伸びをした。確かに5分くらい放っておいたら確実に寝るだろう。 俺は姿勢を正して、言った。 「俺、父親に・・・言おうと思ってます」 空気が凍った。想像していたよりもずっと冷たい空気だった。 「言うって、なにを」 わかりきったことを先輩は聞いた。声に抑揚はない。 「先輩とのことを・・・・・・」 「やめとけ」 「先輩!」 「・・・今じゃねえだろ。おやじさんの心配、増やしてどうすんだよ」 「今言わなかったら、もう、解ってもらうことができないかもしれないんです」 「・・・解ってもらえるとは限らねえぞ」 「先輩・・・・・・」 「今はおやじさんの身体のこと、最優先に考えてやれよ」 先輩は、ゆっくり身体を起こした。言葉の強さとは裏腹に、先輩は優しく微笑んでいた。 「俺はさ」 先輩は言った。 「今、お前とこんなふうに飯食って、馬鹿なこと言って笑ってんのが、すごく楽しいんだよ。まだ離婚は成立してねえけど・・・俺はこれからゆっくり、お前といろんなこと、見たり聞いたり、経験していきたいと思っててさ」 初めて、先輩の本心を聞いた。 海で「一緒になりてえな」と、言ってくれたことの意味が、少しだけ解った。 「泉美が余計なこと言ったから、気にしてんだろ」 「・・・それだけじゃないです。俺はずっと、父親との間に距離があったので・・・せめて、大事なことはちゃんと話しておきたくて」 「それはさ、也。お前が元気で余力があるから言えることなんだよ」 「余力?」 先輩はデニムのポケットから、鍵の束を取り出した。あの、木彫りの熊のキーホルダーがついているやつだった。 てのひらに乗せて、その熊を見つめて先輩は言った。 「これをくれた先輩の話、したよな?」 「はい」 「死んだんだよ、その先輩。21で、癌で」 「え・・・」 「血液の・・・白血病っての?あれでさ。20歳で発症して1年で。あっという間だった」 先輩が俺を見た。笑っているのに、泣いているみたいだった。 「めっちゃ明るい人で、見舞いに行ってもずっと笑ってて・・・いきなり面会謝絶になるまで、悪化しているのなんて気づかなかった。元気づけようと思って行くのに、いつも俺を笑わせてくれてばっかりで、俺は何にもしてやれないまんま・・・逝っちゃったよ」 先輩が、父親の病気を知っていても、あえて亡くなった人の話をするのは、それだけ、俺に伝えたいことがあったのだと思う。 「自己満足だってわかってる。でもな、やっぱり出来るだけのことをして送ってやりたかったと、俺は今でも思ってる。もし、タイムリミットがあるなら・・・・・・その時間はおやじさんのために使ってやれよ」 「先輩・・・・・・」 「俺のことを話したいって思ってくれたことは嬉しいよ。でも・・・・・・焦らず、ゆっくり、行こうぜ」 先輩の言葉に、なにか違和感を感じた。無意識のうちに俺はおかしなことを口走ってしまった。 「先輩は・・・寂しく・・・ないですか」 先輩は目をぱちくりさせて、え、と聞き返してきた。 「・・・寂しいって・・・なんだよ?」 「あの・・・なんか・・・なんとなくそう思ったっていうか・・・、すみません、違いますよね」 間違った。 先輩の寂しそうな顔は、多分その亡くなった先輩のことを思い出したからだ。 俺とのことを公にできないからじゃない。 どんなひとだったんだろう。 その先輩が好きだったんですか、と聞いたら怒られるだろうな。 「也仁・・・」 先輩の手が、いつものように俺の頭を捉える。されるがまま、胸に抱き留められ、俺は身体を任せた。 ぽん、ぽん、と先輩の手が心地よいリズムを奏でる。 「・・・・・・お前ってさ・・・やっぱ、あれだよな」 「あれ・・・?」 「いや、何でもねえ・・・」 頭を抱き込まれたまま、俺はゆっくり上下する先輩の胸の呼吸音を聞いていた。 彼が最後に何を言いたかったのかは解らない。 ただ、強がりで優しくて寂しがり屋で、ヤンキー気質の抜けないこの人を、俺は誰よりも愛しているんだと、解った。
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